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マット・ヘイグ『Midnight Library』(訳書『ミッドナイト・ライブラリー』)あなたの選ばなかった人生は?

マット・ヘイグ『ミッドナイト・ライブラリー』(浅倉 卓弥訳)が出る前に、原書『Midnight Library』を読んで書いた書評をアップします。

最後の段落で、「訳書が出たら私も応援」すると書いていて、いま読み直すと何様なんや感が満載ではありますが、実際のところ、たいして応援できなかったにもかかわらず、翻訳小説のなかではヒット作になったのではないでしょうか。とはいえ、欧米での人気にはまだまだ追いついていないのも事実。次の訳書が出れば、今度こそ力いっぱい応援します(求められていなくとも)。

あらすじ Noraはなぜ自殺しようとしたのか


主人公Noraが死のうと決心するところから、物語がはじまる。

Noraは兄のJoeとバンドを結成し、メジャーデビューを控えていた。けれども、Noraがバンドをやめてしまったため、デビューの話も立ち消えになり、挙句Joeにも絶交された。
バンドをやめた理由は、パニック障害に襲われたことにくわえ、恋人のDanが音楽活動をよく思っていなかったことが理由だが、Danとの結婚話も解消してしまった。

もともとNoraは親友のIzzyとともにオーストラリアに移住しようと考えていたのだ。しかし、Danとの結婚を考えていたので断ると、Izzyはひとりで移住し、連絡も途切れがちになった。つまり、恋人も親友も失ってしまった。

バンドをやめたあと、ピアノ教師として食いつないでいたが、その仕事もクビになった。
そしてダメ押しのように、飼い猫のVoltが車にひかれて死んだ。
なにもかもが行き詰まってしまった。

どうしてこんな人生になったのか? 

子どもの頃の自分は、熱心な父親の指導のもと、オリンピック出場を目指す水泳選手だった。自然科学にも興味を抱き、National Geographicを愛読して、科学者になる夢も持っていた。音楽にも才能を発揮し、周囲からCOOLと呼ばれていたJoeとバンドを組んで、みんなの憧れの的になった。大学では哲学を専攻し、H・D・ソローに傾倒して哲学者になることも考えた。
ありとあらゆる可能性を手にしていた。

なのに、なぜこんなことに? 

仕事もない。お金もない。友達もいない。恋人もいない。飼い猫も死んだ。(電気グルーヴの「N.O.」みたいですが)

もう生きていても仕方がないと決心したNoraは、Joeに電話をかけてヴォイスメールを残し、紙切れにメッセージを書きつけて……
そして目が覚めると、そこは図書館だった。

目の前には、かつて通っていた学校の司書をしていたMrs Elmがいる。Mrs Elmが言うには、ここは生と死のはざまにある図書館らしい。

この図書館に置かれている本には、Noraが選ばなかったいくつもの人生が書かれている。好きな本を選んで手に取ると、選ばなかった人生を生きることができる、とMrs Elmは語る。

Noraはこれまでの人生における数限りない後悔をふり返り、選ばなかった人生を生きてみようとするのだが……

「自己肯定心」が鍵

というのがあらすじで、ここからNoraは、水泳を続けていた人生、Danと結婚した人生、科学者になった人生、バンドで成功をおさめた人生、Izzyとともにオーストラリアに移住した人生、飼い猫Voltを外へ出さずに家に閉じこめた人生……を生きてみるのだが、案の定、どれも思っていたようにはうまくいかない、というお約束の展開となる。

選ばなかった人生を生きてみるというのは、ありふれた設定とも言える。
それでもなお、どうしてこの小説がこれだけ多くの読者をひきつけるのかというと、ひとつひとつの人生がディテールまで書きこまれていて単純におもしろいという理由もあるが、くわえて、主人公Noraの追いこまれた心情、とめどない後悔が切実でやるせなく、自分のことのように読者の胸に響くからではないだろうか。

とはいえ、Noraはオリンピック選手を目指せるほどの運動能力を持ち、メジャーデビューできるほどの音楽の才能もある。小学校や中学校においては完全に勝ち組、学校のスターと言っても過言ではない。冷静に考えると、とくに取柄のない大半の一般人にとっては、共感できる要素なんてない。
なのに、なぜNoraの気持ちがこんなに理解できるのか?

その鍵は、いまや使い古されたことばになってしまったが、「自己肯定心」にある。
これほどの能力に恵まれているというのに、Noraの自己肯定心は著しく低く、水泳でもバンドでも注目を浴びることに耐え切れなくなり、パニック発作を起こしてしまう。

Noraは選ばなかった人生を生きているうちに、現実の人生においては、両親が結婚生活や人生の不全感を解消するために、自分に多大な期待をかけていたのだと気づく。だから水泳を続けることが苦しくなったのだ。
音楽活動にしても同じだ。バンドで成功するという夢を抱いていたのはJoeの方だった。Danとの結婚生活はDanの夢であり、Izzyとのオーストラリア移住はIzzyの夢であった。

これまでの人生において、Noraは誰かの夢を叶えるために力を尽くし、けれども自分の夢ではないので、最後には破綻して罪悪感を抱え、それによって自己肯定心が落ちこみ、そして自分を肯定してもらうためにまた誰かの夢を叶えようとする、というのを何度も何度もくり返してきたのだ。

自分が自分でいようとしたら誰かを失望させる、誰かの期待に応えようとしたら自分でないものにならなければいけない――

これがNoraの心に刻まれたトラウマであり、多くの読者にとっても思い当たる思考回路であるから、これだけのヒット作になったのではないだろうか。

いくつもの選ばなかった人生を生きたNoraは、選ばなかったのには選ばなかった理由があること、あるいはなにを選んでも最終的には同じ結果になっていたことを心の底から納得する。
そしてついに、Noraは完璧な人生を手に入れる。愛する夫に愛する子ども、やりがいのある仕事。
しかし、その人生も長くは続かないと悟ったとき、Noraのとった行動は…………

#生きていく理由

マット・ヘイグは『#生きていく理由 うつ抜けの道を、見つけよう』で、自らが体験した不安神経症とうつ病について記している。

自らもうつで悩んだことがあるから、死にたいと思う人の気持ちがこれだけリアルに描ける――

というのは安直過ぎる気もするが、それでもやはり、『#生きていく理由』と『Midnight Library』はつながっているように感じた。

『#生きていく理由』では、「生きているということ」という章で

生きていくことは苛酷だ。人生は美しくすばらしいものにもなりうるが、同時につらいものでもある。

と書き、「不滅の偉大なる詩人にして広場恐怖症だったエミリー・ディキンスン」の言葉を紹介している。

二度と同じことは起こらないということが、人生をとても甘美なものにする

二度と同じことは起こらない――つまり、人生のあらゆる選択は一度きりである。だからこそ後悔の連続でもあり、『Midnight Library』でいう〝Regret of Books〟ができあがってしまう。
だが、それこそが人生の甘美さなのかもしれない。

英米での人気にくらべると、日本ではマット・ヘイグはブレイクしているとは言いがたい。
コアな純文学やミステリーの読者でなくても楽しめる、この手の作品の知名度があがれば、もっと海外文学の読者も増えるのではないかと思うのだが……
おそらくこの『Midnight Library』も翻訳されるだろうから、その際には私も応援して(ものすごい微力ながら)、日本でも盛りあげていきたい。
(2022/11/19  2021/08/16付のはてなブログ記事を加筆修正)

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