【上本町で話題沸騰中!】人見知りな人でも通いやすいと評判の、パーソナルトレーニングジム「Pure」の全貌と開業ストーリー
こんにちは、天王寺区上本町にてパーソナルトレーニングジムPureを運営している別府です。
今回の記事では、私自身の紹介とPureを設立した理由についてお話しします。
上本町にはチェーン店のパーソナルジムが多い中、個人で運営するPureの魅力をお伝えできればと思います。
自己紹介
名前
別府 敬祐 (べっぷ けいすけ)
生年月日
1989年9月24日
職業
パーソナルトレーナー
所持資格
NSCA-CPT(全米ストレングス&コンディショニング協会認定パーソナルトレーナー)
ダイエットプロフェッショナルアドバイザー(ダイエット検定1級)
ダイエット生活アドバイザー(ダイエット検定2級)
パーソナルトレーニングジムPureを設立したキッカケ
【パーソナルトレーナーを辞めた日】
2020年8月の話です。
私は当時、関東・関西にチェーン展開しているパーソナルジムの店長をしながらパーソナルトレーナーとして勤めていました。
その勤めていたパーソナルジムでの人間関係が原因で調子を崩し、病院に行くと『適応障害』と診断されました。
仕事に行く時間になると、強烈な吐き気と激しい動悸に襲われるという症状に悩まされました。
私は幼少期から、親に怒らてばかりで自分に自信がなく、常に周りを気にして生きる繊細な性格でした。
大人になってもそんな性格は変わらず、周囲からの声や、顔色ばかり気にし、何かあっても誰かに相談する勇気がなく、悩みをひとりで抱え込みながら過ごしていました。
そんな性格が災いし、適応障害になったのです。
適応障害になってからは仕事を辞め、1度パーソナルトレーナーから離れて療養に専念することにしました。
【1年半の療養期間で気付いたこと】
適応障害と診断され最初の頃は、うつ状態が強く何もする気になりませんでした。
ご飯を食べることができず、眠ることもできないので、布団の上に寝転がっているだけの生活。
活動は、たまにトイレに行くか、お水を飲みに行くかだけ。
当時は親が何も食べない自分を心配して作ってくれた、お粥を食べて過ごしていました。
布団の上で寝転んでいる時間が長すぎたので、人生で初めての床ずれを経験。
そんな生活をして2ヶ月くらいが経過した頃、少しずつ食事の量も増え、散歩ができるようになりました。
散歩をするために外に出たら、急に「こんな自分を見てすれ違う人が笑ってるんじゃないかな?」と思うようになりました。
出来るだけ、人通りが少ない道を歩くようにしました。
散歩以外にも通院を続け、心理カウンセリングを受けたりしました。
担当医の勧めもあり、精神的に余裕がある時はジムに通い運動することを始めました。
週に2~3回、ジムに行き、頑張りすぎないようにトレーニングをしました。
私はパーソナルトレーナーとして働いていた経験があるので、ジムでトレーニングをすることには慣れていました。
しかし、適応障害になったばかりの時は、寝たきりだったので体力が予想以上に低下していて、最初は辛かったです。
でも、ジムでトレーニングをし、汗をかいて水を飲んでいる時は生きている実感があり、とても心地よく感じました。
寝たきりの時は、「もうこのまま人生終わてもいいや」と思っていましたが、体を動かして汗をかくことで、「生きてることって素晴らしんだ!」と感じて、気力が戻ってきたことを覚えています。
ジムでトレーニングをする利点はそれだけでなく、運動することで体型が変わり、さらには脳内でセロトニン(幸せホルモン)が分泌されることで前向きになり、自分に自信を持てるようになることです。
適応障害になって、初めて散歩した時は「通りすがりの人に笑われている」と思うくらい、自分に自信がありませんでしたが、療養としてジムでのトレーニングを2ヶ月続けた頃には、何とも思わなくなっていました。
パーソナルトレーナーとして働いていましたが、適応障害になりトレーニングは心身の健康をつくるのに必要なものなのだと、自身の体験を通じて実感しました。
トレーニングを通じて、適応障害を克服しかけた頃には、「パーソナルトレーナーとして再起し、自分に自信を持てずに生きている人に貢献できるパーソナルジムを立ち上げよう!」と考えるまでになっていました!
【パーソナルトレーナーとして再起を目指して】
適応障害の症状も落ち着きだしてきた頃、パーソナルトレーナーとして再起するために、資格を取得することを決意しました。
実は、適応障害になる前に、チェーン展開しているパーソナルジムで勤めている時は、“無資格”でパーソナルトレーナーをしていました。(一応、法律上は問題なし)
しかし、パーソナルトレーナーとして再起するからには、資格を取って胸を張ってプロのトレーナーとして人様の健康に貢献したいと思ったので、資格取得を決意したのです。
資格を取るために分厚いテキストを持ち歩いて、自宅近所の大学の図書館へ通い、朝から晩まで勉強する日々を続けました。
その結果、無事に試験に合格し、パーソナルトレーナーの資格であるNSCA-CPTを取得することができました。
資格を取得するという成功体験を得たことで、さらに自分に自信が付き、無事に適応障害を克服することができました。
【社会復帰、そしてパーソナルトレーナーとしても再起!】
パーソナルトレーナーの資格を取った後、次のステップとしては"社会復帰"です。
適応障害になった後、1年半は社会から離れて生活していたので、不安は大きかったです。
「また働き始めたら、適応障害が再発しないかな?」という不安が胸の中にありました。
社会復帰に向けて最初は、お世話になっている人のもとで、お仕事のお手伝いを短時間から始めて、徐々に慣れていくことからしました。
社会に慣れて、「もう大丈夫!」となったところで、フリーランスのパーソナルトレーナーとして、2社の大手フィットネスクラブで活動再開。
無事に、パーソナルトレーナーとして再起することができたのです!
療養中は、「パーソナルトレーナーはもうできないかも」と諦めかけていたので、涙が出るくらい嬉しかったのを今でも覚えています。
【夢の形を実現!?パーソナルジムを天王寺区上本町に設立】
パーソナルトレーナーとして再起し、しばらくしてから周囲の力を借りながらパーソナルジムを設立することに。
過去の私の経験を活かして、2022年10月に初心者へのトレーニングとダイエットの指導メインの、『ゼロから始めるダイエット、 自信とカラダを育むパーソナルジム』をコンセプトとした”パーソナルトレーニングジムPure”を大阪市天王寺区上本町に設立。
ジム名のPureは和訳すると、『純粋な』という意味を持ちます。
流行りに惑わされることなく、「純粋なパーソナルトレーニングをひとりひとりのお客様へご提供する」という想いから、ジム名にPureと名付けました。
場所を天王寺区上本町にした理由は、人混みが苦手で、周囲の目が気になる人見知りの方でも通いやすいようにという想い選びました。
大阪市では、梅田・心斎橋・なんば・天王寺など都心部にパーソナルジムが集まる傾向がありますが、どこも人が多く集まり、人混みが苦手な人は、通うだけでも億劫になってしまうので、閑静な街並みの上本町にしました。
パーソナルトレーニングジムPureは1部屋のみの環境を私ひとりで運営しています。
さらに、ペアトレーニングやセミパーソナルを一切受け入れず、完全マンツーマン形式でパーソナルトレーニングをご提供しているので、他の利用者と遭遇することがないので、人目を気にすることなく、人見知りの方でも安心して自分だけのパーソナルトレーニングを受けることができます。
「トレーニングすることで自分に自信を付けて胸を張って生きてみたい!」と思っているけど、一歩を踏み出せない方は、天王寺区上本町にあるパーソナルトレーニングジムPureへお越しください。