
高尾山ノスタルジア No.18:奥之院から高尾山山頂へ
御本社の脇を進み、石の階段を上がると小高いところにささやかな平地があり、そこには奥之院ならびに浅間社が鎮座します。現在の御本堂が建立される前にその場所にあった三棟のお堂のひとつである護摩堂が明治19年(1886)の台風による境内の被災後に移設され奥之院となったとのことですが、戦前の写真を見ると、その姿は現在の姿とだいぶ違います。そのあと、さらなる移設か建て替えがあったものと思われます。




ひとつ前の写真にある奥之院と建物の意匠が大変似ています。これは、かつての奥之院(すなわちいにしえの護摩堂)がさらに移築されて浅間社となったのか、それともひとつ前の写真の建物はそもそも浅間社で「奥ノ院」とあるのは誤植なのか。
現在の浅間社と奥之院を観察すると、現在浅間社とされている建物がかつての奥之院(護摩堂)であり、そのすぐ前に現在の奥之院が建てられたことで浅間社に衣替えされたように思えますが、確証はありません。
奥之院の裏に建つのが浅間社。奥之院は不動明王を祀る不動堂ですので仏教寺院ですが、浅間社の前にある鳥居はここが神域であることを示すもの。ここでも薬王院の最大の特徴である神仏習合のならわしが際立ちます。
浅間社は、その名が示すとおり富士山を祀るお社です。高尾山の歴史は富士講との密接な関係なしに語ることはできません。さまざまな逸話や文献が残されていますが、ここでは「八王子名勝志」の一節を引きます(資料①)。表示できない文字は現代文字に置き換え。

:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:
浅間丸ハ異本小田原記(…)三ノ巻云く駿河国冨士山ハ甲州駿州豆州三ヶ國の界にありて半ハ甲州半ハ駿州少く伊豆國に懸りし中に駿河大宮の浅間を表とし甲州吉田の浅間を裏とし諸國の参詣この二口を第一とし然に此五十餘年甲州武州乱國となり國境に関をすゑ彼山に参詣の宿路を塞ぎけれバ甲州吉田の御師ども参詣の路なけれバ渡世すべきやうなくて色々工夫を巡らし武蔵國八王子に高尾山とてある行基菩薩開山の地藥師如来本尊也これへ冨士浅間大菩薩勧請し奉り吉田の禰宜ども悉く八王子へ移りて富士浅間の高尾山へ飛び給ふ由を披露す於茲奥州常陸出羽上野上総下総安房當より多年関所に支えられて参詣ならざり道者ども是を聞て悉く参詣なし八王子高尾山忽ちに繁昌す。
按ずるに北口登山の冨士導者かならず當山に参詣なし夫よりして懸越に小佛峠に出るものはさる由緒あればなるべし又此書に八王子といへる散田新地の西北にして吉田川原の地これなり
:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:
「浅間丸」は表参道一本杉(タコすぎ)から薬王院の伽藍の入口までの間、右の方に見えたと言われる小山で、安政2年(1855)の髙松勘四郎による「武州髙尾山畧繪圖」に「せんげん」が描かれています(資料②)。現在の神変山のことと思われます。西丹沢の檜洞丸や畦ヶ丸のように、丸っこい頂上を持つ山は「丸」で呼ばれることがあります。当時はそこに浅間明神を祀った石の祠があったとのことで、先述の一節はそのいわれを説明したものです。

薬王院の山門から右斜め上方向、一本杉の先に「せんげん」が描かれている。ここは、現在の神変山の位置に相当する。
それによれば、富士山(浅間社)へのお参りは駿河国大宮から上がるルートと甲斐国吉田から上がるルートのふたつを繋ぐ道がメインだったが、戦国時代、甲州武田氏と武州北条氏の間で争いが勃発した際に関所が建てられ参拝ルートが塞がれてしまったため、甲州吉田の御師(信徒のために参拝や宿泊の世話をする神職)がこれではおまんまの食い上げだということで、武蔵の国にある高尾山とかいうところにに富士浅間大菩薩を祀ることを請願し、甲州吉田の神主さんたちがこぞってそっちに行っちゃった結果長年参拝が叶わなかった信徒もみんなそろっておしかけてしまい、高尾山はたちまち大繁盛となったとさ、ということのよし。
この富士吉田の神主さんたちの請願話は信徒にしてみればありえないぐらいの遠回りになるのでその真偽はあやしい。ですが重要なポイントは、江戸期、彼らの末裔であり、高尾山をとおり富士山を目指す富士講の一行を案内する導者が高尾山の尾根を経由して小仏峠まで案内することを許されていたのは、この逸話に基づく正当性がその根拠であったということです。なぜならば、高尾山山頂を経由し小仏峠に至る道は小仏の関所破りのルートになるため、薬王院はこのルートを通過する者の取り締まりを幕府から厳命されていたからです。にもかかわらずこのルートの利用を許されていたのはその「由緒あればなるべし」というわけですね。
ちなみに、「八王子名勝志」の一節にある「支えられ」ということばですが、いま我々はこれを通常力添えや応援の意味で用います。一方、「敵の猛攻をなんとか支える」など、もちこたえる、ないしは、くいとめるの意味で使うこともあります。ですが、このことばに語義が複数あるわけではありません。力添えをするのも、もちこたえるのも、状態を維持するというひとつの語義にもとづく用法にすぎません。ですので、「多年関所に支えられて参詣ならざり」はもちろん「長年関所にくいとめられて(邪魔されて)参詣叶わぬ」という意味であり、「長年関所に応援されて参詣叶わぬ」ということではありません。
「支える」の文語体が「支ふ」。口語体か文語体かの違いだけで、意味はもちろん同じです。
鳥居枕作詞、瀧廉太郎作曲「箱根八里」第一章の前半の歌詞を引きます。
箱根の山は 天下の險
函谷關も 物ならず
萬丈の山 千仭の谷
前に聳え 後にさゝふ
昔のひとたちは「ささふ」に「障ふ」や「支ふ」などの漢字をあてたのですが、無論意味は全部同じです。さまたげるということ。現状維持は片方においては守るべきものですが、もう片方にとっては障害にほかならないですからね。そこにこのことばの語義があります。
念のためですが、スペリングはなんであれ発音は「サソー」です。ただし「箱根八里」をうたうときは、「サソー」と長音ではなく「サソオ」と「オ」をきちんと発音するようお願いします。これが理解できない人は日本語がわからない人なので、この歌をうたう資格はありません。YouTubeなどで検索すると「サソウ」とうたっている動画に出逢いますが、これは聴く者をして赤面の極み。絶え難い恥ずかしさです。
ここのところ「のたまった」などという、見た目にも醜悪な表現が文藝の分野でも散見されますが、これも「のたまふ」を「ノタマウ」と発音するものだと字面だけで勘違いして、その過去形を「のたまった」などと勝手に造語しているのでしょう。スペルは「のたまふ」ですが、発音は「ノタモー」です。戦後かなづかいにするならば、「のたもう」。その過去形は当然「のたもうた」です。
閑話休題。「前に聳え 後にさゝふ」を「高い山が前にそびえ、その山を後ろから谷が支えている」という噴飯ものの珍説を開陳する諸兄がおられますが、これは「まえは高い山、うしろは深い谷にあゆみをさまたげられ、進退ここにきわまれり」という険山深谷の情景を詠んだものです。「谷が山を支える」などという解釈では、「萬丈の山」から読めば文章として根本的にチンプンカンプンになってしまうことは、普通に日本語を読解できる方であればおわかりいただけますよね。山登りしたことないので想像力が足りず、この詩の情景が浮かばないのでしょう。
(注1)
《写真ならびに絵図に関する著作権について》
表示している写真ならびに絵図は、旧著作権法(明治32年法律第39号)及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)に基づき著作権が消滅していると判断し掲載しているものです。
掲載している写真絵葉書は、全て著者が個人で所有しているものです。
本稿掲載の著作物の使用ならびに転用の一切を禁じます。
参考資料:文化庁 著作物等の保護期間の延長に関するQ&A
(注2)
《「国立国会図書館ウェブサイトからのコンテンツの転載」に基づく表示》
表示しているコンテンツは、国立国会図書館デジタルコレクション」に収録されているデジタル化資料のうち、著作権保護期間が終了し公共財産に帰属するものであることを確認し、転載したものです。
(注3)
《東京都立中央図書館「画像の使用について」に基づく表示》
東京都立図書館蔵 髙松勘四郎 武州髙尾山畧繪圖 安政二年(1855)