まりりんこ

札幌出身で神戸在住。会社員。夫と息子3人 猫好き、お酒好き、ドラマ好き、産業遺構と棚田を巡りたい、そしてエッセイをつらつらと‥

まりりんこ

札幌出身で神戸在住。会社員。夫と息子3人 猫好き、お酒好き、ドラマ好き、産業遺構と棚田を巡りたい、そしてエッセイをつらつらと‥

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徒然『受け継ぐべきもの』

―女の子は父親に似る―と、一般的に言われているように、おそらく私は父親似だ。顔立ちはもちろん、食べものの嗜好、考え方や行動も似ているような気がする。お酒が好きなところ、就職で東京に出たこと、新たに挑戦しようとする姿勢…本当にそっくりだ。思春期の頃は、酔っ払ってからむ父が嫌だったけれど、今では私も似たようなものだ。  一方、母は子どもの目から見ても可愛らしい顔立ちで、手先も器用でよく編み物や縫い物をしていた。私が小学校高学年になった頃、アートフラワーにのめり込み、近所の奥さん達

    • 友来たる〜岡山から。marimekkoの靴下と。

      ここ数ヶ月、私の周りが賑やかだ。いろんな勉強、属する会合や何やら、平日の昼夜、週末‥。それはそれらの集まりの本筋であったり、そこから派生する飲み会だったり、出会いだったり、様々だ。その合間を縫うように、兄夫婦、姪っ子家族、長男がやって来ていた。 昨日は、岡山から友が訪ねてくれた。同い年のその友とは、知り合ったのも今年になってからで、生まれも日本の北と南と何千キロも離れているのに、話せば話すほど、昔から知っていたかのようで、不思議な感覚を覚えた。 別れ際にいただいたmarim

      • 神戸ジャズの中、サックスを吹いてた友達を思う

        北海道東部の小さな町に、父親の転勤で中学の2年間、住んだことがある。誰一人知らない土地で、それでも少しずつ友達ができた。「加代」という少し大人びた子もその中の一人。加代は吹奏楽部でサックスを吹いていた。 その後、私は札幌へ引越したが、加代とはきっと文通でもしていたのだろう。前後の状況は全く覚えていないが、高校生になってから、札幌開催の 渡辺貞夫(ナベサダ)のコンサートに二人で一緒に行った記憶がある。ジャズなんて全く縁遠い私ですら、ナベサダは知っていた。当時、男性化粧品のCM

        • いろんなことが終わってしまった三連休‥ぼーっとする間もなく、長男の帰省を迎える。どっちみち家にはほぼいないけど、ちょっとゆっくり話もできて、良かった。 明日は滋賀から大阪への二重出張、早よ寝な‥と思いながら、夜ふかし

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        徒然『受け継ぐべきもの』

        • 友来たる〜岡山から。marimekkoの靴下と。

        • 神戸ジャズの中、サックスを吹いてた友達を思う

        • いろんなことが終わってしまった三連休‥ぼーっとする間もなく、長男の帰省を迎える。どっちみち家にはほぼいないけど、ちょっとゆっくり話もできて、良かった。 明日は滋賀から大阪への二重出張、早よ寝な‥と思いながら、夜ふかし

          徒然『1972年札幌五輪、そしてパリ  ー虹と雪のバラードに想いをはせて』

          時は1972年、私が住んでいた北国札幌が大きく変貌を遂げた。それは日本で初めての冬季オリンピックが開催された年。小学6年生の私が初めて世界を身近に感じた年。札幌市内を南北に地下鉄が開通した。日本初のゴムの車輪は、静かで乗り心地がいいとの評判。初めて地下鉄に乗った時の少し焦げたようなツンとしたタイヤのにおいが忘れられない。 地下鉄の大通駅を起点になんと地下街ができた。東のテレビ塔までをポールタウン、南のすすき駅までをオーロラタウン。大雪の日も、凍てつく日も、地下街ならへっちゃら

          徒然『1972年札幌五輪、そしてパリ  ー虹と雪のバラードに想いをはせて』

          昨日で今期のエッセイ教室が終わった。そして今日の午後、ある講座の発表会が終わる。ここ半年間、土日はほぼ予定で埋まり、平日は(もちろん)仕事と宿題、課題でいっぱいいっぱいだった日々。なんだか喪失感でもの寂しい。あ、発表会頑張ろ

          昨日で今期のエッセイ教室が終わった。そして今日の午後、ある講座の発表会が終わる。ここ半年間、土日はほぼ予定で埋まり、平日は(もちろん)仕事と宿題、課題でいっぱいいっぱいだった日々。なんだか喪失感でもの寂しい。あ、発表会頑張ろ

          姪っ子家族がやってきた

          育休中の姪っ子が大胆にも東京から神戸にやってきた。ダンナさん、4歳男子、2歳男子、2ヶ月女子を連れて。当然上の二人はギャング状態、下は容赦なくミルクだウンチだ、抱っこして、だし。あーこんなに大変だったかなぁ〜と昔に思いを馳せる。姪っ子に会ったのは5年前だけど、あっという間にお母さんになってるのも、わかってはいたけど、不思議。 うちの夫もじいじと呼ばれ、わかってはいたけど、そんな年だ。(私は名前呼び笑) 東京で働く二人、今から5、6年は身体的に辛く、そのあとは精神的に辛い日

          姪っ子家族がやってきた

          この1週間、〆切の課題2つ提出、オンデマンド4時間×2受講、発表会の準備、報告書ほぼ出来上がり、キャリコン講座と習い事の教室受講‥もちろん仕事もした。頑張った私‥遠い目👀‥そしたら秋になってた

          この1週間、〆切の課題2つ提出、オンデマンド4時間×2受講、発表会の準備、報告書ほぼ出来上がり、キャリコン講座と習い事の教室受講‥もちろん仕事もした。頑張った私‥遠い目👀‥そしたら秋になってた

          いろんなお酒があるものだ

          神戸の板宿にある、居酒屋彩舟。ここ数年来のお気に入りのお店。元々はコロナ禍に遅くまで空いてる店が少なくなり、その中で唯一巡り合ったお店。長男と同世代の若いマスターが一人でされてる。 食べ物も美味しくて、ビールもキンキンに冷えて、愛想のいいマスター、とっても気が利くアルバイトのお姉さん。その日もまた夕飯(いや、お酒?)を求めて、来てしまった。 ビールがなくなった頃、お姉さんが日本酒新しいの入ってますよ…と悪魔の囁きをする。 今日のお酒は百楽門。ただし、ラベルの文字が反対に

          いろんなお酒があるものだ

          なんか忙しい

          4月から2つの勉強会に参加中。1つは6日が発表。その提出〆切が26日と4日。もう1つは21日、24日、27日と3種類の提出〆切あり。 3連休で頑張ろうと思っていたら、昨日の昼下がり、東京の息子から「たすけてー」のLINE。息子は、去年法人登記したのだが、どうやら年金事務所から調査が入ったらしい。そそくさと息子のために動く(一応母だから笑)。こっちは長年そんな仕事をしてるので、なんてことはなく対応。4つの書類を作り、ちょいっと送る。午後すべてつぶれたけど、「うわあ、すげえあり

          なんか忙しい

          徒然『バナナ太郎を覚えてる?』

          その古いアルバムは、外装は黄色い布製の硬い表紙で、そこにはおもちゃの兵隊さんが刺繍されている。表紙をめくると、時代を感じさせるおびただしい白黒写真の中に、全開の笑顔で絵本を見ている二歳の私がいる。 物心つくようになった頃、母はよく私に語りかけた。 「あなたが本をめくると、指に紙が吸い付くようにぴらっぴらっとめくれるのよね」と。小さい頃から、本は私の近くにいてくれたんだろう。 息子たちが小さい頃は、寝かしつけによく読み聞かせをした。他のお母さんたちと少し違うとしたら、よく置

          徒然『バナナ太郎を覚えてる?』

          おそるおそるNote参戦して、約1か月。ここ数年間、INPUTばかりで満足していた私だけど、ちょっと行動を変えてみようか、そう感じる8月だった。最後の一押しが8月24日のHIROMI GOのコンサートだったかも。今日から9月。

          おそるおそるNote参戦して、約1か月。ここ数年間、INPUTばかりで満足していた私だけど、ちょっと行動を変えてみようか、そう感じる8月だった。最後の一押しが8月24日のHIROMI GOのコンサートだったかも。今日から9月。

          徒然『三つ子の魂百まで』

          遠くに来てしまったなぁ…今だにそう感じることがある。 札幌に生まれ、神戸に居を構え、すでに30年が過ぎた。 「三つ子の魂百まで」という諺は、人は幾つになっても、生まれ落ちた街で培った五感を携えて生きていくのだ、と私に教えてくれる。故郷札幌で経験した五感、それは私が生きてきた証なのだ。 ―視覚― 10月になると街に舞う「雪虫」は、数ミリ程度の小さな羽のあるアブラムシ科の虫。体は白いふわふわした綿毛で覆われていて、彼らが飛び回ると、まるで雪が舞ってるようだ。あぁ、もう少しで雪

          徒然『三つ子の魂百まで』

          徒然『天狗のお橋でございます』

          ふるさと札幌を西へ流れる琴似川と琴似発寒川の合流点からさらに石狩湾へ注ぐ下流、『新川』。私の母校、新川小学校はその堤防沿いにあり、毎朝、毎夕眺めながら、小学校時代を過ごした。2級河川の新川には、小学生だった1970年ごろは、木造の『天狗橋』という名の橋がかかっていた。 天狗橋は、明治の終わり、新川小学校の前身の発寒特別教授所に通う子ども達のために作られた橋である。その奇妙な名前は、橋を作った大工の棟梁ー屯田兵の堀内清四郎ーが、天狗の異名を持つほど鼻が大きな人だったかららしい

          徒然『天狗のお橋でございます』

          徒然『栄光の架橋、あの夏』

          2004年、アテネオリンピック開催の年、私はある資格試験を直前に控えていた。前年は1点差で不合格。そこから1年、いろんな事を我慢した。実力と運、合わせて真夏の5時間の試験は体力も必要だ。朝は5時に起き、会社の昼休みも勉強し、夜は真夜中まで机に向かった。家族もほったらかしで、精神状態は極限に来ていた。 そんな私の耳に、ある日、『栄光の架橋』という曲が届いた。人気デュオ、『ゆず』が歌う、アテネオリンピックの公式曲だった。聴きながら、自然と涙が湧き出てきた。 ―誰にも見せない泪

          徒然『栄光の架橋、あの夏』

          徒然『たっちゃんのドリル』

          ーチャレンジ1年生・4月号・こくごドリルーー 日に焼けた、その冊子を、私はずっと大事に取ってある。長男のたっちゃんが小学校にあがる時、まさに親も子も胸ふくらませていた頃。私はそのドリルを一緒にやった記憶は全くない。きっと、一人でやったんだろうなぁと想像する。 馴染みのキャラクターが描かれたその冊子は、カラフルで楽しそう。表紙をめくると、最初に『線のなぞり書き』の単元。そこには直線やうずまきに少しはみ出ながら線がなぞられている。小さいたっちゃんが、ペンを持って必死で描いてる姿

          徒然『たっちゃんのドリル』