徒然『三つ子の魂百まで』
遠くに来てしまったなぁ…今だにそう感じることがある。
札幌に生まれ、神戸に居を構え、すでに30年が過ぎた。
「三つ子の魂百まで」という諺は、人は幾つになっても、生まれ落ちた街で培った五感を携えて生きていくのだ、と私に教えてくれる。故郷札幌で経験した五感、それは私が生きてきた証なのだ。
―視覚―
10月になると街に舞う「雪虫」は、数ミリ程度の小さな羽のあるアブラムシ科の虫。体は白いふわふわした綿毛で覆われていて、彼らが飛び回ると、まるで雪が舞ってるようだ。あぁ、もう少しで雪が降るんだと身が引き締まる。数日たつと本当に雪が降る。
―聴覚―
年末が近づくと、夜の街に雪が降りそそぐ静寂の日が増える。映画や小説で「しんしんと雪が降る」と表現されるシーン。私には本当に「しんしん」と音が届いてた。
3月には雪解け。除雪車が道路の両側に、高く積んだ雪の壁。壁の一番底、道路と接しているところから、雪は道路に溶け出し、流れていく。ささやかなそのせせらぎ、私には「ちょろちょろ」と聞こえていた。
―嗅覚―
ごちそうといえば、ジンギスカンだった。丸い分厚い鉄で出来た、半円上の鍋で焼く羊の肉、食欲をそそる専用のたれの独特のにおいは、ごちそうの喜びを倍増させた。
―味覚―
食卓には、朝な夕なに、シャケ、筋子、たらこ…が並ぶ。初夏には、アスパラ、トウモロコシ…。どれもこれもいまだ私の好物だ。冬に近づくと、発酵食品の一種で、魚を白菜や米とつけ込んだ「いずし」が出てくる。お正月には、いくらが添えられ、贅沢感が醸し出される。いずしが美味しいと感じると大人になった気がしたものだ。
―触覚―
農家の友達と遊んだとき、一度だけ、子牛の口の中に手を入れさせてもらった。子牛の舌は、たいそうザラザラで思わず手を引っ込めそうになった。あんなざらついた舌、もう触ることはないだろう。
あの街でこそ、感じることができた五感…。
いやいや、神戸で暮らした時間の方が長いやん。過去を振り返るのは性に合わないし、「三つ子の魂百まで」の反対の諺はなんやろ。ちょっとGPT氏に尋ねてみた。
-反対の諺はありません。近いのは「石の上にも3年」!
「石の上にも30年」やわ…そう、いつのまにか私は神戸弁で思いを巡らせていた。神戸で経験した五感もちょっと考えてみよか。それも私の生きてきた証やん。