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徒然『1972年札幌五輪、そしてパリ  ー虹と雪のバラードに想いをはせて』

時は1972年、私が住んでいた北国札幌が大きく変貌を遂げた。それは日本で初めての冬季オリンピックが開催された年。小学6年生の私が初めて世界を身近に感じた年。札幌市内を南北に地下鉄が開通した。日本初のゴムの車輪は、静かで乗り心地がいいとの評判。初めて地下鉄に乗った時の少し焦げたようなツンとしたタイヤのにおいが忘れられない。
地下鉄の大通駅を起点になんと地下街ができた。東のテレビ塔までをポールタウン、南のすすき駅までをオーロラタウン。大雪の日も、凍てつく日も、地下街ならへっちゃらだ。両側に連なる華やかな店々にわくわくした。

自衛隊駐屯地しかなかった真駒内に大きな選手村が出来上がった。女子フィギュア3位ーー銀盤の妖精ジャネット・リン選手が、その壁に口紅で残した言葉―LOVE&PEACE―。彼女の笑顔とともに印象深い。

市内の小学生は競技を一つ見ることができ、大倉山シャンツェの90m級ジャンプに行くことができた。70m級で日本の選手3人がメダルを独占した後だったので期待したが、成績振るわず残念。

給食の時間。札幌オリンピックのテーマ曲、トワ・エ・モアの『虹と雪のバラード』が毎日毎日流された。

―虹の地平を 歩み出て―
―影たちが 近づく手をとりあってー

その歌は、当時の自分の思いがシンクロしながら、最後を締めくくる。

―生まれかわるサッポロの地に―
―きみの名を書く オリンピックとー  

そして2024年夏、パリオリンピックが開催された。開会式は近年のオリンピックの印象と大きく異なった。セーヌ川を選手が下り、ノートルダム寺院、ルーブル美術館…エッフェル塔と新たに建築された建物が何一つない。札幌オリンピックで、札幌は大きく生まれ変わったが、パリオリンピックは、あの街の歴史の重厚感や建物の美しさが、今も変わらない、ということを全世界に知らしめた。

2年毎に夏、冬のオリンピックがやってくる。その度に、私には『虹と雪のバラード』とともに、あの頃の『街が変わる』感覚が蘇る。パリの子どもたちは、何を感じただろうか。歴史ある自分たちの街が舞台になり得た誇らしさか、それとも長く影を落としたコロナからの脱却への歓喜か。どの年のオリンピックも開催国の子どもたちの心に焼き付く何かがあるはずだ。
だからこそ価値がある。

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