「偏差値が30異なると会話できない」ってほんと?
8月2週目くらいのメモです。
偏差値30違うと会話できないという言説があるが、思考/知能レベルの違いによる理解力や言語力の差によるというよりも、社会階級や生きている領域が違う分、趣味や価値観が異なるから、共通するものが少なくて会話するのが難しいってのもある。現に、偏差値が低くとも、彼らのコミュニティは当たり前なように会話が成り立ってるじゃん。
SNSは家にいながら世界が常に回っていること、友達が日々前に進んでいることを実感してしまう一方、やはり本はいい。本(小説)は時間軸がその中で完結しているから、読んでも焦らなくていい。
色眼鏡は生まれてしまった以上、一生薄くはならないという話、色が変わったり濃度が濃くなったりしても、クリアには近づかない。透明になったと思ったのは色が変わった瞬間のこと。ジェンダーの話を例に。
夜の寝付くまでのどうしようもなさ、起きたときの絶望感
病院を変えると疾患名が変わるのがしょっちゅうの精神病だけど、たしかに適正な病名の把握はより早く治癒に繋がるけど、どんな疾患名であれ、結局は当人は苦しんでるって事実が重要なのであって
毎朝毎晩過ごす時間が処刑台へ上る階段。この歌詞好き。私らみんな、生まれた時から物くって糞して生きつないで日々処刑台を一段ずつ登ってるだけなんだよ~、生まれた時から死へのスタートが始まってるんだよ~ぬ~ん。
おばあちゃんに会いに行ことか、家族でかき氷とか、買ったもの母親に見せるとか、明らかにいつもと違う感、行動
生きる屍、ぶつくってくそして生きつないでるだけ、いつの間にか一日が終わって何かしたかと聞かれれば何も答えられないような日々が、一生続くような気がして
そもそも気分の波は激しい方だった 。まずは自分の病気を受け入れるところからはじめる
勉強は個人の救済
ただの気分に意味づけしてしまう、型にはめようとはまる部分だけを切り取ってしまう
今までは海外の大学院の情報や将来について調べるさいには、わくわくしていたが、今は見れない
一人の人だけで満たされる日がくるのか、それが恋ってやつか、愛ってやつか
自慰っていいよね、自分を慰める、オナニーとかマスターベーションとかひとりエッチの3百倍いい
葛藤、両立しないから?フェミニズムとその女性性の活用や甘い汁を吸うことが両立するフェミニズムをつくれば?果たして両立しないのかを研究テーマにする?
躁うつに関するコンテンツで気分の波が脅かされる
さらっときいてくる、さらっと私の事象を会話の中で把握してくる、さらっとごみからですら私の生活がみえてくる
元気になったと思ったとのが、実はただの沈む前兆であったり、躁状態で病気であったり、元気になってもそれは元気になったわけではないと言わわれることの、この打ちのめされる感じ、どこまで行ってもな感じ
たまたまいつもやってたことを何となく親の前に晒しただけ
なんでかわいいのがみんなすきなのに、かわいこぶってるはアンチなの?
キタニタツヤの悪夢の太陽の光さえも得てして平等じゃないってとこすき。最初から平等に与えられてるものがないって感じ。
一生この何も手につかないぼんやりした感じなのか。あ、一生てゆってる。この状況がずっと続くって感じ始めるのはうつの始まるだぞ。おい。