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興味を捨てて、また拾い直す
せっかちだからトイレが空いていないとすぐに違うフロアへ、違うフロアのトイレへと移動してしまう。じっと待つということができない場合と、できる場合がある。
2020年の大晦日に際して、“ゆっくりと、兎にも角にも、待つ。待つ優しさを、来年も忘れないでいたいものです”と書いたけれど、一方で僕には、待っても来ない電車を待つくらいなら、反対方向へ進む電車に乗ったほうがマシ、と考えてしまう性分がある。
僕には極端なところがあって、「〇〇してください」と指示されたら、とことん〇〇をして相手を困らせてしまうようなことがある。
しかも飽き性なところもあって、突然いままで極端におこなっていたことをパタリとやめてしまうこともある。
興味を失ってしまったことはすぐにでもやめてしまったほうがいい。興味が再生したらもう一度はじめてみればよいのだから。
“興味が存するのは、その過程であって行為ではなかった。真にその生命とするところは、完成することであって、完成ではなかった。かくて人間は、ただちに自然に直面するようになった”(岡倉天心『茶の本』)
2020年を境にして演劇は変わると思う、とむかし記事に書いたことがありました。
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