心のうぶ毛、について。
完全にオール明けのテンション。
感情のまま書き殴りなので、
分かりにくかったら申し訳ない👇
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統合失調症の治療してる先生が言ってた
大切なのは、
心のうぶ毛を守り育てること
ったやつ
今やっと意味がわかった気がする
本当に相手の心の感情を大切にするって
ことだ。
人と近い距離で接して
やっと理解できた気がする
幼い頃に
このひとさえいれば幸せだと
一番信じてた大好きな親友に
陰で長く騙されていたことを知った時
直感的に深く心が感じたことは
愛する人は一人に絞ったら
そこに注力しすぎて
相手に負担がかかり面倒がられて
関係が破綻し
自分が傷つくってこと
人間関係を維持するには依存は厳禁
そこから、一つに依存しないよう
いつでも親しくいる人間は二人以上でなければ
落ち着かなくて
潜在的に焦るようになった
自分から相手に与える愛と負担を
分割できるように
だから、依存も甘えも寄りかかるのも
安心しては全然出来ず
したくなっても
してるフリで留められるくらいが
きっと丁度いい、そう思っていた
誰かに好きだと言われても、本当の意味で
その気持ちを受け取れなくて
いつまで経っても本当の意味で
相手の気持ちに安心できなくなったのは
きっとそれがきっかけだ
お陰で、今までの恋愛も
交友関係も、依存して相手の足を
引っ張ることは無かった
だけれど
人の好意も、心で受け取らなければ
私の心が内側が腐って枯れていく
人からの愛情を
自ら感じないようにすることは
愛を信じないということ
自分で自分を大きな愛で
愛せていれば、きっといくらか
豊かに少しは潤っていられるけれど
それはきっと、無理にしゃんと姿勢をキープし続けているようで、休む暇もなく
人間じゃないみたい
たまには、一人で生きる自信をなくして、誰かの上に倒れ込む日があった方が
人間をしているような気になれる
ダメな生物であることを
許されているような
そんなタイミングもきっと人間には必要だ
誰かと居続けるためには
絶対的に心で
適度な距離を保たなければいけない
この思い込みのせいで
生きるのに疲れてしまうことはずっとあったし
自分がそうあり続けるということは
無言で静かに相手にもそうであることを
強要してしまっている場面も
今まで生きてきた中
複数あったように思う
今回、色々考えさせられたけれど
これがよく言われている
インナーチャイルドを癒すという
ことなのかもしれない
今思えばその中で自分に依存する相手の心を
あえて近づけず
柔らかく向き合わないことが
親切心だと疑わない部分もあった
その対応自体が間違っていたとは決して言えないけれど
自分や相手の依存心と向き合う恐怖心から
瞬発的に、目を背け
相手の気持ちに気づかないふりをして
必要以上に強く突き放したことは
きっと間違っていたのかもしれない
最初書いた
心の産毛を守り育てる、の意味は
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トラウマなどで激しく傷つくことで
摩耗してしまい、何も感じなくなった
心の産毛(感受性、心の感覚器官、触角、)の再生の為
患者との対話の中で
やっと顔を出した新芽(心の触角、感受性)を
もう一度触れて潰してしまわないよう
大切に大切に
すり減らさないよう
守り育てる
という意味らしい
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きっと、私は
依存的でありながら
ありのまま依存的であることを禁止して
生きてきた自分
そして対比的に自らの感情のまま、欲のまま
それを禁止していない依存的な人を見たくないが為に
無視や静かに距離をとるという態度で
その人達の心の産毛を擦り減らしてきただろう
自分のすり減った心に気づかなければ
相手の心をすり減らす
自分への扱い方は
そのまま、
相手への扱い方になるから
そうして、可能であれば
このようなことを考えあぐねた
この次の瞬間には
相手の心という感受性
そして、人間性を大切にできる
本当の意味で
ひとの心を
柔らかく愛せるような人になりたいと
思った
今日は詩ではなく、日々の気づきブログです。このすごい長文読んでくれた人ありがとう2022/12/16