書く人にとって、無駄なことは何ひとつない。【名作ホラー『猿の手』の再話を手がけた 富安陽子さんインタビュー】
イギリスの作家ジェイコブズによる「猿の手」(1902年)はホラー短編の最高傑作として世界中で愛読され、これまで何度も舞台化、映像化もされるなど、後世の作家やクリエーターたちに影響を与え続けています。
けれど、今、「3つの願い」というキーワードは聞いたことがあっても原作を知る人が少ないのは、もったいない! と、児童文学作家・富安陽子さんが、子どもたちにとって親しみやすい再話に取り組まれ、ファンタジー・ホラーの名作「不思議な下宿人」(カットナー原作)と「魔法の店」(ウェルズ原作)も収録したホラー短編集『猿の手』が刊行されました。
「11歳のときに『猿の手』に出会って以来、その怖さが忘れられない」という富安さんに作品の魅力と、子ども時代の読書体験、そして作家にとって大切なことなど幅広くお話を伺いました。物語を読む喜び、そして、書く喜びにあふれたインタビューをぜひお楽しみください。
(聞き手:ポプラ社編集部 松永緑)
「猿の手」との出会いは11歳のとき、父の書斎で
――この度は短編集『猿の手』の刊行、ありがとうございます。富安さんの生き生きとした語り口で、3つの名作ホラー短編を、今の時代の子どもたちにとって親しみやすい形にすることができました。ところで、はじめにご依頼したときに、即座に「これは断れない!」とおっしゃいましたね。
富安陽子さん(以下、富安)そうでした。
――その理由は、あとがきに書いてらっしゃるように、「猿の手」が子どもの頃に愛読していた特別な思いのある作品だからでしょうか?
(富安)そうです。小学校高学年から、私は父の書斎にもぐりこんで、面白そうな本を選んで読むようになりました。
――お父様は、読書家でいらしたのですか?
(富安)はい。文学だけでなく、建築家だったので建築関係の専門書もあれば、紀行文、時代小説、戦争もの……、さまざまな本がありました。わりに几帳面な人だったので、本棚がジャンル別に分類されていました。
――図書室みたいで、本を選びやすかったのですね。
(富安)好きなミステリーやホラーのところにいって、面白そうな本を1冊抜きだして、抜いたあとがわからないように、本の間隔をつめたりしました。父は気にしなかったと思うんですけど、母は子どもが父の書斎に入ることを良しとしなかったので。父のいない日中に書斎に行って好きな本を持ち出して、また戻して、というのを繰り返しました。ホームズやルパンの探偵ものに始まり、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティー、クロフツなどのミステリーも全部父の本で読みました。
――お父様の本ということは、子ども向けではなく大人の本だったのですね。
(富安)そうです。ポーの「モルグ街の殺人」や「黒猫」などのホラーも読むようになって、そして、「猿の手」が入ったホラー短編集に出会ったんです。11歳のときに読んで以来、心にずっと残っていました。とても怖かったので。
――本当に怖いお話です。そして、その怖さの質が独特ですよね。
(富安)妖怪や幽霊ものと違って、怪奇の本体は姿を現さないのに、恐ろしい出来事が次々に起こっていく。そのじわじわっと迫ってくる目に見えない恐怖が忘れられなくて……。
大人になって読んだら、もっと怖かった!
――帯に「11歳で初めて読んで、怖かった。今読むと、もっと怖い」とコメントしてくださいましたが、大人になって再読した時の方が怖かったのですね。
(富安)はい。子どもの頃は、干からびたミイラみたいな猿の手の気持ち悪さが際立っていて、そこに気を惹かれていたのですが、今回、読み直すと、ほんのちょっとしたことで、一家の運命が大きく狂ってしまう、その不条理にぞっとしました。
――平凡で平和な家族の日常が、一人の客の訪問によってひっくり返ってしまいます。
(富安)呪いの道具によって、不幸やまがまがしいことが起きる話はよくありますが、この作品では、猿の手が直接何かを引き起こすのではなく、人間のワンアクションが災いを呼び込んでしまう。善良な一家をこんなひどい目にあわさなくてもいいじゃないか!? と思いますが、そこに驚きがあって、予測のつかない巧みなストーリー展開に感心させられます。まるでその場にいるような気にさせる臨場感あふれる描写も見事! ドアをノックする音が怖くて、怖くて……。
――音や動きなど、富安さんがテンポよく再話してくださったので、ますます怖いです!
(富安)怖すぎたら、ごめんなさい! 古い時代のお話なので、ややゆったりした描写を少しテンポアップして、会話もリズムをよくして、今の子どもたちがスムーズに読めるように心がけました。
――アンマサコさんの絵には、吸い込まれそうな魅力がありますね。
(富安)はい。それぞれのお話の時代を感じさせるのに、古めかしくなくて新鮮! 作品の雰囲気やキャラクターの個性が絶妙に表現されていて、うれしかったです。人物の背中から悲しみや絶望が伝わってくるのは、すごい! 怖さだけでなくユーモアもあるし。絵に描かれたディテールやドラマもぜひ味わっていただきたいです。
人はどうして、怖いお話を求めるのか?
――ところで、人は「怖い、怖い」と怯えながら、どうして怖いお話を読むのでしょうか? 特に子どもはなぜ怖いお話が好きなのか? 富安さんご自身の経験から振り返っていただけますか?
(富安)「怖いもの見たさ」って誰にでもある気持ちで、子どものときは特にそれが強いのだと思います。私は、幼い頃、家族によくお話を聞かせてもらっていたのですが、祖母は怪談が得意で、何度もねだっては語ってもらいました。
以前、ある保育の専門家から、「心に不安を抱えていない子の方が、怖いお話を好む。それは、どこかで自分は危ない目に合わないと信じているから」と伺ったことがあります。「そうじゃない場合は、もっと安らぎのあるお話を好む。選ぶ本によって、子どもの心の状態が見えてくる」と。もちろん好みというものがありますが、なるほど、と思いました。私も祖母に守られていたからこそ、怪談に夢中になれたのかもしれません。
――お話は怖くても、おばあ様が一緒だから安心だったのでしょうね。
(富安)チェスタトンという私の好きなミステリー作家は、「子どもたちはおとぎ話を読んで世の中に怪物がいることを知るのではない。子どもたちはそんなことはとっくに知っている。その怪物を打ち倒せるということをおとぎ話から学ぶのだ」と言っています。「猿の手」はハッピーエンドではないですが、物語を通して読者は恐怖を経験して、恐怖を乗りこえる力を養うのかもしれないですね。
読書好きの子どもが、自分で書くようになった理由
――富安さんは、幼児向けからYAまで子どもの本を幅広く手掛けてらっしゃいますが、子ども時代の読書体験が、書くことにつながっていますか?
(富安)それはもう、絶対つながっています。
――ご家族にお話をしてもらうのが好きで、お父様の書斎の本を読むのが好きで……、そんな本好きの子どもだった富安さんが、「私も書いてみよう!」と思うようになったきっかけは?
(富安)小学校4年生の時に初めて「メアリー・ポピンズ」を読んで、大好きになりました。「メアリー・ポピンズが空から飛んできたらうちに来てもらおう」と本気で思って、毎日、学校帰りに空を見あげていました。でも、ある日、はたと「メアリー・ポピンズがうちに来ても泊まれる部屋がない!」と気づいたんです。
――サンタクロースが来てもうちには煙突がないって、気づくみたいに!
(富安)そう。それに、「うちの親は乳母を雇ってくれない」と。ジェーンとマイケル(バンクス家の子ども)と私の暮らしは違いすぎて、午後のお茶に呼んでくれるような知り合いもいないし、近所に広い森みたいな公園もないし……。そう気づいたときに、物語の世界が急に遠くなったんです。そして、「じゃあ、自分で書けばいい」と思いました。「私が今暮らしている所からつながっているお話を書けばいい」と。
――すぐに書き始めたのですか?
(富安)書きましたね。だけど、何を書いたらいいのか絞れなくて……。ちょうどその頃、ホラー読物を読み始めて、「呪い」という言葉が気になっていたんです。それで、父に「呪いって何?」って聞いたら、実例を交えて教えてくれました。丑の刻参りというのがあって、誰もいない神社に行って、呪う相手の髪の毛を一本入れた藁人形を五寸釘で打つと相手は「ううっ」て苦しむ。そんなふうに、人に対して悪意を持って悪いことが起きるように願うことが呪いだと。
――とてもわかりやすいです!
(富安)それで、「呪いってすごい!」となって、よし「ホラーを書くぞ!」と意気込んで書いたお話のタイトルが「恐怖の呪い」。でも、全然誰も怖がってくれませんでした。ミステリーを書いても、すぐに犯人がばれてしまうし。
――でも、書き続けてこられたのですね。
(富安)はい。中学生になると、様々なジャンルの本をどんどん読みました。そして、いろいろと気づかされました。例えば、ミステリーを読んで、「ひとつの事実でも、視点を変えれば違うように書ける」とか。司馬遼太郎や山岡荘八などの時代小説も好きで、織田信長など教科書で名前や功績しか知らなかった人が、小説の中では、生きて喋って一人の生身の人間として描かれているのが面白いなあ、と。そういうことを、読書の中でずいぶん学んだなって思います。
書く人にとって、無駄なことは何ひとつない
――作家になるために、大事なことって何でしょうか?
(富安)何かを書きたい人にとって、無駄なことってない。何をしていたって、どこからでも話は生まれます。だけど、そのためには、ちゃんと生活をすること。それが書くことのベースです。よく「どうしたら文章がうまくなるか?」とか「どうしたらこの枚数でまとめられか?」とか、アウトプットに関することをよく聞かれます。でも、書き続けていくことで一番大切なのは、インプットすることなんです。料理を作るにしても、まずは材料を仕入れる。学校の先生だって、自分がいろんな知識を入れないと教えられない。書き手も同じです。それには、ちゃんと生活をすることが大事。
――例えば、「猿の手」の作者、ジェイコブズは郵便局で働いていました。生まれ育った地域の人たちの会話や生活ぶりを作品に反映させたそうです。
(富安)働くというだけではなくて、衣食住すべてに関して好奇心を持って、日々をきちんと暮らす。生きる。そうすると、書きたいことがたくさん見つかるはずだと思います。たとえば、道を歩いている人や犬を見ているだけでも、面白い発見があるし。そういうことをちゃんと面白がって、忘れないで覚えておく。それが一番大切なことです。
――日々を大事に暮らすこと。作家になる近道はないのですね。
(富安)別の仕事をしていても子育てしていても、ありがたいことに、作家にとって、作品を書く上で無駄なことは何ひとつないです。
――毎日書いていらっしゃいますか?
(富安)毎日書いています。
――もし書くことをやめたら……?
(富安)私にとって書くことは仕事っていうか、日常なんですね。書かないと歯を磨いてないみたいな感じ。書かないと気持ちが悪い。顔を洗うのを忘れたような、お風呂に入るのを忘れたような。
――小学生の時に、作家になろうと決意して以来、ずっと書いてこられたのですか?
(富安)はい。高校の時も授業中に書いては、しょっちゅう怒られました。中学の時は50枚綴りの400字詰めの原稿用紙を1日1冊使い切っていました。
――えっ? 1日1冊!?
(富安)さすがにもったいないので、レポート用紙に書くようになりましたけど。それに、今はすぐ乾くゲルインクのボールペンで書いていますが、以前はそんなボールペンはなかったから、縦書きだと書いた字が手でこすれて汚れてしまって。それで、レポート用紙に横書きで書くようになったんです。
――作家になりたい人には、毎日書くことをすすめますか?
(富安)児童文学の創作の講義をしていた大学で、学生によく言ったんですけど、書かなかった理由をあげているうちは書けないって。忙しかったからとか、試験中だったからとか、理由をあげて書かないでいられるなら、書かなくていいかなって思う。私は子育てが一番大変な時も、わずかでも時間があると数行でも書いていました。
――書いているときは、楽しいですか?
(富安)やっぱり楽しいですね。締め切りのことを考えると、楽しいばかりではないですが、いったん書き出すと、それぞれの物語の世界に入るのが楽しくて、楽しくて……。
――書くことは、生涯やめられないですね。
(富安)はい。そういうことです。
――富安さんの作品をもっともっと読みたくなりました。本日は、たくさんの貴重なお話をありがとうございました。
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