『頑張れば夢は叶う』のか?
ぽぬです。
さて、今日からぽぬの社会人生活の
振り返りへと突入します。
私が自分見つめ直すことのきっかけとなる
出来事が起こります。
完全に、人生のターニングポイントでした。
あと少し、プロローグにお付き合いください。
前回の記事のテーマは
『頑張れば夢は叶う』
今回の記事はそれに反するテーマを付けて
書いています。
前回の記事で私は、
『正しい頑張り方で継続できれば夢は叶う』
という、
なんとも意味深な結論を出しています。(笑)
まさに、その言葉の通り。
ただ『頑張る』だけでは『夢は叶わなかった』
体験を社会人2年目で経験しています。
さらに、夢が叶わなかっただけでなく
『自分の心と体を壊してしまった』のです。
私はここまで来て初めて気づきました。
『ずっと、自分のこと大切にできてなかった』のだと。
さて、前回の記事の最後にも書きましたが
社会人1年目の私は
・限界は更新していくもの
・何事にも全力を注ぐこと
・できることは全てやること
・自分が納得するまで試行錯誤すること
・諦めない強い意志を持つこと
このような指針のもと行動を起こします。
それと同時に、この時私は
・より自己犠牲的になった
・自分に厳しく、より完璧を求める
・相手の求めるものを120%こなす必要がある
・責任感が強くなり、プライドも高くなった
思い返せば、真面目が故に
過度に自分を追い込んでしまっていたなと
思います。
この考え方が、絶対的にダメだったとは
思いません。
自分を犠牲にしてでも頑張り切れる人は
居ると思います。
ただ、私には合っていなかった。
そして、極端になってしまっていた。
私が新卒として就職した場所は『調剤薬局』。
そして、こんな私が掲げた目標が
『調剤薬局での管理栄養士としての
仕事の確立』でした。
(目標、デカすぎですよね。(笑))
当時、管理栄養士が調剤薬局に配属される
ことはまだ珍しく、新卒で入った職場は
私たちの年が管理栄養士を採用した最初の年と
なっていました。
つまり、
・上司がいない
・自分たちで土台から作っていく必要がある
いかにも、サークル時代に学んだことが
活かせそうな職場。(笑)
同期は5人。
ですが、配属先は全員バラバラ。
さらに、管理栄養士はその職だけでは
お金にならないため、
(言い方悪いし悲しいですが当時はそうでした)
医療事務の仕事を兼任することが条件でした。
・医療事務員からの厳しい指導
(メリハリのある良い方からの指導でしたが)
・癖のある薬剤師とのコミュニケーション
(キレるポイントが分からないストレス)
・管理栄養士としての活動
(薬局内と薬局外でそれぞれ活動)
正直、社会人1年目にしては「てんこ盛り」な
職場だったなと思います。
会社の方針・環境も整い切っていなかった。
結局、私以外の店舗の管理栄養士は
医療事務員の役割を果たすだけで精一杯。
(人手不足と、薬剤師の協力が得られない)
管理栄養士の仕事の窓口は主に私となっており
(知らない内にリーダー的存在になってました)
私から同期に伝達することが多かったです。
管理栄養士だから、その職の仕事が来たら
第一に優先して対応する。
ただ、他の店舗の管理栄養士は医療事務職に
追われて対応できない。
私自身も手探りなため、上手くさばけない。
徐々に私への負担が増えていく。
そうすると私の店舗にも負担がかかる。
癖の強い薬剤師の機嫌が悪くなり、
店舗内の空気が悪くなる……
最後はいわるゆ『板挟み状態』になりました。
精神的にも体力的にもかなりキツかった。
頼れる人はいなかったわけではないけど、
それ以上に降ってくる仕事の量と内容の重圧がすごかった。
次第に仕事はさばき切れなくなり、
サビ残は当たり前。
最後の方は毎日4時間睡眠が続きます。
休日も関係ありません。
特別お金がもらえる訳でもない。
お風呂も入らずリビングで寝落ちし、
朝お風呂に入り準備してバタバタと出社。
それでも、
『これを乗り越えたら夢は叶うんだ』
『仕事の立ち上げは大変なのは当たり前』
『食らいついていかなきゃ、やらなきゃ』
精神的に折れたらダメだ!気力が大事なんだ!
こう思い続け、体調の異変も見て見ぬふりをし
自分の行動指針のもと、頑張り続けた結果。
ついに、心身共に限界が来ます。
社会人2年目の9月某日。
朝起きると、めまいが。
横になっていても、
起き上がっても止まらない。
目を瞑っていても常に回っている感覚がする。
やばい。
今日は流石に休ませてもらおう…
翌日。
目眩は治らない。症状も変わらない。
運転もできないので、
親に病院へ連れて行ってもらう。
昨日も、今日も鳴り止まない会社からの連絡。
流石に放置はダメだと思い、
めまいに耐えながら、対応する。
診断結果が出た。
『メニエールですね。過労、ストレスなどが
原因となり、発症します。薬を飲んで、
まずはしっかり休息してください』
そんなことを言われた気がします。
大量の薬を処方されました。
1つ、本当に不味いシロップ薬が
あるんです。(笑)
めまいで気持ち悪いため、ご飯もろくに食べる
ことができませんでしたが、
そこにこの不味い薬…地獄でしたね。
店舗にしばらくお休みの連絡を入れるも、
人事(栄養士の仕事を持ってきてくれてた人)
からの連絡は一向に止まることは
ありませんでした。
休みたいのに、休めない…
私が多くの仕事を1人で持っていたこともあり
(一応軽く共有はしていました。ほぼ誰も
手伝ってくれることはありませんでしたが。)
それを責めるように、
『これからどうするのか』
『あれはどうなってるのか』
『これはここまでは対応して』
このタイミングで、そんなこと言わないで…
と、思うことばかり。
病気の原因を取り除けていないため、
症状は回復どころか悪化していく…
過度のストレスで胃が痛くなり、
戻したりすることもありました。
数日後、再度病院に行きますが全くと
言っていいほど休めておらず、症状も悪化。
訳を話している途中、
涙が止まりませんでした。
ドクターびっくり。
(後に店舗のスタッフもびっくり)
『診断書出すから、提出して絶対休んで。』
ドクターストップ。約2週間の絶対安静。
私は、「これでようやく休める…」
とても安心したのを覚えています。
めまい症状が出てから約1週間後の話です。
会社に診断書を提出し、
店舗の人からはかなり心配され、
社長から人事に指導が入り。
ようやく休める状態に入りました。が。
1週間で体重は約3kg減り、めまいも辛ければ
ストレスでみぞおちが常にキリキリする。
眠りも浅く寝たいのに途中で覚醒してしまう。
気分は晴れず(休んでるという罪悪感もある)
訳もなく涙が出る。
そんな様子を見た両親は私に、
『精神科にも行っておこうか。』
そう言ってくれました。
当時の私は、そんなこと言われるとは思っても
いなかったため、一瞬躊躇いましたが
両親の強い勧めのもと、行くことにしました。
めまいが治り切らないうちに、精神科へ。
そこで受けた診断。
『軽度うつ』
「少なくとも、
3ヶ月はお休みする必要があります。」
私は茫然としました。
『わたし、うつになったのか…』
今回もまた長くなってしまいましたが、
就職してから病気になるまでの流れを
ザッと書いてみました。
うつ症状って、
自分では気が付かないものですね。
今、客観的に自分を見ると
『確実にやばいだろ』と思えるのですが、
当時は全く気づいておらず。
ですが、休み始めてしばらくすると
『もう、あんな生活には戻りたくないな。
訳のわからない薬剤師のご機嫌取りも、
もううんざり。』
自分の本音が少しずつ聞こえてくるように。
心に血が通うような、そんな感覚に。
病気になるまで頑張ることは本当に良くない
ことだけど、
病気になったからこそ早めに気づけたことも
たくさんありました。
そして、私はこの3ヶ月の休職期間を終えた後
この職場を退職します。
もちろん、かなり引き留められましたが
私の意思は変わることはありませんでした。
結果、
頑張っても夢は叶わなかった。
むしろ、この時私は初めて、
自分を守るために『頑張ることから逃げた』
のです。
次回からは、
3ヶ月の休職期間、そしてその後。
自分を見つめ直すことを始め、内面的に
変わっていた様々なことについて
書いていこうと思います。
今回もここまでお付き合いいただき、
ありがとうございます。
次回の記事でもお会いできますと幸いです🍀