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理学療法士ではなくPonoな訳②

私の勤めている病院に実習生が来た

実習生は患者さんを診させてもらってそれをレポートにまとめるという課題がある

そのレポートを私たちリハビリのスタッフが補足し学びを深めてあげるのだ

要は質問詰め(ダメ出しをする)にするのです
大変学生としては厳しいお時間なのです
(私も辛かった・・・)

色々言われちゃうからね


私自身このレポートの課題が学びとして意味あるのか甚だ疑問に思うし、
とにかくこの空気感が人間として何だか醜い

そして絶対に聞かれるフレーズがある

「で、その患者さんはどうやって帰ったの?」


学生が「歩行器で帰りました」なんて言えば、
スタッフが「でもこの人は家は○○だよね?本当にそれでよかったのかな?」みたいなことを言う
そこからまた嫌な空気が流れるのだけれども、、、

私にはいつになってもこのフレーズが偉そうで嫌みたらしく聞こえてしまう

社会人になって病院で働くと何だかいつも「退院させる」事ばっかり考えさせられているような気がする

「どうやって返すか」
「どこへ返すか」


なんか納得いかないんだよな




自宅に帰りたい独り暮らしの
呼吸器疾患のあるおじいちゃん患者さんの時も

あばら骨(胸郭)やお腹が硬くて
足が思うように出ないし、呼吸もできない

だから長くは歩けない


リハビリ的にはもう少し体を柔らかくしてあげたら肺に病気があろうと
もう少し歩けるんじゃないか?

だけど現実は退院させないといけない


直ぐに退院させるなら施設しか選択肢はない

それでも

自宅なのか?施設なのか?

迷い

それを急かされる
(決めないと次の段取りも進まないという現実もある)


どうやって返そう?
どこに返そう?


そればっか、、、

確かに正しいけど


患者さんの気持ちはどうすればいい??


理学療法士としてはどうすればよかったのか

何がベストだったのか?
若すぎて分からない



私はいっぱいいっぱいだった

何が正しいのだろうか?

決められない自分ももどかしいけど
先輩の言う事を鵜吞みに機械的に選択するのも正しいとも思えなかった

見落としたくないものが絶対にあった

でもそれは病院に勤める者としては正しくはないのだろうとも思っていた


(やっぱり私は皆と同じことはできないみたいだ、、)





どうしても考えてしまう

「医療」と「経営」は結び付かないんじゃないか?
当時の23、24の私はそう思いざる負えなかった

患者の事を思って医療を提供すれば病院は成り立たない
病院が病院であるためには見ない振りをしないといけないこともある
世の中がそれと同じように医療だってそうなんだ


「どうして病院のトップが医者なのだろう?」

院長ってなんで医者なんだろう?
社長とか経営者でいいのに
肩書や建前ってそんなに必要?

いまいち世の中の常識ってものが理解できない



そして最大の疑問がやってきた

「廃用の患者さんを歩かせろ」という指示


血液データから見ても
「いや、食事が先でしょ、、」
歩けば歩くだけ健康じゃなくなる

あれ?何をやっているんだ・・・

私の中で医療が崩れ落ちた

誰も疑問にも思っていない
20も上の先輩に共感してくれる人が一人だけいたけど
暗黒のルールみたいなのもなのだと分かってそれ以上は何も聞けなかった



でもこれがきっかけで私の中では

「健康の上でのリハビリ、まずは健康を第一に取り戻すことが大切」

という医療人としても軸が出来たのも事実でした



私には曲げられないものがある

「分かった」と納得できないと物事を消化できない
だからストレスが消化不良で溜まっていく

そしてそれは曲げちゃいけないものでもあって

「魂」っていう名前なんだよ


世の中的には「頑固」っていう名前を付けられたりするのだろうけど

世界って広いんだよ
色んな人がいっぱいいるんだよ

だから何人かは私に共感して欲してくれると思うんだ


だから私は一人でもやっていける

自分のためにも人のためにも一人でやっていかなきゃならないと思っている


Ponoはそれがやれる場所だ



Ponoが私のストレスに対する向き合い方と
ストレスに対する感謝の形なのです




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