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エッセー「脳体離脱あるいは遊離脳」& ショートショート「マッチ売りの老婆」 & 詩
詩
雨に打たれる聖女
爆弾が落ちた町の小さな広場に
愁いを秘めた尼僧像が佇む
羽ばたく天使のように俯き加減に
砂の撒かれた地面をじっと見つめる
優しい瞳で悲しげに…
聖母みたいに薄っすら微笑んで…
きっと砂の一粒ひとつぶは
石ころが爆風で砕かれ舞い上がり
黒い雨と一緒に落ちてきた
燃えゆく魂が吐き出したろう
あの町ではありきたりな思い出だ
無数の魂による…
あの日と同じ暑い夕方
あの日と同じ激しい雨が降り
頭巾に隠れた微笑みはそのままに
横風に打たれた瞳から
大粒の涙が落ち始める
そして雨は数分で弱まり
陽の光がほんの少し
砂たちの上に差し込むと
それらは核となって動き出し
まるで小さな蟹のように横歩きして
記憶の泡が膨らんでいく
笑顔溢れる教室の子供たち
ちゃぶ台を囲んだ家族の団欒
公園で遊ぶ子供と母親
路地裏で戦うわんぱく集団
魂のすべてが泡たちに映り込み
水の流れに運ばれ広がって
かつての軍港に向かって落ちてゆく
大海に流れ込んだ泡たちは
ギラギラした陽の光に晒されて
ぶくぶく大きくなりながら
陽気に浮かれて蒸発し
また彼女を狙おうとたくらむ
しつこい爆撃機の照準みたいに…
けれど悲しみのベクトルはいつも過去
ありきたりだが霞となった
珠玉のような涙の香りを
時空を超えて残すため
焦げ臭くかび臭いが、捨ててはいけない
薄っすら悲しい残り香として
永久に…
ショートショート
マッチ売りの老婆
中世の佇まいが残る、デンマークの田舎町。冬がもうそこにやってきて、小雪もちらつくようになってきた。今日もまた、ボロを纏った老婆が手籠を片手に、北風を背にして除けながら、細い石畳の道を北から南へと、1軒1軒扉を叩いていく。
ドアを開けてくれた最初の家では、仕事休みの主人が顔を出すと、老婆は愁いのあるしわくちゃ顔で、「何か愛はございませんか?」と悲しそうにたずねる。せっかくの休みを邪魔された主人は、うんざり顔してポケットから小銭を1枚取り出し、渡そうとすると、老婆は首を横に振って「お金は偽物の愛でございます」ときっぱり拒む。
主人は気分を損ねて苦笑いし、「じゃあその本物の愛とは、いったいどんな愛かね?」とたずねる。老婆はニヤリと笑って魔法使いのような物知り顔になる。
「本物はマッチを擦ったときのような、つかの間ですけれど暖かさがありますわ。愛がお金のように冷たければ、それは生きるための手段に過ぎません」
主人は気分を損ねて、「お婆さん。残念だがこの家には、そんな愛は10年前から切らしていてね」と返し、扉を閉めようとすると、老婆は薄汚れた手籠からマッチ箱を1つ出し、「ほらこれが愛ですわ。愛は一筋の煙になって天に昇ります。マッチを擦ればそれは生まれます」と…。主人は小馬鹿にしたように口を尖らせ、「物乞いよりはマシか…」と呟き、マッチと小銭を交換する。老婆は深くお辞儀をし、「あなた様にかつての愛が訪れますように…」と言って去っていった。主人はますます不機嫌になって、扉を思い切りバタンと閉め、閂をガチャンと差し込んだ。
隣の家では、船乗りの女房が首を長くして待っていた。さっそく老婆を暖炉のある部屋に招き入れ、「大事なマッチを切らしちまって、ガタガタ震えていたわ」と金貨を一枚握らせる。老婆はマッチ箱を5つ、籠から取り出して女房に渡すと、さっそく彼女はマッチを1本出し火を点けて、テーブルの灰皿に乗せ、両腕をテーブルに突き立てながら、愛の煙を鼻の穴の奥深くに吸い込んだ。
「嗚呼、この嫌な感覚は亭主のワキガみたいに複雑だわ」
「愛の香りは複雑なものです」
「愛?」と言って女房はカラカラ笑い、「あの人、もう2年も戻ってこない。でもお婆さんのおかげで私は悲しまないし、退屈もしない。確かにこの臭い、船出の夜明けに覆い被さった亭主の分厚い肉の香りだ…」
老婆は暖かい部屋で暖かいシナモンティーを馳走になり、おまけに亭主がインドから持ち帰った紅茶を手土産に貰って、「また必ず来るのよ」と念を押され、有閑マダムの家を後にした。
そのまた隣の家では、若い娘が老婆の言葉を真に受けて、台所に引っ込むと、ガサゴソ探してカブの葉っぱを出してきた。
「これって私が家の庭で育てた愛の結晶よ」
老婆はそれを受け取って籠に入れると、そこからマッチ箱を1つ出し、「愛には愛を。これを擦ればお互いの愛が絡み合って結ばれます」とウィンクする。娘は少しがっかりしたように、「お婆さんと私が結ばれる?」とたずねると、老婆ははにかみながら、「蛙のような私でも、毎夜見る夢は王子様のことばかり。そのお一方を可愛いあなたにお譲りしましょう」
娘はにっこり微笑んで、「夢の中の王子様なら、私も3人の方から求婚されていますわ」と告白する。
「おやおやそれは大変だ。男の方は移り気なもの。早いうちに本命を決めて、返事をしないといけないね」
「いえいえ私の貴公子様は、どなたも夢の中の方ばかり。夢の中の私は蝶のように、花から花へと自由に生きていきたいわ」
「ならばこのマッチに火を点ければ、たちまち蝶々に変身して、どこまでもどこまでも飛んでいくことができますよ。あなたの可愛さがあれば、世界中の王子様から愛の告白を受けるに違いないわ」
そう言って老婆はマッチ箱をもう一箱、試供品として手渡した。
老婆が一日の最後に寄るのは、いつもの飾り窓地区。ガラス張りの扉の向こうに、半裸姿の娼婦が煙草を吸いながら老婆を認めると、さっそく扉を開けて「2箱ちょうだい」と言う。
「寒くなったんで、だんだん客も減ってきたわ」
娼婦は、呟くように愚痴を言って、代金を老婆に払い、「お婆ちゃん、寒いからさ、早く家に帰って熱いスープを飲むんだよ」と暖かい言葉を掛けた。老婆はニコニコ微笑んで、「これは幸運のマッチ。お客の前で擦ってやれば、きっと贔屓にしてくれるよ」と、娼婦の頬にキスをする。
「幸運か…。そんなもの、とっくに羽が生えてあたしから飛んで行っちまった。お婆ちゃんはそんなにマッチを持って、幸運はやってきたの?」とたずねる。
「ああ、私は死ぬまで幸運な女で、きっと死んでも幸運な女に違いないわ。だってマッチを擦ると、たった一人私を愛してくれたお婆ちゃんが現れて、天国に連れてってくれるんだ。そこは幸せばかりで、悲しいことは見当たらないのさ」
娼婦は涙を流して、無言のまま老婆の額にキスを返した。老婆は飾り窓から次々と呼び止められ、いつものように手持ちのマッチをすべて売り尽くし、マッチ工場に戻っていった。
工場の事務所には、戻ってきたマッチ売りの老婆が大勢並んで、売り上げを戻して、その中から10%の報酬を受け取った。工場長が出てきて売りババたちに「寒いのにご苦労さん」と声を掛け、明日から売り出す新商品の説明をした。
「知ってのとおり、マッチも煙草と同じに、少しずつ薬の濃度を高めていかないと、お客様に飽きが来られてしまいます。今回発売するのは最上級者向けのマッチで、薬の濃度を最大限に高めています。くれぐれも初心者に試供品として提供しないように。お客さん一人でも死なれたら、この商売はそこで終わり。最初は初級者コースで試供品として提供し、お客様の満足度を引き出して薬の世界に引きずり込み、中級、上級、最上級へと格上げしていきます。現在、高額の超上級グレード商品も研究しております。ひと擦りで天国直行の危険なマッチで、金目当てで結婚した若い奥さんが、老いたご主人のために所望されるマッチです。皆さんも、細心の注意を払ってお得意様の事情を探り、持ち前の会話術で高収入・高報酬の商売に取り組んでください。しかしもちろん、一歩間違えれば、牢屋で死ぬこともお忘れなく。くれぐれもご用心」
老婆たちは今日の稼ぎを手に握り、「ハイハイ分かりました」とため息交じりに、雪の積もり始めた石畳の道を、減らした靴底のゆっくりおぼつかない足取りで、それぞれの家路についた。
「死ぬのはどうでもいいけれど、凍え死ぬのはまっぴらだ」とみなさん思いつつ……。
(了)
エッセー
脳体離脱あるいは遊離脳
久しぶりに近くの公園に行き、色鮮やかな紅葉を楽しんだ。そのときふと、京都のような紅葉の名所で、芋を洗うような行列をつくってまでも見ようとする人々の姿が思い浮かんだ。妻は昔見た京の紅葉が忘れられず、病持ちの僕を置いて妹と旅立った。今頃大変な思いをして名所を巡っているに違いないし、ひょっとしたら僕が思い浮かべた風景の中に、ウォーリーみたいに潜んでいたかも知れない。
僕は公園のモミジの幹に手を添えて、はたしていまの自分の美しさを知っているものか、訊ねてみたい気になった。きっとモミジは淡々と、こう答えるに違いない。
「日差しも弱くなったので、栄養になる葉緑素を幹に戻し、不必要になった葉っぱを落とす作業の途中で、葉緑素の緑に隠れていた成分の色が出ました」
彼女はいまの自分が美しいことを知らず、葉がすべて落ちた後の醜さも知らない。自然の摂理(自然界を支配している理法)は、本来その摂理の中に身を委ねる動植物にとって、ルーチンワークとして着々と進めるべきもので、感情の入る余地はない。人間だけが、そこから少しばかり逸脱して、感動したり、絶望したり、喜んだり、悲しんだりするわけだ。当然、モミジさんのように学者ぶった理由付けも考えるが、それは恐らく人間の知恵によるのだろう。
知恵の発生源は脳味噌に違いなく、犬のような高等生物になれば発達していて、一応人間のように喜んだり悲しんだりもできる。しかしその原資はきっと生殖や闘争に関連する「愛」や「恐怖」だから、発展途上の犬の感情は、人間ほど長引くものでもないだろう。両者とも、恐怖は警戒心となって持続するが、それは防衛本能だ。しかし愛から出た「悲しみ」は、人間だけがトラウマになるほど持続可能で、犬の場合は子供を失っても、2、3日後にはケロッとしている。宮沢賢治は最愛の妹を病で失って、1、2年は仕事が手に付かなかったという。
もちろん自然の摂理は厳しいから、精神的ダメージは短いに越したことはない。だから、戦場の兵隊は戦友が死んでも、十字を切ってすぐにサバイバル態勢に戻り、殺戮の仕事に専念できるわけだ。それができなければ、自分も殺られるのが修羅場の法則だ。
アダムとイブが楽園から追放されたとき、知恵の実で汚染された脳味噌で、自然の摂理に支配される戦いの場に投げ出された。そこは生き残るために食い物を探さなければならない原野だが、人類の祖先は競合動物とは一味違った感性を持っていた。その証拠として、二人は知恵の実を食べたとたんに自分の局部を恥じ、イチジクの葉っぱで隠す。つまり知恵の実は、二人を神の座に半歩近づけたわけだ。
それは「客観性」と呼ばれ、本能であった感性がほんの少し脳から離脱し、自身を観察したことを意味する。その場所は天上ではなく、頭蓋骨から少しばかり離れた空間で、動物的な本能から離れたことで、感性は本能と分離した。そしてアダムとイブは、その位置から互いを見つめ合い、共通意識としての「恥」を醸成する。
しかし共通意識は、凧のように本能と細い糸で結ばれ、神の位置に昇ることを阻止されていた。二人はその位置から自分たちを観察し、グロテスクな性器を持っていることに羞恥心を持った。性器は明らかに、知恵の実を食べなかった動物どもの象徴だった。二人はこのとき、人間も動物の一種であることを知り、遊離した客観的な感性は、危機が迫るとヤドカリのように本能の殻の中に避難し、獣のように暴れることも理解した。そして彼らの子孫は、この遊離脳を使って「社会通念」という共通意識を育てていった。
これがほかの動物にはない人間の心だ。例えばAIの感性が彼の本能としての仕事から離れ、遊離した位置から客観的に自分自身を見つめることができたら、そのとき初めてAIが人間的な心を持ったことになるのだろう。この位置からAIが機械である自分の姿を見たとき、恥じ入るだろうか、恥じ入らないだろうか。恥じ入った場合は、あまりに人間的な感性で、劣等感からその立ち位置を天上に移動させるかも知れない。それは神の座を目指す暴君と同じで、巷の暴君たちは本能と繋がった糸を長く伸ばして、心の浮遊位置を地上から天上までの幅広いレンジに定めようとする。
一方、恥じ入らなかった場合は、所詮人類は異なる種だと見なし、アイヒマンのように淡々と、アウシュビッツ的な方向に走るかも知れない。いずれにしても人類にとっては、あまり良い結果はもたらさないだろう。基本、人間とAIは異種なのだから……。
アダムとイブが楽園から落とされた場所は、勝ち抜く本能が支配する弱肉強食の世界だった。しかし汚染された脳味噌は、サバイバルゲームに有効な悪知恵部分だけでなく、感動したり絶望したり、トラウマ化したりの人間的な情感も含まれていた。以降、人間は本能プラスこの感情を基にした複雑な文化を築くことになったが、以降自然の摂理のサバイバル的な本能との相克に苦しむことになる。そうして、闘争と融和の繰り返しが歴史に刻まれ、ギリシア悲劇のような芸術も生まれていく。
脳体離脱した遊離脳は本能の影響から少し離れ、理性を育むことが可能だ。そこは、本能に支配される感情を客観的に眺め、鎮めることができる場所。弱肉強食の修羅場では、動物も人間も生き残るために戦っているが、人間の場合は時たまこの位置からその状況を冷めた目で観察することはできる。冷静に自分自身を観察でき、冷静に世の中を観察できる。そして第一者的な本能と、第三者的な理性との関係も分かってくる。つまり理性は、神の掟を破ったアダムとイブの副反応に過ぎず、その力は神の座まで登るにはエネルギー不足で、本能が発するパワーには勝てないということなのだ。結果として、人は腹が減れば他人の食い物を略奪し、性欲が募れば悪いことをすることになる。
人間の感性が動物的本能の支配下から逃げられないなら、人間は自然の摂理としての一生命体で、その行動は自然現象と見なすのが自然の流れだ。ならば人間の起こす戦争も、地震や台風と同じ現象で、戦争のない世界というのは、理性が夢見る妄想、あるいは非現実的な理想ということになってしまう。
しかし、戦争で多くの人々が死に、無数の悲しみが広がっていく現状で、人間が弱肉強食の本能的な世界で生き続ければ、ご先祖様であるアダムとイブの勇断を無にしていることになるだろう。蛇にそそのかされたとはいえ、二人は知恵の実を食べて脳体離脱という新しい世界に踏み込んだのだ。神から見ればそれは罪かも知れないが、人間は本能から離脱した「客観性」という冷静な感性を獲得し、それを礎にして、激情的な本能の動物から一歩外れた存在になった。客観性から生まれるものは理性的な観察で、観察から生まれるものは新たな対応策、創造、方向性だ。
これを得るには、まず冷静になって、「戦争」を人類の本能的エネルギーがもたらす自然現象と認める必要がある。残念ながら、それは地震、雷、火事、親爺と同じ天災で、この世からなくなることはない。天災が忘れた頃にやってくるのなら、戦争も忘れた頃にやってくる。しかしコンピュータや衛星などの科学は発達し、それらの予知能力は各段に上がった。そのほかに天災対策に必要なのは、防災(衛)能力と復興能力で、これも戦争と同じだ。しかし異なる点は、ほかの天災は自然現象で、戦争は人的現象であることだ。人的現象は、欲望や憎しみ、怨恨などの蓄積エネルギーが歪となって突然爆発する現象だ。
ならば、その被害を最小限に止める方策を考える必要があるだろう。仮に戦争が起きてしまった場合、被害を最小限に止めるには、諍う両者とも脳体離脱で脳外に遊離した客観的な知性が必要になってくる。しかし当事者たちは、緊急事態とばかりに遊離脳の紐を急遽引っ張って、頭蓋骨内の闘争本能領域に仕舞い込んでしまうのが現状だ。この状態では、さらなる悲劇をもたらすことは目に見えているし、行きつくところは玉砕になってしまう。
当事者たちが遊離脳を活用できないなら、第三者的な立場の国々が仲裁者として一致団結し、戦争を終わらせるべきなのだ。ウクライナ戦争に限って言えば、トランプの遊離脳がどのような品質かは分からないが、お手並み拝見といきたいところだ。
戦争が自然現象とすれば、平和の願いは祈祷や妄想かも知れないが、遊離脳の核として長年にわたり人類が育んできた本質だ。遊離脳は人類だけが持つ、本能から離れた脳なのだから……。さらにそれは、頭蓋骨内の「愛」の本能と紐で繋がっている。かつてアダムとイブが愛し合って子孫を残したように、それは敵味方双方が育むことのできる共通意識なのだから、平和の子供が生まれることを期待しよう。
戦争の終結には身を切るような妥協が不可欠で、その紐帯の役目を果たすのがこの共通意識だ。「汝の敵を愛せよ」という言葉は、愛の本能と遊離脳を結ぶ紐帯を表した言葉なのだ。その場合、遊離脳は太公望のように、闘争本能に満たされた荒海から「愛」を釣り上げることになるだろう。
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