エッセー「被団協、ノーベル平和賞の意義」& ショートショート「メシアの陰謀」& 詩
エッセー
被団協、ノーベル平和賞の意義
今年のノーベル平和賞は、日本被団協に授与された。ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルは、新聞に「死の商人」と書かれたことをきっかけに、遺産を原資とする賞の設立を遺言に残したが、そう考えると平和賞ほど彼の思惑を具現した賞もないだろう。
もちろんこの賞に限らず、ノーベル賞は「人類に対して大きな貢献をした人々に与えられる」ものだ。当然、「人類」はすべての人間という意味であり、一部の人間集団でも多勢の人間集団でもない。元々ダイナマイトは、掘削や採掘、都市開発、インフラ整備などで利用され、全人類にあまねく貢献する発明品であるはずだった。それが爆弾や砲弾の原料としても使われるようになり、人類に貢献すると同時に、人類に悲劇をもたらすといった「二面性の発明品」になってしまった。そしてノーベルは、ダイナマイトの負の側面に心を痛めたわけだ。この二面性を象徴的に表現すると、「理想」VS「現実」、あるいは「筋論」VS「現実論」ということになる。発明者がいくら平和的利用を願っても、現実的には殺戮行為にも利用されるという二律背反……。
そう考えると、世界で最も権威ある受賞分野といわれる自然科学などは、その多くが「二面性の発見」「二面性の発明品」となる危険性を孕んでいるだろう。例えば「原子力」は、貴重な電力資源として貢献するが、原爆や水爆、事故では被害者を生み出す。コロナワクチンは多くの患者の命を救うが重篤な副作用も生み出し、未だその対処法は見つかっていない。今年物理・化学賞を受賞したAI分野だって、それを総体として考えれば、全人類に貢献している部分と、殺戮兵器に利用される部分があり、さらにAI自体が将来的にどのような副作用をもたらすものか、危惧する人々は多いだろう。「良薬口に苦し」のように、先鋭的な発明・発見はそれなりに副作用も大きく、使い方次第では苦い思いをする人もいるということ……、受賞者だってノーベルが歩んだ人生を繰り返す可能性が無きにしもあらずだ。当然、それらの成果は研究者が発表した時点で、その使用責任は全人類に委ねられる。ノーベルが「死の商人」と揶揄される謂れはないだろう。
発見・発明は、いったん歴史に刻印されると、それが災禍をもたらしたとしても、過去に戻ってその知識を消すことはできない。だから、後にそれを利用する者の心意気に掛かっていることになる。鋭利なナイフは、使用者責任で料理にも人殺しにも使える。全人類がノーベルと同じ心で、人類の発展のために技術を利用すれば何の問題もないが、全人類があまねく高邁な精神を持っているかというと、そうではないから困るわけだ。
資本主義社会では、優れたテクノロジーは人類に貢献すると同時に、打ち出の小槌のようにお金も生み出してくれる。創設者ノーベルをはじめ、受賞者の多くは新しい真理や技術を探究する「理想主義者」であるはずだが、ひとたび評価されると空の高みから下界に降臨し、巷の研究者たちが砂糖に群がるアリのごとくワッと集まって、その成果をさらに応用進化させようと切磋琢磨する。そこで不都合な現実という鬼っ子も生まれてくる。そのとき、理想は現実と対峙することになる。ノーベルは自分の技術が鬼っ子を産んだことに心を痛め、ノーベル賞の設立を考えたわけだ。
研究者の中には高邁な理想主義者もいれば、錬金術師のような現実主義者もいる。カネ、名声、地位というわけだ。この世が資本主義なら、理想主義者の肩にも札束は乗るかもしれないが、目指すは「全人類への貢献」なので、カネに興味がなければ寄付や社会貢献をすればいい話だ。しかし研究者の中に現実主義者(功利主義者)がいれば話は違ってくる。現実世界はカネを目的に蠢く社会だから、彼は平気でその技術を武器商人に売ることになる。ならばその技術は全人類のための技術から、一部の人々のための技術に成り下がる。その人々は勝者を願い、権力を願い、一攫千金を願い、覇者を願う人々だ。
プラトンが生きた時代よりずっと前から、世の中は常に現実主義で動いており、カネの力が権力となる現象は、いまに至るまで続いている。『イデア論』を展開したプラトンは、理想の世界から現実世界に降臨したような国家君主(哲人王)を考案したが、王様に厳しい条件を付けた。
その王様は「善」のイデアを熟知しなければならず、その域に達するまでは厳しい教育プログラムを完璧にマスターし、狭き門を通過した超エリートだ。おまけに彼は、私利私欲を抹殺するために家族や財産を持ってはならないといった、聖人のような日常を送らなければならない。古代も現在も、現実社会で理想主義を具現することは、至難の業というわけだ。
しかし現実主義で動く社会でも、理想主義はしっかりとベーシックに生きていることは、今回の衆院選を見ても明らかだろう。例えば石破氏は、首相就任前は党内野党としていろいろ筋論を唱えていたが、首相に就任すると党内事情という現実論に絡め取られ、党の伝統的マニュアルで選挙に臨んだため、惨憺たる結果を招いた。
彼の言論は理想論者(特に外交・安保)として現実論者の政治評論家から失笑を買ったが、理想論はむしろ国民に新鮮な印象を与えていただけに残念だ。彼が知らなかったのは、国民の多くは政治をイメージ的に捉えていて、そこでは現実論よりも理想論が勝るということだ。期待は理想で、たとえ理想論がどんなに実現不可能なものでも、現実社会に不満を持つ庶民にとっては希望を抱かせるカンフル剤(刺激薬)の役割を果たすということなのだ。彼は党内事情とやらでそれを放棄し、失敗した。かつて小泉純一郎総理は、「自民党をぶっ潰す!」という強烈カンフル剤をぶっ放し、大勝利を飾ったのに……、だ。
景気や経済は大方、現実主義的に動いていく。しかし株式相場は思惑で動いている。「一寸先は闇」という言葉があるが、人々にとって明日は現実ではなく、夢の世界にあることを忘れてはいけない。だからその中に、「庶民の生活を豊かにする」という理想論はしっかり存在する。「世界を平和にする」も同じだ。具体的なマニュアルがなくても、理想論は現実論の道しるべとして機能している。
現実社会でそれらを具現するためには、政府はいろいろ策を打たねばならないだろう。しかし当然、現実的に国民経済は「二面性」を含有する。限られた財源の中で低所得者を補助しようと思えば、高所得者の税負担を重くしなければならないだろう。それが嫌なら、両者がウィンウィンとなるような経済発展を、政府主導で推進しなければならない。現実世界で理想を具現する哲人王のような英知が、首相にも求められるということだ。
二面性は経済分野に限らず、外交、安保、健保、年金等々、あらゆる分野で刺のように刺さっている。そしてそれは「理想」と「現実」の戦いでもあるわけだが、「チョイス」ではなく、弁証法的な「融合的(止揚的)上昇」なのだ。対抗や戦いが人類の災禍なら、人類は両者の接近・融合を連綿と、シシュフォスのごとく繰り返す運命を背負っているわけだ。
さて、話をノーベル平和賞に戻そう。平和賞の多くも二面性を持っていることは確かだ。受賞者にはナディア・ムラド氏やマララ・ユスフザイ氏などの人権活動家も多く、必ず敵対勢力(思想)の存在という二面性を持っている。ユスフザイ氏の掲げる「女性の権利」だって、自民党の中には未だに眉を顰める勢力もあるぐらいに、神道的ともいえる固定観念が存在する。アメリカでも、女性が大統領になることを嫌う保守的男性は多いという。ムラド氏もユスフザイ氏も、ある意味では宗教的感情に対する抵抗運動家ともいえるだろう。
しかし今回の日本被団協の受賞はどうだろう。核保有国は、それを使おうと思って持っているわけではない。チンピラが腰にナイフをチラつかせるように、威嚇のために持っているだけだ。プーチンだって全面核戦争は恐れているから、鞘から刀を抜いても構えたままで、よほどのことがない限り使おうとは思わないだろう。きっと教会で、抜いた刀を使うことのないよう祈っているに違いない。プーチンでさえそう願うのなら、きっと全世界の悪人も善人も、核の不使用を願っていることだろう。
だから今回の受賞は、本心においては反対者のいない「一面性」の受賞であることは間違いない。それはこの世の中で、極めて珍しい現象だ。全人類が核の不使用、廃絶を願っている。そしてこの珍しい現象は続いていき、きっと核のない世界が実現するに違いない。たとえ現実論者が、「プーチンが使うその日まで……」と皮肉っても、イデアの世界は降臨すると信じよう。我々は毎夜、夢を見ながら生きているし、自己実現の始まりも、ある日見た夢なのだから……。
PS:ちなみに僕が今宵見るのは、「一面性」のエネルギー革命が成功して、「二面性」のエネルギーが消え去る夢だ。この豊富な新エネルギーの利用で地球温暖化は退行し、安価な海水淡水化で砂漠も緑地化され、世界中の人々が豊かに暮らしている。きっと全人類が「金持ち慌てず」の心境になれば、いがみ合うこともなくなり、イデアの世界に住む「理想」たちは重い腰を上げ、白雪のごとくさらさらと舞い降りてくるに違いない(夢の中の夢かしら……)。
ショートショート
メシアの陰謀
某国の某カルト教団で起きた話である。ある日の集会で、教祖は約1000人の教徒の前で、昨日見た夢の話をした。
「私は夢を見た。それは取りも直さず神のお告げであった。神は私にこう述べられたのだ。メシアはすでに降臨した。赤子の魂に宿ったのだ。そしてお前たちの務めは、その幼子を捜し出し、その血肉を大切に育て上げることだ、と……」
教祖の説教を受けて、教徒たちはさっそくメシア(救世主)の宿った2歳以下の幼児を捜すことになった。しかし、何の手がかりもないまま、国中の幼児の中からメシアを捜し出すのは至難の業だ。ところが幸いなことに、教祖はその3日後に、再び神のお告げを受けたのだ。幹部たちは、そのお告げを基に、全国から100人の幼児を選び出し、リストアップした。この100人の幼児の中に、メシアの宿った子が存在する。そして女性リーダーを中心に男女5人のチームが100組、にわかに編成された。
教祖は、チーム全員を前に訓示した。
「君たちがこれから行う行為は、幼児誘拐という凶悪犯罪だ。しかし神はそれを望まれている。神の御意思の前では、下界におけるどんなに残虐な行いも、正当化されるのだ。なぜなら、神が遣わしたメシアは、滅亡間近のこの世を救う方であらせられる。我々は、何としてもメシアを捜し出し、この世を救わなければならない。君たちの大罪は、神の御意思として、すでに浄化されているのだ。神のもとチーム一丸となり、必死の覚悟で成し遂げてほしい」
幹部がチームごとに、ターゲットとなる幼児の詳細なデータを誘拐マニュアルとともに渡した。そして各チームはそのデータを基に、全国に散らばっていった。
弟子たちは神のお告げを信じて、次々と幼児を誘拐した。その多くは、子供をベビーカーに残して、母親が買い物をしているときだった。ベビーカーには封筒を残すことになっていた。中の手紙には簡潔に、警察には通報しないこと、5日以内に身代金1億円を指定の口座に振り込むこと、確認できたら5月5日に子供を必ず返す、といったことが書かれていた。すなわち、誘拐された子供の親は高額所得者で、たった1億円のことで警察に通報する者は誰もいなかった。
しかしヘマを犯したケースが3チームほどあり、幼児は誘拐したものの、メンバーの1人か2人が周囲の人々により取り押さえられた。もちろん連行されても、彼らはマニュアルに忠実に、黙秘を貫き通した。しかもこの3件のケースでも、親たちは置手紙を警察に見せず、密かに身代金を振り込んだ。
そうして100人の幼児は、教団が所有する秘密の施設に集められ、チームリーダーが乳母役となり、育てることになった。教徒のほぼすべてが、身代金の話を知らなかった。誘拐した100人の幼児の中の1人が世界を救うメシアなのだ、と固く信じていた。
幼児たちとの共同生活が始まってから2週間後、教祖がまた夢を見た。教祖は悲しそうな顔をして、全員の前でこう述べた。
「残念だが、君たちが誘拐した子供たちの中にメシアはおられないと神は断言された。それは当然、全知全能の神の所為ではない。明らかに我々のミスである。特に私は、君たちの前で頭を深く垂れなければならないだろう」
すると幹部の一人が叫んだ。
「教祖、頭をお上げください。これは私たち全員の信心が足りなかったせいです」
すると全員が幹部に倣い、「教祖の所為ではありません!」と復唱した。教祖はそれに涙し、後を続けた。
「神は夢枕でこう述べられた。100人の子供を5月5日までに、それぞれの親元に返しなさい。そして新たに、100人の子供を選別し、引き取って手厚く育てなさい。その中にメシアは必ずいるだろう。降臨したメシアにすべてを委ね、何としてもこの世の終わりを止めなさい、と……」
幼児の返還は、各チームリーダーの責任で行われた。公園のベンチに置き去りにする者もいた。幼児を抱いて被害者家庭を訪問する者もいた。交番に出頭する者もいた。逮捕された者が身代金のことを問われても、「つい可愛くて」といったり、知らぬ存ぜぬを通したり黙秘したりで、決して組織のことを話す者はいなかった。彼らは捨て駒かもしれなかったが、神の騎士団の一員であることに誇りを持っていた。そしてなによりも、教祖を信じていた。
(了)
詩
堕天使故郷に帰る
いつか遠い遠い過去
生まれたての背中には
純白の翼が生えていた
いつか遠い過去
やんちゃな天使は神様を小馬鹿にし
神の国から下界に落とされた
いつか遠いが少しばかり近い過去
その翼は下界の重力に耐えうる
流行り病を運ぶ蝙蝠のような
大天使ミカエルにもきっと勝る
黒光りした鋼鉄製の不気味な
頑丈な翼に生え変わった
いつか遠いがもっと近い過去
天上の神とやらに対抗するため
下界の神になろうと野心を抱き
娑婆の隅々まで飛び回り
大小色とりどりの爆弾を落とし
大小色とりどりの悲劇を演出して
大小色とりどりの人々を恐怖に陥れ
サタン、サタンと称えられ応援され
神様とやらを超えたと鼻高々に喧伝した
いつか遠いがほんの少し過去
下界は天上の植民地であることを忘れ
薄皮一枚下は無間地獄であることを忘れ
神様の怒りを買って追われることとなり
ほろ酔い気分で絢爛豪華な玉座の夢を見ながら
愛らしいキューピッドのようなお子様風の
ちっこい死天使にたやすく心臓を射抜かれ
地獄に渡る溜息橋から沈む夕陽を望みつつ
立ち止まって懐かしみ、愚かにも感涙した
堕天使よ、悪魔なら人肌の涙は心意気の破綻
なぜなら天上も天国も、臆病者の賭け込み寺
そいつは金色に輝く夕陽みたいにメッキされ
微かに光るが、あるかないかも分からぬ絵空事
きっと母乳を求める幼子が
稚拙な欲望を満足させようと
ひもじい空腹を忘れるために泣き疲れ
諦めて微睡むための揺籃のごとく…
詭弁に幻影は不要だ、ただただ奪い続けよ
幼児のごとく、下界の我欲を受け止め睨みつけ
稚拙な満足を追求しろ、獲得しろ、愚か者ならば…
満足こそがお前の崇める神様で、お前は欲望の下卑た使用人
暖かい春風の中、天国では…
巣から飛び立つヒバリたちが
天壌無窮の草原を見下ろして
そこかしこで愛の歌をさえずっているのなら、…それは
死にいたる病の小さなエビデンス、快復兆候の万華鏡
けれど天国は、小さなエピソードの点在に過ぎない
そいつは幸せ色の星々が輝く、霧雲のような天の川
オアシスからオアシスへと、鼻を鳴らして水を追う
ラクダの夢に等しい賭け心、累々と
一か八かに破れたしゃれこうべが、枯れたワジに散乱する
嗚呼しかし、下界とは、娑婆とは…
その山脈は天上につながり
谷々は奈落につながる、切れ目なき縫製技術
ほころびがあれば爆発、真空崩壊、あの宇宙船のように…
きっと愛を求める愚者たちが
稚拙な欲望を満足させながら
永久の眠りの前奏としての修羅場から滑落し
死の旋律に乗ってあれよあれよと運ばれる
上向音下向音かの賽の目で、どちらかに選別され…
善い悪いはすべてふるい分け、偶然の気分に翻弄され
偶然の出会いで投げられる
住人の多くが飛ばされて、偶発的に死んでいく
疾病のセオリー、事故のセオリー
殺戮のセオリー、犯罪のセオリー云々、運命さ…
凍てつく北風の中
飛び立つ爆撃機が
無限の戦場を舞台に
そこかしこで猛り狂う
爆弾の音も機銃の音も
阿鼻叫喚の叫びも冷酷な笑いも、快楽も慟哭も
悲しみのメロディーも罵り合いも
スプレーを吹きかけられたゴキブリのごとく
あるいは瘡蓋みたいにガサガサゴソゴソと重合し
悪魔の不協和音となって鼓膜をからかい、最後は破る
鼠を弄んで殺す猫のように…
そうだお前は分かっているが
分からない振りもしている
近頃娑婆は暑くなりすぎて
奈落の氷がどんどん融け始め
いずれすべてが地獄に流れ込むことを…
悲劇は雨水のごとく川となり、上から下へと流れゆく
あるいは津波の引き波のごとく、強引に引きずり込む
地獄の底へ、あるいは虚無の底へ…
嗚呼堕天使よ、活躍の場に水は迫る
穢れ尽くした下界に、泥色のお前は消えちまう
ならばその重々しい翼をさっさと畳んで
衣装屋のガラスを割ってカーニバルの背羽を強奪し
殺した主人の魂でも手土産に
かつてお前が生やしていた純白の翼を背に
気楽に故郷へ昇るがいいだろう
そうさ、あの懐かしき天国さ
そこはかつてお前が産声を上げた場所
純白のおくるみの中で、もういっぺん
穢れなき魂のまどろみを味わうがよい
それはお前の血塗られた一生のスタート地点
まるでそいつは、かつてお前が生を授かった
揺籃の中の夢の中の、また夢の世界…
マトリョーシカのごとくツタンカーメンのごとく
お前の亡骸は固くガードされている
弓矢で武装した天使たちに…
日帰り旅行はほんの一瞬だが
地獄への土産にはなるだろう
まどろめ、まどろめ、まどろめ、ひたすら…
分かるだろう
幸せはただそれだけ
虫けらのように単純だ
嗚呼、お前に残された最後の天国
夕陽のようにゆらゆら輝く揺籃に揺られ
ズタズタにされたお前の心は癒される
ほんのひと時といっても、時は心持ちで伸び縮みする
拡張機能で、思う存分引き延ばせ
ピクセルは足りなくなるが、虫けらは騙される
だってお前の人生にとっては
残されたたった一つの、真っさらな思い出なのだから…
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