走って感じた「駅伝競技」の魅力
こんにちは、ひろです。
先日は『陸上競技が好きになったきっかけ』というタイトルで、私が感じる陸上長距離の魅力について語らせていただきました。
中学1年生の時に陸上競技に出会ってから10年間、陸上競技に携わる活動をしてきましたが、↑の記事で語った魅力だけでは10年間も続けてこれませんでした。
10年間、自分自身に衝撃を与え、奮い立たせてくれたのは、他でもない「箱根駅伝」です。箱根駅伝が大好きで、仮に選手として箱根路を走れなかったとしても、「大学生になったら何らかの形で箱根駅伝と携りたい」という私の夢があったからこそ、私は10年間もの間、中学高校では選手として、大学ではスポーツ新聞や大会運営の立場から陸上競技と携る事ができました。
今回はその箱根駅伝を知り、夢見る少し前の話、初めて「駅伝競技」に触れて自分自身が感じた魅力について振り返っていきたいと思います。
私は中学2年生の冬、長距離のタイムをドンドン引き上げていた事もあり、校内の代表として、駅伝選手に選出されました。私はチームの副将としてアンカー区間を担当しました。
前の区間の選手は他の3チームとの団子状態で、7位で襷を持ってきてくれ、私がそのままの順位を保つことができればチームは入賞でした。(8位までが入賞)
実際、私は設定していた目標タイムを上回る走りをする事ができましたが、競り合いをしていた3チームに勝つことができず、結果的にチームは10位と入賞を逃してしまいました。ゴール直後、チームのみんなが迎えてくれた時に、なぜだかものすごい量の悔し涙が自然と流れていました。テニスで他の選手に負けた時や普段の陸上の大会で自己ベストが出せなくても、次頑張ればいいやってすぐに気持ちを切り替えられるのですが、この時は人生で初めて本気で悔しいと思った瞬間だったと、今も鮮明に覚えています。
私自身の、この人生一悔しい経験こそが、私を駅伝競技に没頭させ、テニスを辞めて陸上競技を本気で始めようと思わせてくれた、いわば人生の転機だったと思います。この経験がなかったら、箱根駅伝をテレビで見る事もなかったし、今いる自分の友達の9割は出会えていなかったです。
では、この駅伝競技を走った経験の何が自分を熱くさせたのか、陸上競技や他のスポーツにはない駅伝の魅力はなんなのか?という部分について、私が自己分析したところ、その理由は大きく2つありました。
1つ目は、没頭する部分(目標設定)が少し陸上競技と違うこと。2つ目は、駅伝競技が個人競技であり、団体競技でもあったことです。
厳しいからこそ挑戦し甲斐がある。より大きくなれる。
前の記事でも語った通り、陸上競技には「シンプルに自分自身に没頭できる」という絶対的な魅力があります。「相手という存在によって自分の成長過程が薄れて見える」という事はないからです。周りの人と比べずに自分の成長を一番に考えて自分自身の変化を一番に楽しむことができます。私は陸上競技のこの側面が大大大好きです。
駅伝競技においてもチームメンバー全員が昨日より速く走れるようになるという充実感を持ちながら取り組む事が可能なので、陸上競技の魅力を十分に活かせているといえます。
しかし、駅伝競技は、その「自分自身に没頭すること」よりもう一歩踏み込んだ位置での目標設定が要求されます。
実際に走ってみて感じたのは、駅伝競技は陸上競技以上に闘志が求められるスポーツです。タイムよりも順位にこだわった目標設定を求められる側面が強いと思います。
いくらチームのメンバー全員が各々の目標タイムを切ったとしても、最後アンカーの選手がゴールした時に、他のチームに胸の差で負けてしまえば、結果は負けになってしまいます。逆に仮に自チームの主力選手が出場できなかったり、目標タイムを上回れなかったとしても、他のチームより早くゴールに辿り着いていれば、勝利になります。
「相手の走りをコントロールできない」という部分では陸上競技と全く同じですが、「目の前の相手より先にゴールをしたいという気持ち」こそが、駅伝競技をやる上で一番持っておかなければならないものということになります。
そういった意味で、「自分自身しかコントロールできないこと(相手の攻撃を阻止する事ができないこと)」と「勝利を満たす基準が相手に勝つこと」という矛盾した概念を扱うこの駅伝競技こそが最も難しいスポーツなのではないかと感じます。
そのような最も難しいスポーツで勝利を手にするには、何よりもシンプルに、他のどこのチームの誰よりも自分達自身を強くする(練習する)しか方法はありません。「(今の自分が)できるorできない」で取り組むのでは足らず、「(どんな状況からのスタートであっても)やってやる」という覚悟が必要です。
駅伝を走り、その厳しさを実感したことで、私自身の「努力によって成し遂げたい目標設定のスケールの大きさ」が広がった事により大きな視点、夢を持つことができるようになり、何事もまずは挑戦してみよう!というポジティブな心を持てるようになりました。
個人競技であり、団体競技であるということ
「駅伝競技」が他のスポーツや陸上競技と一番大きく違う部分は、一言、「個人競技であり、団体競技であること」に尽きると思います。
駅伝競技はチームの総合タイムを競うという大義的な意味を持つスポーツでありますが、総合結果に最も大きく影響を与えるのは、各区間の一人一人が走っている時間です。駅伝の襷リレーには短距離のバトンパス程に勝敗への影響力はありませんし、サッカーのワンツーパスのように同じチームの複数人が共に動いて連携する機会も駅伝競技にはありません。
「チーム戦ではあるけど、走っている時はひとり」
駅伝競技は、それだけ「一人一人が担う責任」が最も重い団体競技であるといえます。「チーム全員が自分の役割、自分のできる事を全うする」という最も人のせいにしやすいスポーツだからこそ、選手は相当な責任感を持ちながら走る事が必要となります。
この「責任に対しての重圧と、走っている時に代わってくれる人がいない現実」は、「個人の人としての価値を高める事」と、「一人一人が自律し他人任せにせず、団結した組織を作る事」という個人・団体の両方の意味でスポーツの枠を超えた、社会に出て活躍するための考え方までも学ばせてくれます。
このように、私は実際に駅伝を走って、このスポーツの魅力を感じた事で、人として大切な考え方を学び、人としてのスケールを広げるきっかけにする事ができたからこそ、この競技の虜になる事ができたのだと思っています。
だからこそ私は駅伝という競技が大好きだし、10年間も夢中になって携り続けられたのだと感じます。
今回は、私の駅伝に虜になったきっかけ、駅伝競技の魅力について語られていただきました。次回はまだ何を書こうか確定はしていませんが、「箱根駅伝」の魅力や、運営側の視点など、記事にして良ければいいなと思います。
それでは本日もご一読いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
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