短編小説 | エルの物語(ある国家の物語)
(1)私は死んでしまった。
私の名はエル。戦争のさなかに、死んでしまった。どのような死に方をしたのか、まったく覚えていない。本当に死を経験したのか、今となっては私にもわからない。何しろ今、私はこうやって生きているのだから。生き返ったとき、私には何の外傷もなかった。
死とは、私にもよくわからない。さっき、私は「死んだ」と言ったが、正確に言うと、体を現世に残したまま、私の魂だけが「あの世」を放浪してきたらしいのだ。
私の魂があの世を放浪しているとき、現世に残してきた私の体は、その機能を止めていた。心臓も脳も、すべて機能していなかったが、不思議なことに、朽ちることはなかった。
私と同じときに死んだ者は、死の直後から腐敗し始めたという。しかし、私はまったく腐敗することがなかった。その状態が10日も続いたという。
とはいえ、心臓は止まっているし、呼吸もまったくしていなかったから、死んでから12日後、私は火葬されることになっていた。まさに、その火葬が行われようとしていたとき、私の魂はあの世から帰還し、私のもとの体は、魂と再び一体となって、息を吹き返したのだ。
では、私の魂があの世に滞在しているときに聞いた「天国と地獄の話」をしよう。
(2)あの世での見聞について。
体から離脱した「魂だけの私」は、気がつくと、閻魔大王がいらっしゃる法廷の中にいた。
この法廷で、生前「善行」を為したと見なされた者は、天国行きのエレベーターへ向かう。逆に、生前「悪行」を為したと見なされた者は、地獄行きの階段のもとへ向かうことになっていた。
天国へのエレベーターも、地獄への階段も、「往路」と「復路」というように、それぞれ二本ずつ用意されている。これから向かう者と帰ってくる者とが、鉢合わせしないように。
天国と地獄。いずれに行くことになったとしても、生きた期間の10倍の期間を、天国あるいは地獄で過ごすことになる。例えば80歳まで生きて、生前に悪行を為したと見なされた者は、800年間、地獄で過ごすことになる。
天国あるいは地獄から、長い時を経て戻ってきた者たちは、閻魔大王の法廷の裏庭にある「牧場」に集められる。そして、そこで閻魔大王直属の「事務職員」から、アンケート用紙を配られる。
「来世では、どんな生き物に生まれ変わりたいですか?」
そこには、詳細なオプションが記されている。鳥獣、蛇、人間、虫などの細かな選択肢と生存予定期間。
なにを選んでもまったく自由なのだが、天国を経験してきた者たちは、天国での退屈な日々を思い出す者が多く、「虫けら」の人生を選択する者が多い。
逆に地獄で「虫けら」あるいはそれ以下の生活を強いられてきた者たちは、「善なる人間」になることを強く希望するという。
(3)忘却の河
「来世の希望」が決定した者たちは、来世へおくられるのだが、「あの世」から「この世」に戻るとき、異常な喉の渇きを覚えるという。あの世とこの世との間には、大河が横たわっていて、大きな長い長い橋が架けられている。
「大河の水は、絶対に飲んではならない」と閻魔大王庁から言い渡されているのだが、閻魔大王はおろか、事務方も誰も監視している者たちはいない。
橋は川面すれすれのところにあり、手をのばせば、すぐに川の水を飲むことができる。大河を渡るには、何日もかかる。当然、喉の渇きを覚える。誰か一人が、禁断の水を飲む。そうすると、橋を渡るほとんどすべての人々が、大河の水を飲みはじめる。
この大河の水は、飲んでも決して有害なものではない。ただし、飲んでしまうと「あの世」で過ごした期間の記憶がすべて消されてしまうのだ。
今現在、人間である者たちは、たいてい、前世からこの世へ帰還するとき、「忘却の河」の水を飲んでいる。だから、あの世で、自分自身が人間になる選択をしたことを、全く覚えていない者が多い。
自分で選択した「人生」なのに、「つらいつらい」と文句ばかり言っている。
中には、閻魔大王の言いつけを最後まで守り、忘却の河を渡り切るまで、水をまったく飲まない者もまれにいる。そのような少数の者だけが、この世では「聖人」と呼ばれている。
(4)エルむなしく語る。
私の名はエル。閻魔大王と「私の魂」が謁見したときに、閻魔大王はこの世の者たちに、私が見た「あの世」の様子を伝えるようにおっしゃられた。
今、私はこの物語を綴り、そして語っているが、まともに聞いてくれる者は、おそらくほとんどいないだろう。あなた方も、きっと忘却の河の水を飲んでいるに違いないから......。
[終]
プラトンの著作「国家」を参考にした創作です。
資料として、
プラトン著[藤沢令夫(訳)]「国家(下)」(岩波文庫)を参考にしました。
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします