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純粋理性ギャグ

 カント「純粋理性批判」の第一版序文(1781年)に次のような一節があります。


大修道院長のテラッソンは、こう言っている、---『もし或る書物の量を頁数の多寡によってではなく、この書物を理解するのに要する時間の長短によって測るとすれば、多くの書物について「この書物は、これほど短かくなかったなら、もっとずっと短かくなったろうに」と言ってよい』と、---これはまことに至言である。ところがまた他方では思弁的認識に関して、広汎に亙りこそすれしかし或る原理によって統合されている全体的体系の解り易さを目的とする場合には、テラッソンとはまったく同様に、こう言っても差支えあるまい、---『多くの書物は、これほどに明晰にしようとしなかったなら、もっとずっと明晰になったろうに』と。明晰を求める手段は、なるほど部分部分の理解を助けはするが、しかし全体の纏まりを損うからである。つまりこういう補助手段は、読者が直下に全体を通観することを妨げ、かかる手段に特有な明るい色彩をもって体系の組立てや構成を塗り潰し、その構成要素を識別できないものにするのである。ところが体系の統一と、この体系が問題を解決する能力の有無とを判定するためには、かかる構成そのものが最も大切なのである。

(カント著  篠田英雄訳「純粋理性批判」上、岩波文庫、pp21-22より引用)


 この箇所は、カント流のウィットを利かせた一節なのですが、難解と言われるカントだけあって、ギャグすらも分かりにくいですね。

 テラッソンの「この書物は、これほど短かくなかったなら、もっとずっと短かくなったろうに」という言葉は、「書いてある文章の説明が短か過ぎるから、かえって理解するのに時間がかかってしまう」くらいの意味です。

 テラッソンの言葉を文字って語ったカントの「多くの書物は、これほどに明晰にしようとしなかったなら、もっとずっと明晰になったろうに」の意味は理解できたでしょうか?

 言い換えるとおそらく次のような意味になります。

「全体的に有機的に結びついた思想体系を、部分ごとに分けて、1つ1つの部分に関して明晰に書いていくと、その全体像がかえって明晰ではなくなってしまうことだろう」

 これでも分かりにくいなら、次のように言ってもいいかもしれません。

 例えば、一台の乗用車があって、「エンジン」「ハンドル」「シート」「タイヤ」「マフラー」のように分解していって、その1つ1つのパーツについて役割をハッキリさせようとすると、それが一体となった「車全体としての機能」が分かりにくくなってしまう、と。


 カントに限らず、哲学書というのは、科学の教科書とは異なり、その哲学者が何を問題提起しているのかということ、独特な言葉遣い、論理構成の仕方などが理解できないとちんぷんかんぷんになります。
 「純粋理性批判」に関して言えば、ドイツ語で書かれてはいますが、「カント語」の使い方やカント的文法(文章の書き方の癖)に馴染むまで時間がかかります。おそらく原書にいきなりあたっても、一読して理解できることはなかろうと思われます。
 独特な用語などは、一通り頭に入れてから読んだほうが、遠回りでありつつ、結局は近道になるでしょうね。


 最後に、引用箇所のドイツ語原文を引用しておきます。
 テキストは、
Immanuel Kant, Kritik der reinen Vernunft, FELIX MEINER VERLAG HAMBURG, のp12を使用します。


Abt Terrasson sagt zwar : wenn man die Größe eines Buchs nicht nach der Zahl der Blätter, sondern nach der Zeit mißt, die man nötig hat, es zu verstehen, so könne man von manchem Buche sagen : daß es viel kürzer sein würde, wenn es nicht so kurz wäre. Anderer Seits aber, wenn man auf die Faßlichkeit eines weitläuftigen, dennoch aber in einem Prinzip zusammenhängenden Ganzen spekulativer Erkenntnis seine Absicht richtet, könnte man mit eben so gutem Rechte sagen : manches Buch wäre viel deutlicher geworden, wenn es nicht so gar deutlich hätte werden sollen. Denn die Hülfsmittel der Deutlichkeit helfen zwar in Teilen, zerstreuen aber öfters im Ganzen, indem sie den Leser nicht schnell gnug zur Überschauung des Ganzen gelangen lassen und durch alle ihre helle Farben gleichwohl die Artikulation, oder den Gliederbau des Systems verkleben und unkenntlich machen, auf den es doch, um über die Einheit und Tüchtigkeit desselben urteilen zu können, am meisten ankommt. 


Geminiによる原文の日本語訳


アプト・テラソンはこう言っている。「本の大きさを、枚数ではなく、それを理解するのに必要な時間で測るならば、ある本は、短くなければもっと短くなるだろうと言えるだろう。」しかし他方、広範ではあるが、ある原理において首尾一貫した思弁的認識の全体を把握しやすくすることを意図するならば、こう言うことも全く正当であろう。「ある本は、それほどまでに明瞭にしようとしなければ、もっと明瞭になっただろう。」なぜなら、明瞭さのための助けは部分的には役立つが、読者を全体の概観に十分に早く到達させることができず、すべての明るい色を通して、システムの分節、すなわち構造を曖昧にし、認識できなくしてしまうため、全体としてはしばしば散漫になるからである。そして、まさにその構造こそが、その統一性と有効性について判断するために最も重要なことなのである。


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