エッセイ | 数学の問題
この前は「国語の試験」問題について記事をひとつ書いた。今回は「数学の試験」問題について書いてみたい。
数学の問題では、例えば大問[ 1 ]があって、設問が( 1 )、( 2 )、( 3 )・・・とつづく場合が多い。基本的に番号通りの順番で解いていけば、それがあとにつづく小問のヒントになっている。
しかし、問題作成者の意図がわからず、( 1 )、( 2 )の問題は解けないけれど、( 3 )の問題は解けた、ということが高校生時代の数学の試験であった。
とりあえず( 3 )の問いは、自信をもって「解けた」と思えたので、( 1 )と( 2 )の問いの答えは空欄のまま、( 3 )の私の答えを解答欄に書いた。
実際に試験が返ってきて、答えを確認したら、私の答えは合っていたのだが、点数は一点ももらえなかった。
一応先生に抗議したら、「君の答えは合っているけど、( 1 )( 2 )が解けていないから、( 3 )の点数をあげることはできない」と言われた。
数学では、手順を踏んで問題に取り組むことが大切なのはわかる。しかし、問題作成者と解答者が同じステップを踏んで問題を考えるとは限らない。
図形的(幾何学的)に解いたほうが視覚的に分かりやすいけれども、数式的(代数的)に機械的に解いたほうが分かりやすい場合もある。自分の頭の中にある道具箱を使う。その人にとって一番使いやすい道具を使えばいい、と思うのだが、試験ではそれが許されないときもある。
例えば中学生で習う「中点連結定理」。相似や平行四辺形の性質を使うと証明できるのだが、試験では「相似条件」を教科書通り書かないと減点されたりする。
ベクトルの初歩的な知識があれば、2、3行で中点連結定理の証明は終わる。しかし、中学生の数学の試験でベクトルを使えば、点数をもらうことができない可能性が大きい。
中学生で習う「合同」や「相似」の証明など、中学校を卒業すれば、高校の数学の試験でさえ問われることはほとんどない。
証明の書き方など、試験を合格する上では大切だと思いつつ、「習ったこと以外の知識を使ってはいけない」という暗黙の了解があるような気がする。
文章題にしろ、いったん方程式を覚えてしまえば、小学生のように、◯だの□などを使わなくても、簡単に解ける場合がほとんどである。
以前テレビで、直方体の体積を求める問題で、公式通りに「たて×よこ×高さ」の順番通りにかけ算していない場合、「❌」という嘘のような本当の話を聞いたことがある。
直方体の体積なんて、順番はどうであれ、3つの数字を掛ければ、同じ答えが出てくる。下を底面とみるか、手前を底面と見るか、側面を底面と見るかの違いに過ぎない。
もちろん、数学自体が「嫌いだ!」という人もいるだろうし、無理に数学する必要もないと思う。しかし、数学の試験が数学嫌いを助長しているとすれば、改善されればよいなと思う。
PS
ももまろさんへ
記事を御紹介していただき、どうもありがとうございます。
ももまろさんの記事を読むことが日課になっています。こちらこそ、いつも楽しみにしています(😃)/💕
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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします