Take-23:映画『チャイナタウン(1974)』は面白かったのか?──“バカ”と映画は使いよう?
【映画のキャッチコピー】
『できることなら、そっと秘めておきたかった……』
『あなたの思い出の街、チャイナタウンに最後の愛を賭ける私……』
【作品の年代・舞台】
1930年代後半:アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス
【原題】
『Chinatown』
ロサンゼルスにあるチャイナタウンについては本編内にて述べております。
【上映時間】
2時間11分
U-NEXT、Amazonプライム、Huluにて配信中
さて、皆様よき映画ライフをお過ごしでしょうか?
N市の野良猫、ペイザンヌです。
さてペラと言われる200字詰め原稿用紙がございます。原稿用紙って言葉自体がなんとなく懐かしい雰囲気ですやね。ボクは以前、映画学校で脚本を学んでいた頃、そのペラ一面にでっかく一言『バカ』と書かれて突っ返されたことがありました。
注意でも訂正でもなく、ただ一言──『バカ』。
ああ、なんと簡潔かつ的確な言葉だらう。たった一言で相手の心が手に取るようにわかる。完全拒否。徹底的拒絶。
ひょっとするとこれは女性が時々使う『もう~、やぁだ……バ・カ♡』の、あの色っぽい方の『バカ』ではないかと疑ってもみましたがこの力強い『バカ』はどう考えてみてもあの『バカ』ではない。
ここまでくると悔しさも悲しさも遥か後方へと霞み、そ~りゃないよふ~じこちゃ~ん、と、ひとり呟くことくらいしかできないのであります。
これが240枚で二時間ほどのドラマないし映画の脚本が出来上がり。44000文字くらいですかね。これを少ないと思うか多いと思うかは人それぞれ。
とはいえ大半は台詞です。あとは「ト書き」と言われる状況描写があるだけ。なので200字なんてわりかしあっさり埋まっちゃいます。
「こう思った」トカ「~のことを思い出していた」など「カメラに映らないもの」は、小説と違ってNG。比喩などはもっての他、よほどでない限りは使いません。
内面描写なら「ペイザンヌ、横目で時計を見る。額に汗」。なんてそれだけ。味もソッケもない。音読すれば、まんまTVの副音声で石丸博也さん(ジャッキー・チェンの声優さんね)がやってたアレになっちゃう。過去形はあまり使わないんだっけかな。
「おまさん、何が言いたいねん?(*_*)」という声がそろそろ聞こえてきそうですが、まあ後半、繋がってくるんじゃ……ないかな。
映画『チャイナタウン』を久しぶりに観たのである。久々に玄人好みのこの作品を真面目に考察するのである。
レンタルするのがこれで三度目。とにかくこの映画、脚本の指南書などにやたら出てくるのね。それもそのはず、脚本のロバート・タウンはこの年のアカデミー脚本賞・ゴールデングローブ脚本賞などに輝いております。「手本にすべきシナリオ」である──なんて、まあそう言われた日にゃ避けて通るわけにもいかないわけで。と、最初はそんな動機でした。
が、しかし。
映画『第三の男』の悲劇が再び(※映画『第三の男(1949)』は面白かったのか? 参照)
(´Д`)ぐえ
微妙~に難解なんすよ。けっこう、ややこしいのね。この御時勢『チャイナタウン』てどう思われてんだろとレビューものぞいてみましたがやっぱり感想が真っ二つ。うん、すっげーわかる気がする。
ただ、確実に言えるのはひとつ。『難解であろうが複雑であろうが、ジャック・ニコルソンは見てて楽しい』。いやこれマジだから。
あの方ってハリウッドの中でも格別に不思議な表情する人ですやん? いろんな出演作があるけど本作『チャイナタウン』のニコちゃんは特に、眺めてるだけでも飽きない。以前テレビで山田孝之やディカプリオがジャック・ニコルソンの顔真似してたこともあったけど『チャイナタウン』頃の若きニコちゃんはジム・キャリーなんかの顔に見えたりもする。
なんていうんですかね?
動物的な意味で楽しい──?
そう、どっちかっていうと動物をずっと追って見ていたくなるアレに近いような(失礼だな君は)。
蛇のようにチロチロと舌を出しながらジョークを言った後「ケッヒャヒャヒャ」と下品に笑うアレはまさに『バットマン(1989)』のジョーカーそのままだぞ。鼻をナイフで切られてデッカイ絆創膏貼ってる仏頂面はイグアナもしくはオオトカゲみたいだし(ひでぇ)。
ケロッと嘘ついてるくせに「いぢめる?」みたいな顔して目をクリクリさせる姿はゾウアザラシのようであり、はたまた「あらいぐまラスカル」のようでもあったり(怒られるぞ)。
初見の時はそれだけでもじゅうぶん楽しめた感があったんだけど、脚本がいいとか悪いとかそんな肝心なところはチンプンカンプン。結局そのまま放置して、はや幾年。今回三度目の挑戦となったわけであります。が、ここにきて思わぬ変化が。
あれ? 『チャイナタウン』面白いんじゃね、と。おっと、ついにきたか俺のエボリューション。遅かったじゃないかレボリューション。そしてさようなら「バ」と「カ」の二文字。
私がよく目を通す映画ブロガーさんなどもこの映画については「三回は見てください」と確かに書いておられました。ただ、三回まわってようやく……てぇのがハタシテ本当にいいキャクホンなのかい兄さん? 一発でわかるのがいいホンってやつじゃないのかい兄さん? と詰め寄りたくもなるところ。
が、逆にこうも思いました。
近年のラノベ風潮もあり、書く側にもよく言われることでしょうが──「わかりやすく書こう」という風潮。はたしてそれがすべてか……というと疑問もあります。もちろん読者対象年齢は大なり小なり存在するでしょうが。
ただそれだけではこちらが「受動オンリー」なのも確か。あたりまえですが映画なんて流してりゃ勝手に終わりますからね。そもそもが眉間に皺を寄せて見るもんでもない。
でもウォーターゲート事件を描いた『大統領の陰謀(1976)』や、リーマン・ショックの裏側を描いた『マネー・ショート/華麗なる大逆転(2015)』なんてちょっとした社会派映画になるとそうもいかない。
少しこちらが気負わないと完全に置いてかれる映画もあるっちゃある。なんなら前倒しで調べていかなきゃならい。なぜにそこまでして見なきゃなんないんだと思う反面、バーベキューやるんだって下準備はいるだろうがと囁く声もある。
たとえば本作の舞台でもある80年代後半のロスの“チャイナタウン”。どんな感じかもよく知らないや。そもそも中国人たちは何が哀しくてはるばる海を渡り、あんなとこで町作ってますのん?
──少々そのあたりに疑問を持たないとラストシーンの『忘れろ、ここはチャイナタウンだ』なんて台詞もなんだかボヤけてしまう。ピンとこない。
かといってそんなことを劇中で『だらだら説明』されても興醒めですからね。まあ邦画なんかではよく見かけたりしますが。
先ほど言いかけた冒頭の“中国人ジョーク”にしても「なんでこんな場面に尺を取ってんだろ?」と思いましたが──ハハァあのジョークの内容もちょっとした状況説明なんやな、と。
『今でもチャイナタウンの洗濯屋どもはツバで洗ってるのか?』そんな一見なんでもないニコルソンの台詞にも背景が凝縮されてたり(初期のチャイナタウンはクリーニング屋で発展したらしいです)──
そんな背景、バックボーンの表現も、きちんと調べてあり太いわりには雰囲気で匂わす程度。いわゆる創作の世界でよく言われる「10調べて9捨てろ」って言葉にピタリ。
チャイナタウンという町は怠惰である、だらだらと適当である。警察だって然りである。それが日常なのである。そうでなければ生きていけないのである。なぜか?
──と繋がってくる。
この町では大きなものには巻かれて生きねばならない、さもなくば死ねと。
『キジも鳴かずば撃たれまいに』──英国では『好奇心は猫を殺す』と言いますな、それに近いんでしょうかね。それがこの映画の主人公であり、本作のキモ。余計な詮索をしなければ誰かを愛することもなかったが死なせることもまたなかったのかもしれない……そんなトコロ?
てゆーか、そもそもこの主人公には「俺が不正を暴いてやるぜ!」なんて妙な正義感はまったくないんですよね。そこがまたいい。すごくいい。
単に主人公は自分を利用しハメられたことがムカついただけなのでありまして。基本はそのくりかえし。そのうち今度はあの有名な鼻を切られるシーンで「ちっきしょー、おりゃあ絶対引っ込まねえぞ、見てやがれ!」みたいな。
(^_^;)
何度見てもびっくりするというか、本当に切られてるように見えますよねアレ。鼻の穴にナイフの先を突っ込まれて脅しの台詞がある──そして『ピッ』とやられる。
昔の映画だし普通なら切る前後で編集カットが入ったりするもんだけど、このシーンはそれがないんですよね。だからビクッとなるんだろうなと。
実はあのチンピラを演じてるのがこの映画の監督、ロマン・ポランスキー本人なのは有名です。ナイフはどうやら先っぽだけが仕込みらしいです。かなり慎重な扱いを要する蝶番付きの仕掛けナイフらしく、動く方向を間違えると本当に切れちゃう。
監督はインタビューなどでその撮影方法をいちいち説明するのがだんだん面倒くさくなって「本当に切った」と吹聴してたという逸話もありますw
まあ、そんな感情がエスカレートしていくだけの道中で、勝手に「謎」がくっついてきちゃう。そういや草むら歩いてるといつの間にかズボンにへばりついてる種子がありましたやね。ボクの地元N市ではそれこそアレを「バカ」って言ってましたが(あっ! 繋がった!w)東京では「ひっつき虫」ってのかな? あんな感じ。
やめときゃいいのにジャック・ニコルソンは雪玉を転がしながらその坂道を登ってっちゃう。途中雑草みたいに目立たない伏線を踏み潰しながら──右肩上がりに登っていっちゃう。
なんで最初見たときあんな難解に思えたんだろ? とも考えましたがアレなんすよね……この映画、皆が皆、真顔で嘘ばっかついてるんですよ!
しれ~っと。あと、皆、やたら憶測で喋るもんだから見てるこっちも話半分くらいで聞いてないとわけわかんなくなっちゃう。逆に言えば、観客側、こっち側も登場人物の顔色をうかがいながらしっかり聞き逃さないようにしなきゃいけない。推理しなきゃいけない。小説なら読み返せるんだけど──
「こいつ、こう言ってるけど嘘だろ?」トカ、
「何かコイツのこの言い方、やけに引っ掛かるな」トカ。
冒頭で述べましたシナリオ書く時のNG覚えてますかね(──これも繋がった(。´Д⊂)! ホッ)
そう、脚本には「こう思った」トカ「~のことを思い出していた」なんてのは小説と違ってNG。
この「ト書き」を無くして台詞オンリーにしちゃうと会話って実はとてもわかりづらいですよね。日常会話や、それこそX(旧Twitter)でのリプのやり取りもそうですが心理描写があるわけでなし、言葉だけだと時々、
「……(´∀`;)???」
──てなったりしますからね。
でも、心理描写・説明をいかに使わずに会話を成立させるか? てのが──「優れた脚本」なのだろうなと。(あくまで「優れた小説」ではありません)
まあペイザンヌごときがね
σ(o・ω・o)
コンナこと言ってもね
σ(´・д・`)
信憑性がないんでね
φ(・ε・` )
今日アップする前、X(旧Twitter)で偶然見かけたミステリ作家の森博嗣センセ(『すべてがFになる』など)の言葉に「あ、まさにコレだわ」と思ったのがありましたんでそれに便乗しようかとw
そういうことだ~、みんな、わかったか~?
ヽ( ̄▽ ̄)ノ(おまえがドヤ顔すんな)
(※てか、出典ツイートが見つけられず貼れませんでした。まことに申し訳ございません)
ならば逆に下手な脚本とはなんぞや? と考える。
たぶん誰かに台詞で言わせちゃうんですよね。
○「おい、あいつはああ言ってるが、俺は嘘だと思うぜ。なぜなら──」とか、
○「おまえ、まさかあの人を疑ってるのか?」「口には出しちゃいないが俺はハナから怪しいと思ってるよ。信用できねえ野郎だ──」みたいに。
そんな感じでリトマス試験紙のような説明役の登場人物がこれ見よがしに出てきたり、わかりやすくするための会話が横行してるのは今でもよく見かけます。
たぶんこれって脚本には小説における“地の文”がないからつい言葉で言わせちゃうんですよね。わかります。書いてる方も伝わるか不安になるんすよ。
『チャイナタウン』にはそういったあざとい台詞がほとんど見当たらない。そう、そもそも『ワトソン』がいないんですよ。主人公に相棒、パートナーがいないから説明台詞もない──そのかわり、わかりづらい。
ニコちゃんの変顔ばかり見とれて、ちょっと字幕をひとつふたつ読み逃すとあとあと混乱してきちゃう(実際ホントに読み逃して何度かプレビューしました・字幕なしでわかるようになりたいすね……ホント)。
案外気を抜けない映画であります。
葉巻をくわえマティーニを片手に──そんな優雅でオトナな鑑賞ができるまであと二三回は観なきゃ……だめか?
〆(゜▽゜*)
※なお『チャイナタウン』には続編の『黄昏のチャイナタウン(1990)』という作品もあります。やはりロバート・タウンが脚本ですがポランスキーに変わってジャックニコルソンが監督そして主演を務めてますね。
では、また次回に!
【本作からの枝分かれ映画、勝手に 選】
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