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悟らないほうが不可能だ
以前、某瞑想センターに行ったとき、そこで数ヶ月の長期滞在をしている方が、「このセンターの指導者の中に、ソーターパンナはいないと思う」と話していた。ソーターパンナとは、最初の涅槃を経験し、悟りの第一段階に到達した人のことだ。
なぜそう思ったのか尋ねると、どうも20人ほどの指導者が集まる年次集会に奉仕者として参加したとき、その指導者たちがおしゃべりに興じて、あらかじめ決められたスケジュールになかなか
涅槃は無時間的なもの
Xで興味深いポストを拝見した。
同時に、涅槃に関してウ・ジョーティカ師が言及している箇所を思い出した。
師がここで言おうとしているのは、煩悩の潜勢力の根絶についてであるから、その文脈からは外れることになるが、それを承知で、「涅槃は無時間的である」ということについて私の考えを書いてみる。
涅槃は、なぜ無時間的であると言われるのか?
阿羅漢の般涅槃は別として、悟った人々、つまり預流・一来・不還・
瞑想コースが近づくといつも、こころがすこし、波立ってくる。まるで無知が、まもなく消し去られてしまうであろうことを知っていて、それになんとか抗おうしているかのようだな、と思う。