「やりのこし」①
今日の夕方、いつものように坐っているとき、
40分ほど経ったあたりだろうか、
「やりのこし」という言葉が心に浮かんだ。
それは、心のより深い部分から沸いて出たもののように感じた。
「やりのこし」。
それは瞑想コース中にも、よく浮かぶ言葉だった。
「やりのこしのないように」
「徹底的に」
「最後まで」
誰に聞いたわけでもなく、
いつからか自発的に浮かぶようになったそれらの言葉に励みを受けながら、
心の浄化の道を進み続けてきた。
しかし、もしも本当に、
「やりのこしなく」
「徹底的に」
「最後まで」
その道を歩き切ってしまったら、その人はどうしたらいいのだろう?
そんな問いが、ときどき心をかすめることに気づきつつ、
「それはきっと、そのときになったらわかるだろうよ」
と、答えにならない答えを自分に返しながら、
私は歩き続けていた。
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