『わかる』から『できる』の壁を乗り越えた先にある世界
Bonjour!
みなさんこんにちは!pariskeitoです!
わかってるけどできない、、、そんなことって沢山ありますよね。わかるからできるの壁は非常に非常に高い。
理解するのは簡単
なんとなくわかるっていう感覚はとても簡単なもの。
理解したつもりになることはとても簡単で難しいのは理解したことをアウトプットするまで結果が出せるかどうかなのだ。
例えばの話。
YouTubeをすれば儲かるとかうまくいくとか、今が一番いいタイミングだとか色々そういう話を理解したつもりでいよう。でも理解した中の人の中でどれだけの人がYouTubeを始めて有名にまでなっただろうか?
リサーチだとか世の中を評論家のようにみて理解することはとても簡単な話で何が難しいのかって蚊帳の外から見渡しているのではなくそのリングに立って自分の手で戦った人にしか見えない世界があると言いたいのだ。
日本は恥をかくことや人からどう思われるのかということ、失敗したらどうしよう、かっこ悪いと思われたらいやだなとかとにかく綺麗に綺麗に自分を取り繕うとする人種だと思う。
本番に弱く、主人公が自分だったらいかに弱くなるかが自分たちもよくわかっている。だけど理解してるところまでいけば、まあ人並みだろうとか思ってる人もまた多くいる。
できるの壁のステージに入れる人たち
理解した→できるまでのステージアップをした人たちは何が違うのか?
もしそのステージの違うがあるとしたらこれだと思う。
一般的に言われる努力というものを努力だと思っていない。
夢があるとか忍耐力があるとかではない。ただ努力を努力と思わず突き抜けたということが1つ。がむしゃらに他人の目がもちろん気になったこともあるだろうし、苦しかったこともあっただろう。
私の好きなKPOPアイドルのジミンにもそれを感じる。世界的アーティストを話題に出すのも距離が遠すぎて現実味のない話のように思えるが、ジミンはBTSに最後の最後に決まったメンバーで血を吐くほどの努力をしたそうだ。ジミンは睡眠時間を削って1日12時間以上ダンスの練習をして、ダイエットをしていたときは1年鳥のささみしか食べなかったみたいな情報も読んだことがある。
通常の人間からするとそんな状態信じられない。でも彼はダンスが好きでそれで生きていくためにやるしかなかったのだと思う。
人はもう自分にはこれしかないと思えたとき一番強くなれるのだ。逃げ場もなく1本しか道がなかったとき、そして強く強くその道が未来へ光っているときにこの道を通ってもうちょっと上の世界へ行こうと決意するのだ。
一番辛いのは理解したからできるになるまでの道のりでそこで挫折する人がほとんど。だから理解したという場所で立ち止まって立ちすくんで、物足りなくて苦しむ人が多いのも事実。理解してできるのステージに行きたいのに行けないほど辛いことはないだろう。それなら死ぬほど行動してできるのステージに行くかもしくはもう理解もしない方がいいこともある。
その壁の真ん中にいることが一番の屈辱だと思うからだ。
私は女性をお城の中のプリンセスと言いながら、時々男性脳になるときがある。男性の生き方がかっこいいとか羨ましいと思うときがある。お城の中のプリンセスじゃちょっとつまらないかもと思ってしまう日もある。ちょっと茨の道へ出かけて獣と戦いたい日が私にはある。でも母は獣には出会いたくない、ずっとお城でのんびり暮らしていたいと言う。
私は多分、半分男性で半分女性の心を持っている人間かもって思うときがある。
わかるとできるという話からずれてしまったけどできるのステージに行きたい人が絶対的にやらないといけないこと、それはフォーカスして決めた自分の人生のテーマにとことん時間を費やすことだと思う。
最近デザイナーと夢の話をしたのだけど、
『夢くらい普通にあるでしょ。』と言われた。
『私は12歳のときからフランスに住むことが夢だったからそのためにずっと行動してきた。』と言った。
『ほら、あるじゃん夢。』と言われた。
『でもみんながみんな小さいときから夢ややりたいことを持って生きているわけじゃないですよ。そんなの一部の人ですよ。だから多くの人がなりたい大人になれてないわけですよ。どこかで無理かもって諦めてそれなりの人生を歩んでいくんですよ。』
『そうなんだ、じゃあ夢を持ってない人に夢を持たせるにはどうしたらいいの?』と彼は聞いた。
『夢は誰かに強制的に持たせられるものじゃないからそれは無理ですよ。夢は自然に導かれてできるものだから。』と答えました。
こう生きたい!という魂が働かない限り夢を原動力にわかるをできるに変えることは難しい。だけども夢を実現できる人もまた存在する。その違いはというと『わかる』から『できる』の壁をクリアできた人間のみが見える世界ができるの世界だと私は思うのだ。
だから私はもっとできるの世界を極めていかないといけないし、時々自分に厳しくしたくなるときもある。お城の中のプリンセスからドレスを脱ぎ捨て全裸で駆け回る少年のようになる期間も私の人生には必要なように思う。そしてそれがお城の中でいるよりも実は楽しいことだと自分が知っているからだ。