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尼僧プロジェクト2 幻聴・幻覚篇

【前回のおさらい】剃髪(ていはつ・スキンヘッド)にする過程で、存分に現実逃避するが、刻一刻と加行(けぎょう・正式な僧侶になるためのファイナルステージ)入行日に近付き、ますますブルーになっていました…😮‍💨

いま一度言っておきますが、
元々、超!!!!無宗教だった私ですからね…。
そもそものところでいうと僧侶になるべき理由、皆無のヒトでしたので…。
ノリや好奇心だけでは無理があるって、直前になって思い始め、自分の中でのアウェー感、抵抗感がもうホントにハンパなかったんです。
なんで、私、ここまで来ちゃったんだろうって。

そして、ブルーなまま、増上寺入りしてしまうわけですが…
まず、入山式で、阿弥陀仏を見ながら、お念仏をしただけで、

ああーーーー、やっぱ、阿弥陀様、
見守ってくれてるー😭


って妙な安心感に包まれて、ウルっとする(笑)
入行0日目(笑)
いきなり、泣く(笑)

そして、数日後、

阿弥陀様を見ていたら、うぃーーーーんって、お釈迦様が重なっちゃった…。


※いや、もう普通に、幻覚ね…😅アニメっぽく、うぃーーーーんって、阿弥陀様とお釈迦様が重なっちゃったのよ。

いやっだ、もーっ!!

阿弥陀様って、お釈迦様だったのかぁー!!!

※注:浄土宗の考え方ではなく、あくまで私個人の見解です!!!

それだと、これまで学んだ、あれやこれや説明つくわーっ!!!
そういうことね👍
だって、お釈迦様が、自分で「釈迦に帰依します(南無釈迦牟尼仏)って、十遍となえろ」なんて言えないもんねー、ふつー。
「俺に帰依するって言え~」なんて言われたら、はい?ないわー。ってなるもんね、ふつー。
阿弥陀様は、元々、法蔵って人が、五劫年って気が遠くなるような年月、一生懸命、衆生(しゅじょう・みんなのことね!)が救われるにはどうすればいいんだ?って考え続けて、気付いたら、アフロになっちゃったーっ!で、48の願掛けしまくったら、ホントに、仏様(阿弥陀様)になっちゃって、衆生を救えることになっちゃったー!
詳しい説明は↓

その救い方の最たるものが
「お念仏(南無阿弥陀仏(阿弥陀仏に帰依します)をおとなえすること)」

って話~…。
そうすると、全ての人の往生が叶うって話ねー。
これ、お経で、全部、お釈迦様が話してっからね。
私が、今、作ったわけじゃないからね。
2500年前にお釈迦様が修行僧たちに話した話がお経という形で残ってっからね。あれ、呪文じゃないからぁ~。

というわけで、実は、阿弥陀様って自分(お釈迦様)のことだったんだねー
合点承知の助!
※注:浄土宗の考え方ではなく、あくまで私個人の見解です!!!
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だってね、無量寿経(浄土宗が最も重きを置いている3つのお経のうちのひとつ)の一節↓を見てみると、

當来之世・経道滅盡・我以慈悲愛愍・特留此経・止住百歳・其有衆生・値斯経者・随意所願・皆可得度

【浄土宗聖典版】浄土三部経 浄土宗聖典刊行委員会[編]
平成28年12月1日 第二版第一刷 p.264-265より
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意味がピーマンだと思うので、現代語訳

「未来の世に〔私の説いた〕教えがすべて消滅する時になっても、私は〔その時の人々をも〕救いたい一心から〔彼らを〕哀れんで、唯一この教えだけを〔この世に、さらに〕百年の間は止め置くこととする。〔そういう時代であっても、〕人々がこの教えに巡り逢えば、願いの通りにみな〔輪廻生死から〕解脱できるのである」

【現代語訳】浄土三部経 浄土宗総合研究所[編]
平成31年3月1日 第7刷発行 p.170 5行目-8行目 から引用
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現代語訳の、この教えっていうのは、お念仏のことね~
で、ここでお釈迦様が言ってるのは、あらゆる仏法(仏の法、つまり、釈迦の教え)が滅したとしても唯一「お念仏」だけは100年留め置くよって言ってるのねー
で、「お念仏」に出逢えた人はみんな、阿弥陀仏が必ず往生させてくれて、輪廻転生負のスパイラルから脱せるって言ってるのねー
この辺のことは、↓で復習よろっ!!!

つまり、

お釈迦様のイチオシは「お念仏」!!!


っていう浄土宗の解釈なのですが、この「お念仏」をね、「阿弥陀仏」じゃなくって、自分の名前(釈迦牟尼仏)で言ってーって、本人(お釈迦様)、めちゃくちゃ言いづらいですよね・・・

仏法全部なくなった時に、唯一100年は残す教えって言ってる「お念仏」。どう考えても、考えたの、お釈迦様でしょー。
でも、そこで、自分の名前、言えって…。
いやぁ~、言えないよね~っ。絶対に謙虚だもんね。無理だよねー。

というわけで、私の中では、

阿弥陀様=お釈迦様


※注:浄土宗の考え方ではなく、あくまで私個人の見解です!!!
になってしまい…

そこからは、修行中、阿弥陀様を見ているときは、ずぅううううううっと、

お釈迦様に話しかけていました😅


黙って話聞いてくれるから、本当にありがたい存在でした🥹

相当、怪しい人と思われるかもしれませんが、もちろん声は出していませんよ(笑)(←ってそこじゃない(笑))
で、これが・・・宗教体験へとつながっていったのではないかと思います~

That’s 宗教♪


それから、さらに数日後、幻聴が聞こえるようになりました😅
お経やお念仏の際に、みんなの声は聞こえなくなってしまい、女声コーラス、オーケストラ、バイオリン、ピアノの伴奏など、まるで教会の讃美歌のような、天使が舞い降りてきちゃいそうな、え、もしかして、阿弥陀様、もうお迎え来ちゃう?ええええええ😭😭😭???みたいなことになっていました。加行が終わるまで、ずっと。異次元に旅立つ毎日でしたね。

キューブリック監督の『時計仕掛けのオレンジ』って映画ご存知ですかね?

この主人公が超暴力的なのですが、刑務所は、彼に二度と犯罪衝動を起こさせないように、彼の好きなクラシック音楽(ベートーヴェンの交響曲第9番)を流しながらナチスによる戦争犯罪の映像を見せて、関連付けさせて、古典的条件づけをするんですね。そうすると、もう、主人公、そのクラシック音楽を流すたびに、頭を抱えて、気分が悪くなってしまうんです。出所後も、暴力的な想像をしただけで、音楽が流れてきて、無力になってしまう。

私、なにも悪いことしていないんですけど、主人公がクラシック音楽聴くたびに、うぁあああって頭を抱えていたシーンが頭でよみがえりましたよね😅
あ、ちょっと似てるかも、この感覚って思っちゃって。
頭から幻聴がどうにも離れず、一日の終わりには、ぐったりしていました。
でも、全然寝られない。体は疲れているはずなのに。
普段ひきこもっている人なのに、大勢の人達が常に周囲にいて、日々の刺激が強過ぎちゃって、まるで赤ちゃんの夜泣き状態になっていました💦

ちょっと加行の内容は絶対に言えないので、引き続き、私の中で起きたことだけお伝えしていきますが、ひとつだけ、お伝えしておきます。
それは、

浄土宗、演出がエグ過ぎ。


ってことです。
もしかすると、他の宗派もそうなのかもしれないですが…
まるでSF映画

あれ、ここ、スター・ウォーズ?ハリー・ポッター?の世界?みたいな😂
あれ、ダンブルドア?ジャバ・ザ・ハット?
(シスじゃない時の)パルパティーン?みたいな😂
とりあえず、ハリウッド進出しておきましょうか?みたいな😆

浄土宗、流石850年の歴史がある。


改良に改良が重ねられての、この演出の凄さなんだろうなぁと。
歴史を感じました。特別感、ハンパなかったです。

なお、尼僧プロジェクト1でも、出てきましたが、
もう浮世のものとは思えない

「美しい僧侶」


ルックス良し、お声&おとなえ良し、所作良し、指導良しで、
全てにおいて美しい僧侶。

増上寺にもいらっしゃいました🤣

反対に「てめぇー、娑婆だったら、ぶっ〇す」って、内心思った僧侶。

増上寺にもいらっしゃいました🤣

でも、この極限の状態に晒されなければ、宗教体験できていなかったのだろうなぁと思うので、あれも、意図的な演出か?と今では思っています(笑)

なので、途中から、この演出が素晴らし過ぎて、
It's showtime, folks!の気分になり、

ブルーな気分が解消されていきました
今となっては、あの3週間、夢だった?みたいな😂

※あくまで、大のエンタメ好きの私の個人的な感じ方ですので、今後、実際に加行に行かれる方によっては、だいぶ感じ方が違うと思います💦
感じ方を保証するものでは全くありませんので。
っていうか、やっぱり、普通に、幻想なので😅
無、無我、空なので。
すべては縁起(因果関係)!なので。
あしからず。

つづく…。

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ペーパー尼僧/久村えり
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