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上原京平
2020年10月12日 19:04
noteを物色していると、自分の美しさを自覚していない人がまあまあいるなと気づく。なんだか苦しいみたいな、何かが間違っているみたいな、不安とも恐れともつかない吐露をちょいちょい見かける。Twitterでもよく見かけるけど。そのストレートな感覚は純粋で美しいなと思うこともあるけど、基本的には面白くないからか、あんまりいいねはつかない。なぜならそこに表現されているのは、不安や恐れだから。
2020年10月11日 20:16
すでにお気づきの方も多いかと思いますが、カメラはある意味生き物です。複数台所有されている方なら、気が付くと思います。キャラクターの違い、自分との関係性の違い、主張してくる感覚の違い。それは一種の人格を持った存在です。人が思いを込めて作った、その思いが反映されているのかもしれません。開発にかける意気込み、時代背景、工夫した機能、それらが混然一体となったたたずまい。防湿庫で出番
2020年10月5日 12:06
自然光が好きだ。光ってきれいだなって思う。きれいなものってだいたい光ってる。「キラキラしてる」っていうしね。身近にありすぎて簡単に見過ごしてしまうけど、光って本当にきれいだ。自然光がきれいなのって、それが自然だからだろう。人口の光は、目的があって光ってる。でも自然の光は、目的がない。意味がないってとても純粋だ。「ただ光ってる」って、こんなにきれいなことがあるだろ
2020年10月5日 00:09
最近noteを読んでいて、面白いことに気づきました。それは、面白い文章と面白くない文章がある、ということです。ある意味当たり前のことかもしれませんが、この差はどこから生じるのか、そしてこの差を埋めることは可能なのか、と疑問に思ったので、以下考察を進めます。面白さとは、コンテンツじゃなくて「人」まず、面白い人の文章は、基本全部面白いです。そして面白くない人の文章は、基本全部面白くない
2020年9月29日 15:18
前の二つのポストでも触れていますが、何を見ても、何に触れても感じる「だいたい一緒感」。同じような感覚を抱く人はいませんか?目先鼻先は違えど、すでにどこかで見たような感じ。結局同じ感覚がするわけです。味は違えど「ごはん」という意味では全部一緒、みたいな。いろんな味があって楽しいけど、そもそも「食べる」という意味では全部一緒、みたいな。そもそもこれは、食べることに飽きたのか?
2020年10月3日 02:47
どうしてライカを使うのか。私の場合その理由は、「信頼できるから」である。この場合の信頼は、カメラボディの信頼性の意味ではない。タフで頑丈で壊れにくく、どんな環境でも間違いなく撮れるという意味の信頼ではない。「信じられるカメラ」なのである。そんなことを言うとまた宗教めいてるとか言われそうだけど、正直な感覚を言うとそうなるのだから仕方がない。(笑)「信じられるカメラ」なのである
2020年9月30日 17:08
キレイに基準はない。こうしたらキレイになるという、確定した要素はない。でも人はキレイを欲する。どうしたら得られるかもわからずに。キレイって実際、謎めいた要素だ。お金でもない、センスでもない。求めたからといって、得られるものでもない。キレイと純粋は近い。一緒なのかもしれない。生まれた時は全員純粋だったはず。どこで汚れたのか。(笑)人はキレイに惹かれる。どうしよ