友達が 1人もいない 研究者 ~ネガティブにならないための方法~
私には友達が1人もいない。ただ勘違いされては困るのだが私が誰ともつるむことなく部屋の隅に塵や埃が軍隊のように整列した掃除という衛生的概念を捨て去った部屋で、壁の染みを天の川を見るかのように恍惚とした表情で過ごしているのには訳がある。なぜならば私は日本でただ一人のネガティブ研究の第一人者としての研究で多忙を極めているからである。
ネガティブに関することならば私はnoteで記事にするために常に記憶の中に屍として横たわっている恥辱な思い出を抉りとる形で世に発信する非常に精神的コスパの悪い毎日投稿を行っているため向き合わざるをえない。そのたびにネガティブな思想の迷宮へと陥り、そこから脱出するためにエネルギーを使い果たしぼろ雑巾のように眠ることを繰り返す影分身のような代り映えのない毎日をなんとかできないかと思い至り私は研究の第一人者として立ち上がったのだった。
ここまでの文章を要約すると「は?」になることは百も承知であるのだがネガティブに向き合っていくということは長年ネガティブに苦しめられてきた私の至上命題として研究を重ねここでそのデータを世のため人のため共有していきたいと思っている。そして早速ではあるがネガティブに陥る要因についてある一つの仮説が導きだされた。拡張だ。
私はここ数か月もの間私がネガティブな状態に陥ったときなにがきっかけでそうなったのかのデータを取り続けた。根明な人間たちが集うリア充的一等地を訪れたとき、仕事でミスをした際の叱責を司った先輩からのネチネチとした嫌味、脱糞・・・など多々あるのだが約93%が過去の嫌な記憶を拡張したものであった。
話は変わるのだが先日万年床の上で大地を覆い隠すほどの巨大な女のパラボラアンテナの如くデカい乳の上をうつ伏せで滑走し滑り落ちる私の姿を妄想し興奮が抑えきれなかった。真っ当な社会人と民主的な性癖の持ち主ならば理解しがたいだろうが私は妄想というものをこよなく愛している。これを覚えておいて欲しい。
さて私がネガティブなゾーンへと陥った引き金となった記憶の一つにかつて言われた「あんたのこと誰が好きなん?」という絶望を一口大に圧縮した言葉がある。その言葉が引き金となり私の脳裏に等間隔に並んだ知り合いたちの私を蔑む目線、口々に聞こえる「キモ」や「死ね」といったスタッカートな悪口、脱糞・・・など私を奈落の底へと押し込まんばかりに修羅場かのように鉢合わせた悪夢的記憶たちが一斉に溢れてくる。だけどもこれは私が妄想を愛するがゆえに陥ってしまう事故なのだ。なぜならば私が実際に体験したのは一番最初の「あんたのこと誰が好きなん?」だけなのだ。
私の身に降りかかった出来事は単純にこの言葉を言われただけなのだ。あとの目線も悪口も脱糞(これに関しては後に本当になる)も私の想像で継ぎ足された偽の記憶なのだった。ちなみに私はこれまでの馬糞と人糞を混ぜ合わせたような阿鼻叫喚な人生を生き抜き精神が研磨されたせいで味わった直後は多少傷ついたとしても、そのことを思い出したときに単体の記憶ぐらいではびくともしないメンタルを持ち合わせている。しかしその記憶を軸として拡張されるとさすがの私も膝をつくしかない。
よってネガティブを抑え込むための方法とは記憶を記憶のままに押しとどめること。すなわち必要以上の妄想力を持ち合わせないこと。それが私の出した研究結果でありネガティブ脱却の可能性の一つだ。つまりその理論を私に適用するとするならば私は長きに渡って培った免許皆伝とも呼べるこの類まれなる妄想力を放棄せざるを得ないということになる・・・違う可能性を探ってみよう。
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