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システマロカ北九州WS感想 自分の人生をどう生きるか
東京のシステマロカさんによる、北九州ワークショップに参加しました。私はシステマを創ったミカエルに会ったことがないので、ミカエルのシステマを追求されているというロカさんがどんなことを伝えているのか、以前からずっと気になっていました。
システマに出合って1年5カ月が経ちますが(早い…)、今回のワークショップは、自分にとってシステマの概念が変わるような機会でした。これまでのシステマのトレーニングと根底にあるものは変わらないのですが、ロカさんのシステマは、恐ろしく具体的で、現実的で、実践的でした。
システマは自分の人生を生きるために役立つもので、人生は今を生き続ける日常そのものなので、日常の中に常にシステマがある。これまで思っていたことの実感がより強くなりました。今回のワークショップの機会をくれた皆さんに感謝です。
やったこと
「立体的知覚」「背骨を通す」「(意思を込めて)自分を動かす」の3つをテーマに、ミカエルが大事にしていたという感受性や、自分の人生を生きるためのヒントを学びました。(※の部分は、私の感想です。)
①立体的知覚…今を生きるための感受性を養うもの。今を生きることで、未来の恐怖や不安、過去の栄光などに囚われずに済む。外の感覚として、風、音、光、寒さ暑さなど自分を取り巻く色々なものを感じる。自分の感覚として、着ている服や靴下、皮膚の冷たさなどを感じる。
人間はバイアスをかけて、世の中にあるものを同じものとしてざっくり捉えているが、人間が一人一人違うように、地面に落ちている葉や、道路の凹凸など世界を構成するもの一つ一つが今を生き続けていて、それに気づいて認めてあげることで世界の見え方が変わる。
・感じるとは、どれくらい感じればよいのか…ワークとして、目を瞑って、耳や鼻を触ったりした。適当に触れば、簡単に触れるが、「耳を強く感じたまま」耳に触ろうとすると、触りにくくなる。強く感じようとすると、感じられなくなるし、疲れるという体験。
・自分の感覚を信じるワーク…人の服や、地面など、どんな感覚なのかを感じてから実際に触る。感覚が一致するかどうか。
※草が刈られた地面を触っている時、子供の頃にいっぱい地面を触ってその感触を確かめていたことを思い出した。
・5人のワーク。3人が1人に向かって歩いていくので、それを普通に歩く感覚で避ける。外にいるもう一人は、避けて歩いている1人を感知してトレースするように感じて動く。
※トレースする役をやった時、トレースされる側が感じているプレッシャーや、体に起こるテンションや体の重さなども自分に乗り移ってくるような感覚があり、他人の人生を追体験しているような感じで面白かった。
・3人のワーク。AがBの腕を掴む。Cは近くに立ち、リラックスした状態でBを感じることで助けてあげる。Bは狭い視野に陥っている自分に気づき、Cを見ることで感覚を外に広げて良い状態になる。
※自分がCになると、BがAに巻き込まれているのがよく分かるので、自分がリラックスすることでBにあるテンションを教えてあげる。
・ペアワーク。Aがシャシュカ(剣)を持ち、Bの胸へ切っ先を向ける。胸に集まるテンションを散らすとかではなく、ただそこにある状況を全部そのまま認めて、自分が横に動くだけ。刺されるかもという恐怖や、ワークで失敗するかもという不安がテンションを生む。生き方の問題と同じで、嫌いな人や苦手な人も含めて全部の存在を一つ一つ認められたら、今を生きられる。認められないと、苦しくなる。
刀を向けられてヤバイではなく、ただ刀を向けて立っている人が目の前にいるだけで、風が吹いている、車の音が鳴っているという色々な情報の中の一つである。
※現実で剣を人に向けられることはないが(今後もないと信じたい)、その刀は、他人から向けられる棘のある一言や、苦手な人や場面と対面しなければならない時に置き換えられると思った。全部を認めるというのは、まだ本当の意味で実感・体感したことはないと思う。意識していれば、いつか分かる日が来るのだろうか。
②「背骨を通す」…背骨を通す感覚が分かると、歩く、立つ、荷物を持つ、人とコミュニケーションするなど、あらゆる場面がラクになる。スティックで地面を押して、背骨の上まで通ったら体をリラックスして姿勢を整える。シャシュカやスティックを片手で持って、その重さをそのまま背骨に伝えて姿勢を整え、剣を振ったり、片足立ちなどしたりしてみる。
スクワットで、地面を踏むことで生じるテンションを背骨に移す。太ももの重さを感じたまま、地面からの衝撃を背骨に移して歩く(ミカエルの歩き方)。
※スクワットが本当にラクだった。太ももを感じる歩き方はまだ感覚掴めず。
・ペアワークで、相手に腕を掴んでもらい、掴まれたテンションを背骨に移す。掴まれた場所から力が流れるのではなく、瞬時にテンションが移動する感じ。
・ペアワークで、AがBに向かって歩いていく。普通に歩くと、パーソナルスペースを侵される範囲で、相手にテンションが生じる。Aが背骨を感じながら歩くとなぜかBは圧を感じにくくなる。
※背骨が通る・通らないの感覚の違いは明確に分かった。圧が感じにくくなるということも体験して分かったので、頭で理由を理解しなくてもOKということで。
③「(意思を込めて)自分を動かす」…文字通り、自分の体を動かす。システマのペアワークでやりがちな、何らかの工夫をして相手を動かそうとする行為を一切やめる。普段の生活でも、人に命令されて動くのは誰もが嫌なことなので、人をコントロールしようと思わないほうが良い。自分の体を動かすことで、結果的に相手が巻き込まれて動くということはあり得る。
ワーク中に相手に腕を掴まれた状況で、相手を動かそうとするのは大変だし難しい。普段の生活に置き換えると、権力やお金が必要になるかもしれない。自分が動くことで、状況や関係を変えて、周りを巻き込んでいくほうがラクに生きられる。
例えば、風や波など自然が持つ大きなエネルギーは人を巻き込む力がある。システマは自然な動きを積み重ねるものだから、自分が動くことで、結果的に人がどうなっていくのかという経験値を積み重ねてクオリティーを上げていくのが理想。
嫌なことをやらされるのはしんどいが、自分の意思でやるに変えることで自分の動きに変わるのでしんどさが減る。
※ここのパートは、私が人生の中で特に苦手としていることだったので、とても響いたし、私がシステマに感じる魅力の一つである「自由さ」にもつながる内容だと思った。長い時間をかけてじっくり取り組んでいきたい方向性の一つ。ワークでは自分を動かすことを繰り返すことで、自分を正しく信頼できる感覚があった。
・5人ワーク。Aが片手をパーで出す。残り4人がAの指を1本ずつ握る。Aは握った人を動かすのではなく、ただ自分の指を動かすと思うだけ。勝手に体が調整してくれて指がしっかり動く。
・ペアでマッサージ。する側は自分の動きをするだけ。相手のテンションを取ってあげようと思うのは、相手を変えようとする行為でありエゴ。相手が今感じている痛みやテンションは、その人にとって必要なものかもしれない。
※自分を動かすをしていると、段々相手を動かすとの境目が分からなくなり、つい動かす方に意識が寄ってしまうなと感じた。
・プッシュ&ムーブで、よくあるのは押された分だけ動かされている状態。押された分だけ、自分で動く。相手のプッシュ一つ一つに対処していると、自分のマインドが崩れていく。自分がそこに居続けられれば、マインドが外に出ていかない。
※日常でも、細かいことにいちいち反応して自分を持っていかれると疲れてしまうので、気を付けたい。
・立つ、座るなどの動作も同じで、「立つを続ける」「座るを続ける」という意思を持ち続けるだけで状態が良くなる。
※実際に普通に座る→立つの状態で押してもらったが簡単に崩れたが、「立つを続ける」という意思を持った状態で押してもらったら、体が安定した。ジョジョのキャラクターが持つような、強い意思力や覚悟のようなものを勝手にイメージ(笑)。
思ったこと
感受性とは何なのだろう、システマとは何なのだろう、そんなことを考えさせられたワークショップでした。
私はシステマを始めるまで、感受性について考えたこともなかったですが、何かを食べておいしいと感じたり、何かを見て美しいと感じたり、何が好きで何が嫌いかを分かったり、それを表現したりしなかったり、そんな経験を積み重ね、自分の感性の幅や深さを広げていくことで感受性を高めていけるのかなと思いました。
ロカさんの話、あるいはロカさんを通して聞くミカエルの話から感じるのは、世の中への解像度の高さです。世の中にあるものを、ありのままよく見て、よく聴いて、よく感じているんだなと。世界と関わる態度、世界への向き合い方と言い替えられるかもしれません。それが対人間になるとコミュニケーションの領域になるし、対自然になると調和とか共生みたいなことになるのかなと。
人それぞれに悩みや課題が異なるように、システマが誰にどう役立つのかも、本当にそれぞれだなと思います。実験しようと思えば、日常の場面でいくらでも実験できますし。
私は今年のダニールのセミナーに参加した時、ダニールの流れるような自然な動きを見て、非常に気持ち良いし心地よいし、心が落ち着くなと思いました。その心地よさは、暖かい春先に自然が広がる公園の中で、川の水がゆらゆら流れ、木々の葉がそよそよ揺れるのを、何も考えずに、ぼーっと眺めている感覚に近いです。
心地よいと感じるものはずっと見ていたくなるし、心地よい動きをしている人を見ると、自然と真似したくなるものです。自然と同じような自然さを人間が表現・体現できることを教えてくれ、同時に人間は自然と同じように自由になれるのだと教えてくれるのが、私にとってのシステマなのではないか、それが今の私の結論です。そんなことを考えました。