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20歳の息子の母が子育てを振り返って #成人の日
今日は2025年1月12日日曜日、
明日は祝日、成人の日です。
息子は、今年の成人の日の対象者、満20歳です。
大学に行って、一人暮らしして、
友達や恋人とうまく行ったり行かなかったり、
経験を重ねてどんどん新しい道を見つけていく頃…。
そんな風に想像していました。
しかし息子は、中学1年の時から不登校。
中学3年には激やせし、動けなくなり
劇症1型糖尿病、と診断されました。
以来、毎食後のインスリン+朝か夜のインスリンに生かされています。
とはいえ、血糖コントロールが難しく
急に低血糖になり昏睡し救急搬送されたことも数回あります。
そんな息子は、今、大学になんて行っていません。
それどころが、高校も卒業していません。
バイトも何もしていません。
家を出て一人暮らしをしているのは私で、仕送りもしています。
息子が成人の日を迎えるにあたり、私は改めて子育てを振り返りました。
私は息子が3歳の時に離婚しました。
私は、離婚したからって、経済的なことで息子に将来を諦めさせたくない、と必死で働きました。
働く間、息子と一緒に居れないから寂しい思いをさせないように、
手紙を書いたり、宿題の丸つけやヒントを書いたり、
毎食の手料理は欠かさず作り置きして、
掃除も洗濯も手を抜かず、家事もフルでやってきました。
母親としてだけではなく父親としての役割もこなすんだ、とアホみたいに気を張っていました。
私が仕事の時は息子を祖父母に預けて、
祖父母も仕事の時は、一時保育園か預かってくれる友達や私の祖母、近所の人など預かってくれる人を探してどうにかやっていました。
仕事の合間やたまに休みがあると、弾丸で海やプールや、山登りやスキー。スケート。陸上の練習。
隣県や隣の隣の県や、隣の隣の隣の隣の隣の隣の県まで車で出かけたり、
新幹線や飛行機に乗って出かけたりと、短い時間を密に過ごすようにしていました。
それを知る祖父母は、仕事と家事ばっかりしている私は可愛げが無い、と
私の悪口を私が居ない間、息子の前で祖父母と私の弟で言っていたらしく、息子はそう言われている私に反抗的になりました。
祖父母に預けると、約束を破って、毎回こそこそゲームセンターに行って小銭を与える祖父。
祖母は、お菓子、ファストフード好きで外食好きなので、
毎食の作り置きの私の手料理も手を付けないことが多く、
これら同じことで何度言い合ったのか…。
息子には祖父母と離れて暮らすことを何度も提案しましたが断固拒否の一点張りでした。
そんな中、息子は成長するほどに息子の父親と姿恰好、
そしてそれよりも行動、言動が似てきました。
宇宙人のようで、理解できなかった息子の父親と似てきたのです。
私は、理解できないと思いながらも
やはり自分の息子だから理解したい、
私の考えが狭すぎるんだ、と
それまで思いつきもしなかった考え方や見方を探っては堀り、
視野を広げました。
夫に対してはできなかった努力も
息子に対してはできるのが親なんだな、と思いながら。
しかし、それでも理解は及びません。
息子が小学校に入りすぐ担任の先生から
発達障害の疑いがあるから、と
車で1時間ほどの所にある病院を紹介されました。
予約して、ようやく通院日。
検査をしたらグレーゾーンでした。
通院は任意で、
2回か3回通ったような気がしますが行かなくなりました。
そして、3年生になりクラス替え。
新しい担任の先生からも発達障害の疑いがあるから、と
別の病院を紹介されました。
検査をしたらやはりグレーゾーン。
3年生になった息子は極端に通院を嫌いました。
何度か行きましたが、本人が拒否をするので
対策もよくわからないまま通院しなくなりました。
私は、その頃から、発達障害の本を読むようになりました。
音に敏感、素材に敏感、変化を極端に嫌う、自分の手順通りに行う、自分の中で気になる部分のこだわりがとても強い、そのため人との約束は気にも留めない、想像力が極端に無いので会話や発言が通じない、突如ぶっ飛んだことを言う、などが特徴の”自閉症スペクトラム”という名前に出会いました。
この特徴を知って真っ先に浮かんだのは息子ではなく、息子の父親です。
すごく納得しました。
そして、息子が父親に似るのは当然の事、と今まで楽観視していた私は何か対策をしなければ、これからの時代、息子はとても生きにくくなる、と思いました。
息子には、
「みんな生きていると、うまくいかないことがあって
同じようなミスをして自分で自分をイヤになったりすることがある。
どうすればいいんだろう、と悩んでわからないが続くこともある。
そんな時、自分の取扱説明書があったら便利だよね。
発達障害は、研究してくれている人がいるから
特別に取扱説明書があるの。
あるんだったら知っておいた方がいいと思うの。
だから病院行こう」と説明をし、ようやく息子の足が病院に向いた。
でも、通院は難しかった。
息子が3年生の11月、息子の祖父が末期がんを宣告されました。
それまで、私が仕事の時は祖父母が息子と一緒に居てくれていましたが
闘病の為難しくなりました。
私はその頃、朝からラジオの生番組で喋っていたので息子の登校時間には家に居ない。
息子は朝一人で学校に行くことが多くなりました。
息子が4年生の9月、祖父は亡くなりました。
息子は、白装束を着て布団に入り眠る祖父の顔をさすって
「じいちゃんの手も顔も冷たい」言い、
さすり続けていました。
息子には、祖父が癌だとわかってから
「人は必ず死ぬもの、
じいちゃんももうすぐ死ぬ、
残された時間は限られている、
時間を大事に使おうね」と教えた。
けど、いつもの調子で祖父にくっつく息子には想像できていないことだったんだろう。
祖父は骨になった。
息子は私のお金を盗むようになった。
そのお金で友達やいとこ、私の弟に奢っていた。
3年くらいそれが続いた。
祖父が亡くなってから、特に息子の変化が気になり
相談できるところを探しては相談するようになっていた。
それでも、私は家でお金なくなることは気付いていたが
身内を疑いたくないから何かの思い違い、と言い聞かせお金の事は問題にしなかった。
しかし、息子が中学1年の時、自分の部屋の机の引き出しに包丁を隠し持っていた事件で、それら全てが明るみになった。
そして、小学校では頭もよく足も1番早かった息子は
中学の陸上の大会で悔しい思いをしたことと
数学が算数のように頭の中で計算して完結、ではなく式を書かなければならないことや、英語がとてつもなく苦手だったこと等もあったのか
中学1年の2学期から学校に行かなくなった。
そして、翌年の5月祖母が定年することになった。
私は、祖母が定年したらお菓子もゲームもし放題のカオスになるこを想像しぞっとした。
案の定、いやそれ以上の現実だった。
息子と祖母、そして私の弟は私が仕事の間にカオスを拡大し続けた。
弟の子供もそれに乗っかった。(子供だから仕方ない)
私は完全に居場所を失くした。
どうにか、社会から離れないで欲しいと願い
定時仕事の派遣もしてみたり、
ヨガインストラクターとしてスポーツジム委託の他イベントを企画したりと仕事の選択肢を広げ、ここからヒントを得て欲しいと願った。
しかしその甲斐虚しく、
息子は中学3年で、急激に激やせし骨と皮状態になり動けなくなった。
劇症1型糖尿病になった。
「私だったら、それを銘打ってSNS発信したり
商品開発や社会保障の要望を出して
自分と自分と同じ環境の人の為に活動する」と私が言ったら、
息子どころか祖母も私の弟も猛烈に批判。
弟はそれ以来私を避け続け、一度も会っていない。
(私としては溺愛してきた弟だけに寂しさはある)
とまあ、そんなこともあり
一緒に居ると私までダメになる、と思い、
息子が今時の成人、18歳になる年に私は一人暮らしを始めた。
以来、仕送りをしている。
いつまで仕送りと医療費を負担できるかわからない。
医療費は毎月3万円。
物価高で今日スーパーに行ったらキャベツ1玉500円の時代に、
もう無理だな…、と思っている。
私の勝手な考えでは、大学卒業の22歳の年までは頑張ろうかな、とは思ったりしているが、それは息子の為になるのだろうか、見捨てる心苦しさや、世間体を意識しているだけではないだろうか、と自分に問うてみたりする。
けど、結論を出せない。
こんな状態で息子が成人の日を迎えるわけで…。
私が子育てに対して思うのは、こんな子育てをしたかったという振り返り。
”息子が私から自然と離れるまで子育て第一に息子と一緒に過ごしたかった”です。
これに限ります。
子育てにはお金がかかる。
でも子供には不憫な思いをさせたくない、そういう素直な親心が
自分と比べ、他と比べ、
欲を膨張させ、不安になり、
仕事が第一になってしまう。
大人の親としては、1年や3年、5年だって10年だって大した時間ではなくても、まだ一人では生きていけない子供からしたら、1年はまだ先の事で、1か月の夏休みだって長い、1日だって長いし、1時間だって長く感じることもある、それだけ心が軽くて動く、彷徨う。
そして、みんな同じではない。
成長のスピードも向かうところもみんな違う。
だから途中不安になる。
親も不安な時は子供はもっと不安かもしれない。
親心があれば子心だってある。
子供は親に心配させたくないと思うもの。(みんなじゃないかもしれないけど)
親の心と子の心が手を繋いでみたり、タッチしたり離れたり、離れたり離れたり触れたり、みたいな繰り返しで親も子も徐々に安心していくのだと思う。
今、少子化対策とか頭のいい人が色々策を考えてくれているみたいだけど、
少子化と女性活躍の両立は現時点で人間的ではないと思う。
子供は生き物です。(大人も生き物です)
働き手を確保したいのなら、
子供が子供時代に寂しくないように、
子供が将来、子供を産むことに後ろめたさを感じないよな仕組み作りが先だと思います。(実際私は結婚することに疑問を持ち、妊娠した時に産んでよいものかとても迷いました)
プライバシー問題等、超情報化社会が進むにつれ、家族間も個別化されている今、このまま進んだら子供時代を懐かしむ大人が増えると思いますか。
大人になりたくない、と途中であきらめる数が増えると思いませんか。
私は、息子が不登校になる前からいろいろな相談窓口を探し相談しましたがどこも「お母さんの考えすぎです」とあしらわれました。
でも、現実は私が想像した方向に行き、
それ以上の現実となりました。
私は考えすぎなのでしょうか。
大きく実った成功例にブラボー!とみんな揃って歓喜するだけでは改革なんてできません。
根っこを見ていないからです。
足元をコンクリートで埋めないでください。
土を耕す整備をしてほしいです。
子育てを生んだ責任にしない、
育児に手を差し伸べる世の中だったら
高齢者にも障碍者にもちょっと困った人にも手を差し伸べられる社会ができると思います。
子供の心は可能性がいっぱい。
どう育むまれるか、環境が大いに左右します。