私が支援につながるまで「大人の発達障害かもしれない」① ~元引きこもり店主 手作りおやつ工房とさか~
転職を繰り返した20代
大学卒業後、親の反対を押し切り高級レストランに見習いとして入った私。
「お前に料理の才能があるわけがない」「国立大学まで出て何が料理だ。この親不孝者!」と両親に言われた私は、「困ってもお父さんとお母さんに頼らない。自分で責任とるから!」と大学卒業後一旦戻っていた大分県の実家を出ました。
最初に入った福岡のレストランでは、先輩から生意気だと目をつけられ、真冬に厨房から閉め出されて鍵をかけられたり、蹴られたり。作業中も邪魔をされるので私が担当する料理の提供は遅れ、ホールスタッフも分かっていながら嫌味を言われる毎日…。
正月休みに実家に帰り親にこぼすと、「あんたが生意気なんだよ」「何言ってるの!社会人なんてそんなものだ」で片付けられ…。
そんな私にやさしく接してくれたホールスタッフの男性と交際を始めて分かった、まさかの妻子もち。「自分がいると迷惑をかけてしまう…」と半年で退職。
その後、修行したい店が見つかるまで接客を学ぼうと別のレストランでアルバイトを始めたら、最初は仲良かった女性スタッフから無視されるようになり、業務に支障が出るようになりました。店長を介して「素直に振る舞えるお前が憎いらしい」と聞いて、「私がいると迷惑をかけてしまう」と退職。
その後もバイトで食いつなぐ生活でしたが、人間関係でうまくいかず店長に怒鳴ってやめたり、性暴力を受けて誰にも相談できないまま辞めたり…福岡には働きたい店がないと上京を決意。貯金も少なくちょうど夏休みシーズンで、旅館で住み込みの短期バイトをしながら東京のレストランを食べ歩き面接を受けました。
採用にあたって面接官から「ちゃんと親の了承を取っておいたほうがいいぞ」と言われ、実家に連絡。「次の店でうまくいかなかったら料理は諦めなさいよ!」と母に言われ、何とかアパートの連帯保証人になってもらえました。絶対実家には帰りたくないと必死で、色々ありましたが2年9ヶ月くらい続けられたかな?最終的にはその店でも居場所がなくなって、ストレスで出勤時に指先のしびれと吐き気に悩まされて、オーナーに相談するも甘えていると相手にされず、ある日退職願を置いて店を去りました。
都内で働いていた時、長期休暇で帰省する時、空港の売店で見つけた「大人の発達障害」に関する本。6つ年下の弟が「広汎性発達障害」と診断されているのでふと気になって購入しました。読むと、「私にもあてはまる!!だから仕事も人間関係もうまくいかないのかな…」とその時ボンヤリと思いました。
それでもやはり、「生意気な私が悪いんだ」「私は人に迷惑をかけるダメな人間なんだ」と強く思っていました。カウンセリングとか心療内科とか、生活保護とか確かそういう情報が書いてあったと思いますが、自分の努力不足だと、20代の頃は自己啓発本をよく読んでいました。
続く