瞑想で「怒り」は鎮まるが・・・
私は、毎日、寝る前に2時間ほど座禅瞑想します。
目安として、私の場合ですが、大体一時間くらい座り続けると、雑念が沸かなくなります。
このままずっと座れるのではないか、と思える状態に陥ります。
いわゆるジャーナ(禅定)です。
特に、
イジメ、パワハラ、モラハラ
といった尊厳が踏みにじられたときにこそ、
瞑想がより一層大切になってきます。
瞑想に没頭することで、それらに対する怒りが徐々に鎮まります。
尊厳を踏みにじられた瞬間にまず
「胸のあたりのざわつき」
を感じます。これは動きようのない事実・体感です。
瞑想を続けることで、この胸のざわつきが徐々に収まり、
必然的に怒りも収まってくる、ということです。
しかし、私が伝えたい話はここからです。
最近、私は逆に思うのです。
と最近は切に思います。
特に、
尊厳が踏みにじられたときの怒りは決して鎮めてはいけない
と思うのです。
戦う体力があるときは、容赦なく戦わなければいけない、
と私自身肝に銘じるようになりました。
ただ、この戦争は永遠ではなく
敵が「尊厳を踏みにじった」ことを自覚し、罪意識を抱いたとき
に終結します。
この世間では、
相手の非を責め立てず、寛容な心で許しましょう。それが慈悲です。
悟りを開き、怒らず、心穏やかになりましょう。
といったヨガ仏教の教えがはびこっています。
これは違うと私は訴えます。
ということです。
これは容赦ない戦争なのです。
と最近は肝に銘じています。
肝に銘じないと、瞑想によってすぐに怒りが鎮まってしまいますから。。。