「自由な国」で生きる方法 『ファイル 秘密警察とぼくの同時代史』
▼ティモシー・ガートン・アッシュ氏の不思議な本『ファイル 秘密警察(シュタージ)とぼくの同時代史』を読むと、インターネット時代の「情報」と「自由」について考えさせられる。(今枝麻子訳、みすず書房、2002年、原書は1997年)
▼東ドイツの監視体制については映画「善き人のためのソナタ」を見ると、そのえげつなさが肌がヒリヒリするほどの迫力で伝わってくる。『ファイル』も同じくシュタージ=秘密警察をめぐる貴重な歴史の証言の一つだ。
かつて東ドイツに滞在し、くわしい日記を書いていたイギリス人の歴史家兼ジャーナリストが、東ドイツのシュタージに監視されていた。密告者は何人もいた。彼らの多くは、アッシュ氏が親しみを覚え、友人だと思っていた人だった。こいつは密告者なのか、と疑ったことなど一度もない人たちばかりだった。
シュタージの情報提供者はIM(非公式協力者)といわれた。ナチスドイツの残虐さがSSの二字に象徴されるように、東ドイツの異常さはIMの二字に象徴される。なにしろ東ドイツでは「大人の50人に1人」が秘密警察と直接つながりがあったのだ。〈ナチスにさえこれほどのものはなかった。〉(95頁)。
東ドイツという国はなくなり、シュタージがそれまでに集めた膨大な監視や密告の資料が閲覧できるようになった。タイトルの「ファイル」とは、膨大なプライバシーが詰まったファイルのことだ。アッシュ氏の「ファイル」上の名前は「ロミオ」だった。彼は「ロミオ」の「ファイル」と、当時の自分の日記とを読み比べ、自分の日記よりもはるかにくわしい記録を目にする。それは、秘密警察の資料によって、すっかり忘れていた自分の記憶をたどる、とても不思議な体験だった。そしてそれは、インターネット時代に生きる読者にとっても、奇妙な追体験になり、代理体験になると思う。
▼生活のなかで、なにが秘密裏に抜き取られ、保存されているかわからない。以下は膨大な監視記録のなかの、印象的な箇所。【】は文中傍点。
〈ぼくのファイルに入っているのは、東ドイツのベルリン・シェーネフェルト空港で、ワルシャワ空港で、ワルシャワ行きの便の搭乗手続きをしているあいだにひそかに荷物から抜き取られた書類のコピーである。複写されたもののなかには、地下出版の雑誌、ポーランド政界の主要人物数名の伝記的メモ、地図、名刺がある。持ち歩いていた本の表紙までーーそしてぼくのノートに書き込んであった数ページの文章。
ノートに書いてあったのは、ぼくが記憶をたよりに書きとめた、反体制人の第一の戒律のヴァリエーションだ。ぼくが「【かのように】の原則」と呼んでいるもの。ぼくはポーランドの現代詩人ルィシャルト・クルィニツキが、ポーランドのもっとも勇敢でカリスマ性ある反体制活動家、アダム・ミフニクに捧げた詩を思いだして書きとめている。
いや、ほんとうに知らなかった、いまここに生きながら
別の時代、別の場所に生きているかのように
ふるまわなくてはならないとは
この詩のあとに、ぼくはロシアの偉大な反体制派アンドレイ・サハロフと、東ドイツで政治的理由から投獄されたぼくの友人ガブリエル・バーガーの発言を書き加えている。「サハロフーー自由な国に暮らしているかのようにふるまえ! バーガーーーあたかもシュタージなど存在しないかのように。」シュタージのファイルのなかでこれらの文句と再会することになろうとは。〉(166-167頁)
▼シュタージはどこまで徹底していたのか。わかりやすい実例が描かれている。
〈現在はロイターの編集長になっているマーク(マーク・ウッド)は、なんとロイター社の隣のアパートメントがシュタージの監視センターになっていたことを統一後に教えられた。ロイターの壁に埋め込まれた盗聴機には、コントロール・パネルから無数のワイアーが伸び、寝室にまでいくつもの盗聴機が仕掛けられていたという。通りの反対側には目視による監視ポストもあった。どこまでやるかという点にかけては、シュタージはつねに、西側のもっとも荒唐無稽な空想をしのぐほどのところまでいっていた。〉(87頁)
▼「ファイル省」を訪れて自分の「ファイル」を読んだアッシュ氏は、自分のふるまいのあれやこれやを当局に密告していた何人ものIMの存在を知り、一人、また一人、直接電話し、会いに行く。思いがけない再会。過去を確認する緊張感。問い糾すやりとり。狼狽。逆上。糊塗。別れ。それらの描写は、切実で、胸が痛む。その旅の途上、アッシュ氏は激しく葛藤する。「もしかしたら結局は対決などしないほうが賢明なのか」と。
〈どうか想像してほしい。ドイツじゅうの台所や居間で、毎晩のようにこのような会話が交されるところを。手痛い対決、真実を明らかにし、友情をぶちこわし、生涯心につきまとう対決。すさまじい知識の力がゆっくりとシュタージからガウク機関の職員に、ついで職員からぼくのような個人に手渡されるにつれ、何百、何千というこのような対面がおこる。そのときぼくのような個人は、ふつうならほぼありえないようなかたちで、他人の人生を我が手に握ることになる。
もしかしたら結局は対決などしないほうが賢明なのかーー人が勝手に記憶と忘却をないまぜにし、自己欺瞞の上に自尊心を成立させて生きていくのを許しておくほうが。それとも正面きってぶつかりあうほうがいいのだろうかーーたんに自分のため、どうしても知らずにはいられない自分の必要のためばかりでなく、相手にとってもそのほうがいいのだろうか。最初の混乱した反応のなかでさえ、「ミヒャエラ」自身が言ったのだったーー「ほんとうに、これを見せていただいてよかった。」〉(133頁)
▼混乱のなかで、わたしは密告者のつもりではなかったと口にする人の言葉を信じていいのか。「ファイル」に記録されたIMは全員悪人なのか。そしてシュタージの職員は全員悪人なのか。この緊張感が『ファイル』の全編を貫いている。
だいたいの「ファイル」は正確で、ベルリンの壁が壊れ、「ファイル」が公開されるようになると、家族が、きょうだいが、かつての密告の発覚によって絶縁する例が後を絶たなかった。
そのいっぽうで、「ファイル」の上ではアッシュ氏の密告者だと記録されていた人物が、じつは無実だったことがわかる印象的な場面もある。つまり、そういう勘違いや間違いがあったということは、間違いをもとに「吊るされた」人もたくさんいたわけだ。家族や友人から責められ、離縁され、絶縁され、職を失い、自殺を強いられた人までいた。
アッシュ氏は、密告者だけでなく、シュタージの元職員にも会いに行く。そして自分を担当していた元職員の居場所を突き止め、迫っていくのだ。
▼この本の凄みは、じつはその先にある。
彼は、なんと祖国イギリスからも監視されていたことを知る。イギリスの「非敵対者」ファイルに、自分の動向が記録されていることを突き止めるのだ。
〈彼ら(=イギリス政府)が、どんなにわずかにではあっても、いまだにぼくを見張っていることへの怒り。〉(276頁)。この前後は、情理のこもった優れた国家論にもなっている。
匿名の紳士とのやりとりの後、アッシュ氏は祖国との関係を次のように位置づける。〈多くのスパイは作家の資質をもっているし、多くの作家はスパイの資質をもっていると言われている。自由主義国の国内で活動するスパイたちは、ぼくたちの自由を守るためにそれを侵害する、という職業的逆説を生きている。だが、ここにはもうひとつの逆説があるーーぼくたちは体制に疑問をもつことによってそれを支持する、という逆説。それがぼくの立つ位置だ。〉(278頁)
いかにもジョージ・オーウェルの系譜に立つアッシュ氏らしい生き方だ。そして、彼は新しい「【かのように】の原則」を打ち立てた。
〈ファイルは得がたい贈りものだ。ぼくはファイルの終了にあたって、そこから「かのように」の原則の新版を持ち帰る。東ヨーロッパの反体制派の「かのように」の原則はこういうものだったーーこの独裁のなかで、あたかも自由な国にいるかのように、あたかもシュタージなど存在しないかのように生きよ。ぼくの新しい原則はその反対ーーこの自由な国で、あたかもシュタージにつねに見張られているかのように生きよ。〉(284頁)
▼あたかもシュタージにつねに見張られているかのように生きよ。『ファイル』の原書は1997年に出版され、日本語訳は2002年に出版されたが、この一言は、2018年の社会にいっそうリアルに響く。
「ビッグデータ」や「ライフログ」の時代に生きている人のなかには、もしかしたら、アッシュ氏の葛藤をナイーブなものだと感じる人もいるかもしれない。なにしろ、思想信条や政治信条と1ミリの関わりもなく、いきなり「個人情報」が「流出」する時代である。
しかもアッシュ氏のようにわざわざファイル省を訪れてかつての情報を入手するのでもない。いちどネットの海に情報が「拡散」したら不特定多数の目にさらされ続けるのだ。
1990年代では極めて特殊な事例だった「ふつうならほぼありえないようなかたちで、他人の人生を我が手に握ることになる」場合が、「ほぼありえない」とはいえない時代になっている。だから、人間の行動様式が、これまでとまったく異なるものに変容し始めているのかもしれない。
アッシュ氏にとってのアンドレア、クラウディア、フラッシュ・ハリー、ドゥンカー夫人、R夫人、「ミヒャエラ」「シュルト」「スミス」(いずれも仮名や「ファイル」上のコードネーム)は、あなたにとっての誰なのか。
21世紀の「ファイル」は、人間の想像と能力を超える規模で増え続けている。何か事が起こった時、その人物が仮名なのかコードネームなのかも、そもそもわからないかもしれない。
いま指を動かしている、その電子メールが、そのツイッターが、そのラインが、そのフェイスブックが、そのインスタグラムが、そのタブレットが、そのスマホが。
もはや、壊すべき「ベルリンの壁」はない。
(2018年11月17日)
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