見出し画像

誰がすんねん!共同注視!

ASD(自閉症)の子供が苦手なのが共同注視
私もできませんでした。

できませんでしたというか、
共同注視はしないほうがいい
と学習してしまいました(えっ)。

母子手帳の1歳半健診を見ると、
「絵本をみて動物や物の名前をきくと、
 それを指さしますか」
の項目が空欄でした(つまり「いいえ」)。

生粋の共感オンチです(笑)

私の共同注視は、こんな感じでした。
(保育園から小学校くらいの話です。
 言葉の遅れがあったので発話はレアです)


「あれ見て!」

→(心の声)「やだ」

「見て見て、ほら、あそこ!」

→(心の声)「うるさい。
       どうせ面白くないから見ない」

「あそこ、見て!!!」

→相手の指先を見る
 (心の声:指先のほうが面白そう)

「指じゃなくて、あっち見て!」

→相手の指先を嗅ぐ
 (心の声:私の姿のほうが面白いでしょ)

「もう!見てってば!」(頭を持たれる)

→(心の声)「失礼な!飛行機雲だったら殺す」
      「・・・やっぱり飛行機雲か」
      「つまらん」


ちょっと口が悪いですが、
「あれ見て!」を連呼するだけの人は、
大体つまらないので、見ませんでした。

でも、「飛行機雲だよ!見て!」
と言われれば、喜んで見ます。
飛行機雲は大好きなので(!!!)

「飛行機雲がつまらん」わけじゃなくて、
あれだけ長いことでっかい声で大騒ぎしといて
人の頭を持ってまで見せたいものが、飛行機雲。
「っていう人がつまらん」わけですね。

当時の私の好きな子の基準は、
「目新しいこと(情報)をもたらす子かどうか」
だったので、飛行機雲で大騒ぎは「つまらん」と。


それから、いくら
「イーブンが飛行機雲が好きだから
 見せてあげたい」
っていう気持ちだとしても、
頭を持つのは違うと思うんですよ。

対等な関わり方じゃないし、
私への敬意や遠慮がないのが気になる。

フランクな言い方をすると、
「その気持ちが重い」かな。
「私の自由を奪う、行き過ぎた親切が重い」かも。

一緒に何かをしたいって発想がないんで、
無理やり「飛行機雲だ、ねーー♪」
をやらされるのは、ちょっとつらいですね🥺


喜びより自由を愛する種族
だと思うんですよね、
ASDって。

自由がないと喜びがない。
喜びがなくても自由がいい。

いいこと言った!😆


細かい話ですが、もう一つ
「あれ見て!」を無視する理由は、
よくある遊びで、「あれ見て!」
ってウソついて油断させといて、
人の顔に指を突っ込むとか、
色んなバージョンのイタズラがありましたよね。

それに引っかかるのが嫌でね。


あと、もちろんASDによくある、
自閉の世界に割り込まれるのがものすごく嫌!
でした。

その時の気持ちを言葉にすると、

「私が今やっていることより
 絶対面白がらせる自信があって、
 呼んでるんだろうねえ?」

って感じでした(怒っちゃってますね😅)

今はいつでも中断し放題ですから大丈夫です。
モノより人の気持ち優先!😀


こんな感じでした。

きっと今でも共同注視は苦手だと思います。
相手から目をそらすのがどうしても不安なので。

悪気はないんですけどね。


許してちょ(なつかしい!)

許してちょんまげ(1980年代のかをり!)

以上です(笑)

#私は私のここがすき


※オススメ記事はこちら


いいなと思ったら応援しよう!