うっすら距離感の概念が分かりかけてきた人
親密度とか距離感が分からないって
以前書いたんですけど、
それがすこーしずつ分かってきて、
今カオスです(笑)
何がカオスか。
知ってる人か知らない人かの
区別しかしていなかったのが、
一緒にいて楽しい人か楽しくない人かの
区別が最近加わったんですね。
その上、安全な人か安全じゃない人かの
区別も昨日から加わろうとしていて、
カオス!🤯
単純に「人間は全員怖い」
「人間は全員危険」
「だから、全ての人間と壁を作ろう」
って考えていたのが、
この人は何を話しても大丈夫とか、
その人はここまでしか安全じゃないとか、
あの人と一緒にいると楽しいから、
もっと一緒にいたいとか、
そんな考え方の基準を教わって、
そうだったのか~って。
しかも、何回か話をしてみないと、
それは判断できないっていう。
そうだったのか・・・。
会った瞬間に判断できるものだと思ってた。
(すぐ嫌!って決め付けてた)
一緒にいて楽しい人と
できるだけ一緒にいたらいいだけの話
だったんですね。
ふむふむ。
あの人のこと好きだなとか、
あの人のこと嫌いだなとかに、
そんな意味(好きな人と一緒にいたらいい)も
あったとは!
嫌いな人とずっと一緒に暮らさなきゃいけなかった
子ども時代の呪いが、
ペローンと溶け落ちそうです。
今までは、会話とは
何と言ったら相手が喜ぶかを当てるクイズとか、
計算ドリルだと捉えていました。
だから、嫌いな人に対しても、
相手が気に入るようなことを
言っていました。
計算ドリルは
嫌いな人や距離を置きたい人には、
やらなくてよかったんですね。
しまった、しまった🤣
仲良くなりたいから、もしくは友達だから、
元気づけたり、寄り添ったりするんですね。
そこも「ワカッテ」なかった。
もう嫌いな人自身の問題を
どうにかしてあげようとしなくていいんだ。
嫌いな人のことは
気にかけなくてもいいんだ。
よかった~🥳
あとは、距離感ですよね、距離感。
嫌いだからって、
ドンって突き放した態度を取るんじゃなくて、
あいさつ程度の距離は保つと。
基本的にはみんなと共存しなきゃいけないからね。
自分だって誰かには絶対嫌われちゃうわけだから。
相手が傷つかないように接する必要はあると。
うんうん。
そういうことですね。
で、気が合う人とか、
一緒にいて楽しい人がいれば、
自分からそーっと近づくと。
相手の反応を見たり、何回か話して、
どのくらいの距離感がお互いに快適かなって、
探索するんですね。
気が合いそうだと思ったけど、
回数を重ねていったら、
あんまり安全な人じゃなかった!とかもあるから、
その時はそーっと距離を取る(笑)
日によって違う場合もあるかもしれませんね。
自分が今日体調が悪かったら、
体調が悪いことを伝えるとか、
一人になる時間を多めにつくるとかして、
相手と距離を取る。
相手の体調が悪そうだったら、
今日は距離を取ろうとか、
どうしたの?って言ってみるとか、
あんまり話しかけないほうがいい?
って率直に聞いてみるとかして、
相手との距離を調整する。
そんな感じですねえ、きっと😊
幼少期に「イーブン、どうしたの?」
ってよく聞かれてたんですけど、
そういう意味だったのか。
前日に楽しく遊んだ仲なのに、
翌日その子にあいさつすらしないことが
平気であったんですね。
あいさつの重要性が分かってなくて、
あいさつするかしないかは、
ランダムだったので💦
仲が深まっていく(親密度)とかも、
最近知った概念なんですよね。
えーっと、つまり、
距離感が一緒に過ごす時間の多さ、
親密度がお互いのことを分かり合っている深さ
で、いいですか?
いや、逆か。
実は距離感がお互いのことを分かり合っている深さ
親密度が一緒に過ごす時間の多さ
ですね?ん?どっち?🤔
とにかく好きな人と一緒に過ごして、
嫌いな人を気にかけないことを意識します。
人間を怖がって避けてばっかりいないで、
話をするところから始めないといけませんね。
できるかしら?
はあ、
最近なんだか色んな概念を知っていってて、
頭の中がすっかりカオスです。
今までの自分は何をしていたんだーとか、
どう見えていたんだーとか、
みんなはそうやって生きていたのか!とか、
そういうことが、ごちゃごちゃしています。
ガンバリマス。
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