今日の日記

昨日はイーストウッド『陪審員2番』をU-NEXTで見て、映画をイッキ見することの達成感を味わった。内容は重く疲れたが、そのあとの入浴はかえって気持ちがよかった。今日もその達成感を味わってみたいと思い、劇場公開中の映画『ベルサイユのばら』を見に行った。実は先週一度この映画にチャレンジしたのだが、そのときは上映4時間前に劇場入りし、やることがなかったので何もせずにそのまま帰宅するという大ポカをやらかした。こういう系統の行動は、いわゆる生きづらい系の人にはよくあるものだと思う。今回は起きて朝食をとって家を出たらそのまま上映直前に着けたので、満を持して見ることができた。元々原作は存在しか知らず、有名な大きな瞳や「オスカル」「アンドレ」などの言葉は知っていても、それ以上何も前知識を入れない状態で見た。元々なんで見たかと言うと、推しているアイドルが推薦してくれたからであった。作品を実際に見てみて衝撃を受けた。以下、「ラウンドキャラクター」「フラットキャラクター」という言葉を使うが、自分用の日記なので説明は省く。気になる方は拙稿「フラットキャラクター論への助走」を読んでもらいたい。…ということで、少なくとも劇場映画においては、オスカルただ一人がとてつもないほどのラウンドキャラクターとして描かれていて、アンドレのフラットぶりとの対照をなしているように思えた。マリーアントワネットはその中間というところか。これほどオスカルという人物に焦点化された作品なのか、原作との異同や、「推し」事情(オスカル推しの人が多いのか、そうでもないのか)などにも鑑みて色々考えてみたい。少なくとも映画から入った私は完全にオスカル推しになってしまった。終映後ブックオフに急ぎ、マンガを全巻買い揃えた。マンガを読む行為自体があまり得意ではないが、パラっと見る限り好きそうな感じである。好きそうな、というのは、私が苦手とするアメコミや楳図かずおなどのマンガは、コマ割りが四角いものを均等にトントントンと並べていて、この均整のとれた感じが、私には京都的な居心地の悪さを覚える。対して少女マンガによくあるような枠線をはみ出たような表現、ジョジョっぽいと言ってもいいようなある種のマニエリスム(まあ少女マンガ技法としてはそれ自体クリシェなのかもしれないが)は、率直に言って好みである。そういう意味で、初手で躓くことはなさそうだ。ここから先は、実際にマンガを読んでみないと書けない事柄なので、映画は素晴らしく面白かったという感想をとりあえず記しておく。

何かやれる日は徹底してやれるもので、帰ってきてから國分功一郎『手段からの解放』をこれもイッキ読みした。「嗜好品」という概念に対して、著者の専門のスピノザの側からではなくカントの側から徹底してアプローチするところが、これまでの著書との新味を感じさせる。私の頭ではカント自身の文章を理解するのは難しいが、國分さんがうまくガイドしてくれるので論旨についていくことができた。「崇高」の問題などは、今別に読んでいる星野太『崇高の修辞学』とも関わるので、見取り図を与えてもらいありがたかった。新書とは言いながらも、國分さん特有の粘り強い思考がみてとれ、前著『目的への抵抗』とともに面白かった。このシリーズの次作も期待したい。

…と、今日は論考でもエッセイでも小説でもなく「日記」という体裁で書いてみた。それは論考よりもエッセイよりも小説よりもハードルを低くして書いてみようと思ったからである。本来手書きノートに書くようなことをここに書いてみた。タイトルも敢えてキャッチーではなくそっけなくするつもりだ。いいねがひとつもつかなくても構わない(自分ではつけるが笑)。今日あったこと、思ったことを純粋に振り返る。そんな時間をもちたくて、カキフライを食べて満足したあとこうやってつらつら書いてみた。四行詩と架空卒論は毎日のライフワークとして、それ以外に1日1つ、こうやって文章が書けたら充分だと思う。久しぶりに書くことの初心を取り戻したような気分だ。また明日もいいことがありますように。

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