◆読書日記.《セイモア・V・ライト『モナ・リザが盗まれた日』》
※本稿は某SNSに2021年年10月22日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
セイモア・V・ライト『モナ・リザが盗まれた日』読了。
本書はノンフィクションライターの著者が1981年に発表し、米国推理作家協会賞(エドガー賞)を受賞した作品。
1911年、ルーヴル美術館から突如として姿を消してしまったダ・ヴィンチの『モナ・リザ』。その盗難の一部始終を解説し、犯行の動機を探り、そしてこの盗難事件を通じて『モナ・リザ』そのものの正体についてまでも考察する内容の一冊。
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1911年8月22日、ルーヴル美術館内の一室、サロン・カレに模写をするために通っていた売れない絵描き、ルイ・ベルーは焦っていた。
今日中に絵を仕上げたいというのにもかかわらず、今日はティツィアーノとコレッジョの間に鎮座していた『モナ・リザ』がどこかに持ち去られていたままだったのだ。
ベルーは警備員のプパルダンに幾度かせっついた。
そのたびその老警備員は「スタジオじゃろ。他には行きようがないから。午前中に写真でも撮っているんだろ?」と言って肩をすくめてみせる。
時刻は11時を回り、観光客も多くなってきた。ベルーは我慢できなくなり、プパルダンにチップをねじ込んで頼んだ。
「どうしてこんなに時間がかかるんです?今日、仕上げてしまわなければならない絵があるんです。お願いです。急ぐように言ってください。困ってるんだって言ってください」――言われたプパルダンはため息をつき確認しに行った。ベルーはじりじりとしながら老守衛の報告を待つことにした。
――その後、老守衛のプパルダンは驚きと戸惑いの表情でベルーの元に帰ってくる。
確認しにいった撮影スタジオには『モナ・リザ』は存在していなかった。
それどころか――その日、館内の誰もが『モナ・リザ』を動かした覚えがなかったのである。
「ジョコンダがどこかへ行ってしまった――消えてしまったんだ!」
あまりにもずさんな警備体制と言わざるを得なかった。
守衛のプパルダンが『モナ・リザ』盗難に気付いたこの時、犯人たちが犯行をやりおおせてから優に"27時間"もの時が経っていたのである。――
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ルーヴルのエジプト館館長ジョルジュ・ベネディットは直ちにパリ警視庁警視総監ルイ・ルピーヌに通報した。
この事件の重大性はすぐに周知された。国家警察総局とフランス内務省にもすぐに報告が上がった。
事件発覚した8月22日、ルーブルは「水道の本管が破裂し緊急の修理が必要」と説明し、午後三時で見学者の入場をストップした。
館内の見学者も退場させ、警官が突入。2~3時間で百人に達する警官が館内を捜索。
その時は既に、様々な噂が飛び交い、美術館の周囲には群衆が集まりだし、新聞記者さえ次々に押しかけてきていた。
午後五時三十分。エジプト館館長ベネディットは遂に『モナ・リザ』を紛失した事を公式発表。警視総監ルピーヌ以下捜査陣の手で、館内に隠されていた枠だけになった額縁が発見されたと告げた。
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『モナ・リザ紛失する!』の報は、その後何週間もフランスを席巻することになる。
その後、懸命な捜査にもかかわらず『モナ・リザ』の行方は杳として知れず。様々な犯人の目撃情報や「自分は盗まれた『モナ・リザ』を持っている!」と称する通報、その他様々なガセネタが寄せられたが、ジョコンダは戻ってこなかった。
失われた『モナ・リザ』が発見されたのは、それからしばらくたって1913年の12月を回ってからであった。
イタリアの画商アルフレド・ジェリに何者かが「ナポレオンの時代にイタリアから盗み取られた財宝の一つを国に持ち帰りたいという衝動に駆られている」と称する手紙を送ってきたのであった。
画商がその人物と連絡を取り、彼の泊まるホテルで現物を見せてもらった所――それが約2年間、姿を消していた『モナ・リザ』真作に間違いない事を確認したのであった。
画商は友人であったウフィッツィ美術館の責任者ジョヴァンニ・ポッジに鑑定を依頼。ポッジもこれを疑いの余地のない真作と確認した。
それから数時間後、イタリアに『モナ・リザ』をもたらした男の部屋にフィレンツェ警察の署長フランチェスコ・タランテッリ以下数名の警官が訪れ、彼を逮捕した。
『モナ・リザ』を所持していたこの男、名はヴィンチェンツォ・ペルージアというイタリア人であり、大工を生業としていた貧しい青年であった。
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本書の前半は、このモナ・リザ盗難事件の一部始終を「犯人側の視点」と「美術館/捜査陣側の視点」の両方からドキュメンタリータッチで描写していく。
イタリアで逮捕されたペルージアは「自分一人の犯行だ」と嘯いたが、実はさる贋作画商が計画を立て数名の実行犯によって行われた犯行であった事がわかっている。
彼らはどのようにして『モナ・リザ』を盗んだのか? そして、盗まれた『モナ・リザ』は何故フランス当局の必死の捜査にもかかわらず2年近くも見つからなかったのか?
――これは簡単に言ってしまえばルーヴル側のあまりの警備体制のお粗末さが招いた事件であったと言わざるを得ない。彼らはあまりに油断していた。
そのうえ、捜査に関しても本書の著者は「あまりにもやる気がない」とし、実は警察内部にも、この事件の主犯であった贋作画商が買収した人間が何名か紛れ込んでいたのではないかと推測しているほどである。
本書の後半では、捕まったペルージアの公判内容が紹介されている。
彼は「自分一人で行った犯行だ」と主張しながらも、その証言内容は二転三転し、内容が一貫していなかった。
また、この犯行はどう考えても一人だけで成立するものではなく、また、当時ルーヴル内で唯一犯人と思しき見知らぬ人物を目撃した美術館スタッフも、犯人は複数人いたと証言していた。
この犯行グループの犯行の一部始終は、主犯格である贋作画商の死後、その友人が一冊の本にまとめて出版し、その全貌を知る事ができるようになっている。
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美術品盗難という犯罪は、専門家によればそれによって動く金額は数ある犯罪の中でもトップレベルで、現在でも数十億の金額が動いているとも言われている。
インターポール(国際刑事警察機構)は世界に渡って行われる違法行為の中で薬物犯罪と武器輸出に次いで、美術品盗難事件を第3位と目しているという。美術品盗難と言う事件は、現代では世界規模での大型犯罪となっているのである。
しかし、盗難美術品を金に換えるという事は、本書で取り上げられた20世紀初頭から比べれば、現在ではより困難度が上がっている。
ロンドンの民間団体「ザ・アート・ロス・レジスタ(盗難美術品登録協会)」が盗難美術品のデータベースを作成した事によって、盗難美術品がオークションハウス(競売会社)によって出品される事が少なくなったからである。
つまり、現代においては美術品を盗難したとしても、それを売りさばく先がなかなか見つからないという状況にあるのだ。
そのため現代でも行われている美術品盗難事件の犯人は――
1)個人的に巨匠の傑作を独占したいと望む人間に持ち込まれるか
2)犯罪組織による裏取引の材料として使われるか
3)何かしらの資金洗浄に使われるか
――といった所が主だった犯行理由となっていくと思われる。
このように「美術品盗難事件」という犯罪は、現代の美術館の警備体制を考えても、上記のように盗難美術品の扱われ方を考えても、「個人の犯行」というのが非常に困難な犯罪なのである。
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本書で扱われたケースでは、犯行発覚に至った理由はどこにあったのだろうか?
これは、複数犯での犯罪ではしばしば発生する事なのだが――犯人グループ内の不和、それぞれの意向の行き違い、犯行メンバーそれぞれの疑心暗鬼……そういった所であった。
大きな金額が動く犯罪においては、こういった金銭面でのトラブルというものがありがちなのである。
「俺はあいつよりも常にリスクの大きい仕事をしたっていうのに、何であいつと俺の取り分が一緒なんだ?」「あいつはあんな単純なミスを何度もやって俺たちの足を引っ張ったっていうのに、何で図々しく自分の取り分を要求できるんだ?」――等々、全員が金にくらんで行った犯行と言ったものには、そういう金銭のトラブルが起きやすいのである。
時に、グループの犯行がバレたら自分さえも捕まりかねないとしても、怒りに任せて警察に密告してしまう人間というのもいて、こういうグループの犯行ではしばしばこういった理由で犯行が露呈することがある。
複数犯での犯行と言うものは、最も危険度が高いのが犯罪を実行している最中だとすれば、その次に高いのは「犯行後」なのだとも言えるだろう。
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※ちなみに本稿の現代における美術品盗難事件に関する事情はサイモン・フープト『「盗まれた世界の名画」美術館』(創元社)を参考にしています。