見出し画像

雑記92 時間の使い方について、ドラッカー 「時間をほぼリアルタイムで記録すること」

雑記92 時間の使い方について、ドラッカー 「時間をほぼリアルタイムで記録すること」

文字数2500


うち、引用600文字ほど





何かある作業で、途中でミスをしていることに後で気づき、後からその修正に追われるケースがある。

1人の人間には何かしら癖があるもので、恥ずかしながら自分などは、一度やったミスは大抵時間を置いてまた発生する傾向があるように感じている。



そうした、自分のおかしたミスを都度(毎回でなくても、時々) ノートなどに記録しておくと良いように最近思っている。

記録しておかないと忘れてうっかりミスが再発生しやすくなるが、記録しておくと、大事な場面で不意に自分の念頭に、前回のミスした事例が思い出されて、うまい具合に処理できるようになったりする気がしている。






将棋や囲碁だと、持ち時間が残り少なくなって、秒読みをされながら打つ場面があるようである。

中継映像などで時々見かけるが、棋士の方達が内心どう感じているか自分にはわからないが、自分としてはこうした「時間の逼迫 ひっぱく」は苦しいものだと感じる。

同じように感じる人は多いのではないか、とも思う。



時間の管理や扱いが上手い人もいれば上手くない人も、世の中にそれぞれいると思う。

自分は自分自身を 中の下、もしくは 下の上 くらいなのではないか、と勝手に思っている。

自分よりも時間の扱いにおいて、手筋がまずい人をよく見かけるが、自分よりももっと上手に時間を扱う人も見かける。




時間の扱いの難しいと感じる点は、
「時間が一見、前借りできる」という点にある、ということを自分は考えている。

仕事の締め切りが夕方なので、午前中はゆっくりしていると、夕方近くになった時に焦ることになる。

本当は午前中にある程度、スパートをかけてダッシュをしておくと、午後、夕方頃は、最後のスパートの強度を下げられる。

しかし、午前中は、締め切りが遠くにあるため、
「まだ、今はスパートの時ではない」という油断が生まれやすい。

おそらく、当人が頭でわかっていても、実際にはなかなか修正を加えてうまく運営する、ということができないケースが多い気がしている。





ドラッカーの「プロフェッショナルの条件」という本の中で、
時間についてあれこれ書いている。

ドラッカーは時間の扱いを向上することの重要性を力説しているが、
時間の扱いは、「時間の記録」によってこそ、向上する、と書いている。

以下、600文字ほど引用する。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用

ドラッカー著  プロフェッショナルの条件
ダイヤモンド社

part 3 、3章 「時間を管理する」

p120
「空間感覚は、闇でも保てる。だがたとえ電気の明かりがあっても、何時間も密閉された部屋に置かれると、ほとんどの人が時間感覚を失う。経過した時間を過大に評価したり、過小に評価したりする。
われわれは、どのように時間を過ごしたかを、記憶に頼って知ることはできない。」

p125〜
「時間の使い方を記録する
時間をどのように使っているかを知り、続いて時間の管理に取り組むには、まず時間を記録する必要がある。熟練、未熟練の肉体労働については、一九〇〇年ごろ科学的管理法が時間の記録をとって以来知られている。今日では、あらゆる国において、肉体労働の作業時間を測定している。

…(中略)…

時間の記録の具体的な方法については、気にする必要はない。自ら記録する人がいる。秘書に記録してもらう人がいる。重要なことは、記録することである。記憶によってあとで記録するのではなく、ほぼリアルタイムに記録していくことである。
継続して時間の記録をとり、その結果を毎月見ていかなければならない。最低でも年二回ほど、三、四週間記録をとるべきである。記録を見て、日々の日程を見直し、組み替えていかなければならない。
半年も経てば、仕事に流されて、いかに些事に時間を浪費させられていたかを知る。

時間の使い方は、練習によって改善できる。だが、… 」


引用おわり

・・・・・・・・・・・・・・・・・・







・ほぼリアルタイムに記録していく
・3〜4週間、時間の記録を行い、それを年2回ほどは最低でも行う
・方法はどんなものでもいい



とドラッカーは書いている。

自分は正直、3〜4週間、継続して、時間の記録をしていくのは難しいように感じる。

それでも、ほぼリアルタイムで、自分が何時何分から何時何分まで 何をした、という記録を、1日のうちに、3つか4つくらい書き留めておくと、

不思議と自分の中の、時間への感覚がそれまでよりも少しは磨かれるような気がしている。




自分は最近、「時間IQ」という言葉を勝手に考案して、その言葉をもってして、ものを考えたりしている。

時間IQは、意識的に磨くことができる。
流れゆく、一見つかみどころがないように感じられる時間を、
ドラッカーの言うように、「ほぼリアルタイム」で どんな形でも記録していくことで、そうしないよりも、「もう少し、つかみどころのあるもの」に変えることができる気がしている。

時間IQが磨かれない状態だと、暗闇の洞窟の中を、明かりもなく手探りで歩く状態に似ているが、
時間IQを少しずつ磨いていくと、明かりを手にして歩く状態に似てきて、思わぬ足を踏み損なうリスクを回避できるようになるかもしれない、

などと空想している。





ドラッカーの本の引用の最後に、

「時間の使い方は、練習によって改善できる。」と書いてある。

時間について、「この人は時間にしっかりしている」とか、「この人は時間にルーズだ」などの言い方がある。

人によってはそれは生来のもので、どうしようもないものだ(改善不可能なものだ) と考える人も割といるようにも感じる。

しかし、時間の使い方の腕前は、時間について記録をしていき、記録の蓄積が増えていくことで、意識的に向上していくことができるのではないか、
と自分は最近思っている。

そうした力を自分は意識的に伸ばしていきたい、と思っている。





ここまでです。

いいなと思ったら応援しよう!

OndokuAikouka(音読研究×小林秀雄散策)
記事をお読み下り有り難うございました。OndokuAikoukaと申します。よろしければサポートをお願いいたします。🙇いただいたサポートは、クリエイターとしての活動費や勉学費用に使わせていただきます。(書籍、文具、機械類など)どうぞ応援のほど、何卒よろしくお願いいたします。