不貞腐れた後輩の姿は、5年前の僕でしかなかった
社会人1年目。
希望が通らなかった配属先が不満で仕方がなくて、職場で不貞腐れている時期があった。
笑顔を一切見せないようにして、話しかけられても最低限の相槌に留め、この世の終わりみたいな表情でいることをひたすら心掛けた。
幼稚極まりないけれど、会社に対して自分の気持ちを意思表示せねばという思いでの行動だった。
担当している仕事自体は真面目にやっていたからか、職場でそのことを直接咎められることはなかった。
だけどある日、酷い態度を続ける僕に痺れを切らした上司の島田さんが、飲みに誘ってきた。
仕事終わりで向かったのは、会社から歩いて5分ほどの場所にある、小さな串カツ屋だ。
カウンター席に並んで座ってからも、僕は相変わらずムスっとしていたけれど、島田さんは気にせずに2人分の串揚げとビールを次々頼んだ。
たわいも無い話をしながらアルコールを流し込み続けていると、さすがに僕も気が緩んできて、笑ったりプライベートな話をしたりした。酒が回って、不機嫌でいることがバカらしくなってきたのである。
そのタイミングを見計らってか、島田さんは本題に入った。
「まあさ、こういうもんなんだよ」
島田さんは、歳の割に揚げ物を食べるペースが早く、お酒もどんどん飲み続けている。
カウンター越しに注文を追加しながら、淡々と話を続けた。
「俺らは、歯車なんだよ。そう言うと嫌かもしれないけれど、俺たちはサラリーマンである以上、会社の歯車でしかない。歯車だからこそ、会社には守ってもらってるからね。太くんの年齢だとさ、もちろん自己実現とか考えるよ。それも大事なんだけどさ、組織に属している以上は、組織のために働かないといけない」
まさに”歯車”という言葉は、当時大嫌いな言葉の一つだったけれど、僕は「そうですね」としか返事ができなかった。
あからさまに機嫌が悪く、社会人として恥ずべき態度を取り続けていた僕に対して、島田さんは怒るのではなく、淡々と正論を突きつけてくれた。
組織のことなんて一つも考えず、僕は自分のことだけを考えていた。とんでもなく恥ずかしい。
今までの無礼を謝るのも気まずくて、串揚げを前にして、僕は口を噤んで小さくなった。
ただ、島田さんはこうも続けてくれた。
「でも、強くやりたいと思うことがあるのは本当にいいことだよ。それがない人は多いし。ただ、それがないと仕事つまらないから。自分の担当はここまでとか思わなくて良いし、先輩から仕事を奪っちゃっても良いから、遠慮せずに積極的にチャレンジしてみてよ。邪魔はしないよ」
この日を境に、僕は職場で不貞腐れるのをやめた。
納得いかないことはその後もあったし、気持ちの切り替えができない日もたくさんあった。
だけど腐るのではなくて、前を向こう、前に進もうと思った。
マイナス方向ではなく、プラス方向に、自分の気持ちを向けよう。
島田さんが見てくれているし、どこに行っても、きっと島田さんのように思ってくれる人がいるはずだ。
そんな風に考えるようになってから、僕は歯車としての動き方、その中でやりたい事を実現する方法を、少しずつ覚えはじめた。
後後、僕がやりたいことを実現するチャンスがあった、社内の企画コンペにチャレンジすることにした時も、島田さんはそっとバックアップしてくれた。
社会人6年目。
新人時代から5年が経って、初めて直属の後輩を持った。
転職して会社も変わっていたけれど、人事の巡り合わせもあって、僕はどこの会社に行っても一番下っ端だった。
ようやく、このタイミングで先輩という立場になった。
下についたのは中里さんという女の子で、ローテンションで、斜に構えた性格だった。
元気な子が多い広告業界では少し珍しいタイプ。
この子と進める仕事に、僕は最初、てこずってしまった。
彼女は新卒入社の新人ながらも、資料の制作など頼んだことはしっかりできる、優秀な子だった。
ただそれでも、細かい部分の指導などは発生したし、社会人としての振る舞い方で、注意することもあった。
短期間でそういう指導が少し続いたある日、中里さんの僕に対する態度が明確に変わった。
あからさまに、不貞腐れるようになった。
最低限の受け答えしかしなくなり、僕に対して不満たっぷりの目線を寄越してくる。
その態度は、結構長い期間続いた。ムカつくし、ストレスが溜まった。
何度か咎めようとして喉元まで言葉が出かけたけれど、結局僕はその言葉を口にはしなかった。
そこにいる中里さんは、まるっきり、5年前の僕だったからだ。
不貞腐れている理由は違えど、昔の僕がそこにいた。
中里さんは、きっと僕のやり方に反発をしたり、矛盾を感じたりしてそうなっていたと思う。
組織での動き方も、やりがいの見出し方も、わからなくなって、そうなったのだと思う。
当然のことだった。
ついこの前まで、学生だったんだから。
思えば、自分もそうだった。
僕は悩んだ挙句、自分の新人時代に、島田さんが僕にしてくれたことを中里さんにもやることにしようと思った。
島田さんは僕のことを黙って見守ってくれて、ここぞというタイミングで言葉を掛けてくれたり、チャレンジを後押ししたりしてくれた。
同じようにできるかわからないけれど、僕もそれをしてみようと、思った。
中里さんの態度に引っ張られて、僕も不貞腐れてしまっては、島田さんが僕にしてくれたことが、無駄になってしまう。
まずは中里さんの仕事ぶりをチラチラ見るようにした。
そうすると、彼女がやりたいと思っていることが、なんとなくわかってきた。
中里さんは、自分で責任を持って、仕事を進めたがっている。
お客さんとのやり取りも、企画書を作るのも、制作作業を進めることも、アシスタントではなくて、中心になってやってみたい、そう思っているように見えた。
僕が事務的な作業だけを手伝ってもらおうとすると、いつも以上にローテンションになっていた。
後輩にどこまで仕事の権限を持たせるか、というのは悩むところだけれど、僕は中里さんにできるだけ仕事を任せることにした。
中里さんの同期を見回しても、自力で仕事をやりたいという気概を持っている子は、そんなに多くないように見えたし、彼女のやる気は大事にするべきだと思った。
島田さんも当時、そんな風に僕のことを思ってくれたのかもしれない。
仕事を渡すときは、部分的ではなくて、できるだけ中里さんが中心人物になれるように、仕事をスライドさせた。
お客さんとのやり取りも、企画書も、「自分がメインの担当者だと思って進めてみて」と伝えた。
ただ、島田さんが僕に組織での動き方を諭したように、僕も中里さんのために伝えるべきことを自分なりに考えて、同じことをクドく伝えた。
「中里さんの行動や資料を見て、お客さんがどう思うか。それだけはどんな仕事をするときでも、必ず考えてみて」
お客さんがどんなことを考えてこの仕事を発注してきてる?
僕らがお客さんだったとして、どういう話し方をされたら嬉しいかな?
決して仕事を丸投げにするのではなくて、一緒に考えた。
島田さんがかつて、自分と仕事をするときにそうしてくれていたように。
自分のことだけを考えているようでは、仕事はできない。
そして、プレゼンや重要な会議でのクライアントへの説明も、中里さんに任せるようにした。
移動中の電車の中などで、任された仕事を意識して中里さんが緊張した面持ちをしている時は、かつて島田さんが僕に掛けてくれた言葉を、そのまま彼女に伝えた。
「うまく話そうとしなくて良いから。自分の言葉で、ゆっくりと伝えよう」
僕が社会人2年目の時、一念発起してチャレンジした企画コンペに出る前日に、島田さんが言ってくれた言葉だ。
やりたい仕事のためには、ここしかないというチャンスだった。
人前で話すのも元々得意ではなかったから、偉い人もたくさんいる場でプレゼンしようと思うと、前日から吐きそうだった。
しかもプレゼンは1人でやらないといけないルールで、島田さんや他の先輩も同席してくれない。
それでガチガチになっていた自分に掛けてくれた島田さんの言葉を頼りにして、当日はなんとか話をすることができたし、コンペを勝ち上がって、やりたい仕事を実現することもできた。
コンペを勝ち上がったことよりも、後日島田さんに「ちゃんと話せてたって聞いたよ、よくやった」と言われたときの方が嬉しかった。
度々思い出すこの言葉は、中里さんにも知って欲しかった。
そんな風に僕が中里さんに掛けてきた言葉が、どれだけ彼女のためになったかはわからない。
時間が解決しただけかもしれないけれど、中里さんが不貞腐れた態度を僕に対してとることはいつの間にかなくなった。
串揚げ屋に行った日以降の島田さんと僕のように、愚痴を言ったり、冗談を言ったりするような、そんな関係が徐々に築けていったし、大変な仕事に直面しても僕たちはそれぞれの立場から助け合って一緒に乗り越えた。
中里さんが後輩になってから3年が経った。
僕は社会人8年目の終わりを迎えている。
彼女はもう僕があまり手を掛けなくても仕事を進められるくらいに、成長した。
最近では、元々僕のお客さんだった人が、僕ではなくて中里さんを指名して仕事を発注してくれるようになった。
辛いことが多くて、新卒で入った社員の半分以上が3年以内にやめてしまうような仕事だけれど、そこまでメキメキと力をつけてくれたのは、自分のことのように嬉しかったりする。
僕は今の会社を今月で辞めて、来月から新天地で働く。
先輩である僕が辞めることによって、中里さんは今まで以上に仕事に責任が生じて、そのうち後輩を持つようにもなるだろう。
彼女も上の立場になると、新しい悩みに直面することもあると思う。
僕より優秀だと思うから軽々と乗り越えてしまうような気もするけど、苦しんだときは、きっとモヤモヤしていたであろう新人の頃のことを思い出して欲しいと思う。
自分が何に悩んでいたか、何が好きで楽しくて嬉しかったか。
先輩や上司の言動の何が納得いかなかったか、何をきっかけに前向きになれたか。
おこがましいけれど、僕が伝えたことも、少しだけ思い出してくれても良いかもしれない。
僕が伝えたことは、ほとんど島田さんが伝えてくれたことでもあるから。
最近常々思うけれど、僕ら一人ひとりが仕事で体験する感情や出会う言葉は、遺伝子のように、食物連鎖のように脈々と受け継がれていく。
島田さんから僕へ、僕から中里さんへ、中里さんから未来の後輩へ。
形は違えど、そうやって一人ひとりの言葉が巡り巡って、悩む誰かを励まし、仕事の形を作っていく。
僕は新天地で、どんな言葉を受け取るだろう。
また、どんな言葉を伝えることができるだろう。
これから迎えるたくさんの出会いが、今からとても楽しみだ。僕はその出会いの中で、できる限りの思いを込めて仕事がしたい。
悩んだ時には誰かの言葉に耳を傾け、悩んでいる誰かにはできる限りの言葉を伝えたい。
その先で、社会が少しでも良い方向に向かっていく、なんてことになれば、とても嬉しい。
環状線は僕らをのせて / the chef cooks me
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?