見出し画像

映画ラストマイル感想。お金は何のため、誰のために使うのか?

こんにちは。
人生哲学研究家のおかゆです。

日頃は心理学と対話を通じた対人支援をしていますが、文章を書くのが好きなので、エッセイストとしても活動しています。

今日は3連休の2日目。
ずっと観ようと思っていた映画を観覧することができました。

noteの編集ページを開きながらなんなんだ、と思われるかもしれないのですが…

『いや、本当は書く気はなかったんだよ!!!!』

せっかくの休日。
ゆっくり読みたいと思っていた本を読むも良いし
普段手をつけられていなかったこと
気持ちがむいたら仕事を進めるのもいいな

と余白としてやりたいことが色々あったんですが。

映画ラストマイルをみて、
当事者として、これは書かなければいけない…
書くんだ、それがお前の生きる意味だ!!
という研究家魂がうずいてしまい、PCを開くに至りました。

書き始めると3時間くらい溶けるので、それはそれで楽しんだけれど。
普段から考えていることが多く「本当は書きたいけど、それに集中して戻ってくるのに時間がかかるから書かない」としていることも、実は結構あります。

今回はその葛藤の中でも、というか葛藤もなしに
「書こう」
とふってきたので、書きます。

※本編の内容に触れますので、未視聴の方はご注意ください。

私はアンナチュラル、MIU404両方とも視聴しており、両作品とも好きですが、今回は登場人物の関係性や心理描写というよりは、映画をみてうけとったテーマを深ぼる内容になるので、少し変わった視点になるかもしれません。

それでは、おかゆが見る世界をこの場に広げていきます。
思索と再考の空間へ、ようこそ。


映画ラストマイルから受け取ったこと

脚本家や製作陣の意図するところかはわかりませんが、私が本映画をみて受け取ったこと、関連するテーマをまず列挙します。

・一カ所への経済的依存、集中
・グローバル企業と日本、文化の違い
・誰のために働くのか
・"はたらく"と"こころ"
・親から子への継承
・それぞれの立場
・昔は良かった、のか?
・安ければいいのか
・誰に、何にお金を払っているのか
・そうさせる社会構造と個人の選択
・貢献か、消費か
・頑張れ、もっとやれる、の呪い
・優秀さとはなにか

細かく言えばもっとありますが、それを全部あげて述べていくととんでもない量になるので、今回はピックアップで。

『誰に、何にお金を払っているのか』を扱ってみます。

What do you want?

非常にシンプルな英語。
繰り返された、このフレーズが頭に残っている。

What do you want?

"あなたがほしいものは、なんですか?"

私は、これに加えてもうひとつ問いたい。

What do you want?
Who is it for?

"あなたがほしいものは、なんですか?
それは、誰のためですか?"

お腹が空いたから、カフェでパンを食べる。
食事がほしくて、自分のため。

お母さんの誕生日だから、ネットショップでドライフラワーを買う。
プレゼントを買いたくて、お母さんのため。

こうみるとシンプル。
けど、忘れちゃいけない。

この売買の流れに関する一文目の「○○だから、■■を買う」をA
「…という目的があって、△△のため」をBとすると
Cも存在するのである。

お腹が空いたから、カフェでパンを食べる。
食事がほしくて、自分のため。
その食事は、カフェ店員さんがつくってくれて
私は対価として800円を払った。

お母さんの誕生日だから、ネットショップでドライフラワーを買う。
プレゼントを買いたくて、お母さんのため。
ドライフラワーは、お花屋さんがつくってくれて
私は対価として3000円を払った。

EC販売をする、色んなことを感じる

出品者当事者として

先程の例は、最後に戻ってきましょう。

ここで、私が「当事者」と言っていたのは、なんのこっちゃ?というところの伏線を回収します。

あまり表立っては言ってこなかったのですが、私は大手ECモールでの物品販売を経験しています。自身で出品アカウントを開設し、商品アイディアを練り、リサーチし、原価計算、仕入、出品、広告運用、梱包、発送、販売…その結果の売上を受け取り、対価としての手数料を支払ってきました。販売や発送処理、配送等の一部工程を担ってもらうことに対する対価ですね。

(今後はこの経験を資源としていく予定)

本作のDAILY FASTは架空の企業ですが、なんとなく、こちらを観覧された多くの方は「あぁ、現実世界でいう、あの会社と似ているな…」と思われたのではないでしょうか。

私が確認する事実としていえば、大手ECモールを運営する企業では実際に、自社が仕入れ・自社倉庫で保管・販売する商品もあれば、販売代行として出品者の商品を倉庫に受け入れ、販売・発送することをサービスとしているところもあります。端的にいえば「販売・配送代行サービス」ですね。
販売と出荷までは自社で管理し、配送は配送会社と連携していることが多いと思います。(様々な形態がありますが、今回説明するのは映画で取り上げられていたサービスと相違ないと思います)

私は出品者当事者として、特に
・EC販売にかかるコスト
・販売者としての葛藤
・一部消費者のレビューに対する意見

をお話していきます。

※各社によってシステムに多少違いがあると思いますが、大まかにこういった設定である、という前提でお伝えします。

コストがかかっている

出品者が負担するコストは
・プラットフォームの月額料金
・販売手数料
・送料
・広告費
・倉庫保管料
・商品原価
・梱包資材代
など。

計算するとみえてくるのですが、原価率が50%だったとして、送料や販売手数料で40%を使ってしまったら、残り10%は広告費やそのほかの経費で消えてしまいます。

だから我々は、できるだけ安く仕入れようとする。
安く仕入れられたら、お得に感じることもある。
あるいは高単価で価値あるものを販売しようと、試行錯誤する。

手数料に目を向けていきましょう。
配送が必要であれば、そのための人件費や配送料金がかかる。

私自身、「配送料金は、安ければ安いほど、有難い」と思っていたことがあります。けれど、適正価格を提示してもらうことも必要だと、今は考えています。(映画を見る前から感じていた)

適正価格とはなにか?

配送料とは異なりますが、この前、とあるサービスを受けることになったときに様々な経緯があり、有難いことに

「感謝の気持ちを込めて、(値下げ価格)でご提供できればと思います」

と言っていただけました。
これは、そうやって気持ちを込めてくれたことが嬉しい。正直にいえば、値引きしてもらった分を他の活動に使うことができるので、助かったと思う心理も働きました。

しかし、その後に葛藤が生じました。

「せっかくそうは言っていただいたけれど、本来なら正規価格だったところを、私は払わなくていいのだろうか。この人はそれによって苦労したり、損をしたりしないだろうか…?

と。

本人が気持ちよくいってくださったことなのですから、素直に受け取っておけばいいものなのですが、値下げてもらうことに罪悪感を覚えました。

とすると、私は「お金を払うこと」で「私はあなたを応援したい」という気持ちを表現したいのかもしれない。

安い配送料は配送会社の苦労や工夫あればこそだと思う。細かい時間指定が可能で、複数回再配達してくれる日本の宅配は、本当に有難い。(気になる方はアメリカの事例などみてみてください。)
人手不足が更に進めば、時間指定や再配達〇回から着払いで有料、あるいは直接配送拠点にとりに来る…など変化があるんだろうな、と予見しています。

販売者としての葛藤

私の出品者としての葛藤は『過剰包装』です。

ギフト商品を扱う際に、いつも葛藤があります。

ギフト商品は、なにかの記念に購入され、特別な日に、その人の手元に届きます。(AさんがAさん自宅に届けてBさんに渡すこともあれば、AさんがBさん自宅に直接配送設定されることもある)

であれば、この"特別"を守るため、梱包はできるだけ厳重であることがベターです。昨今ではエコ意識が高まったことから、過剰包装をさけるところもありますが、やはりギフト商品は「壊れないように」丁寧に緩衝材を詰めたり、袋を何重にもしたり…という工夫がなされています。(商品にもよりますが、取扱い注意のものはより一層)

私はこの時に
「壊れたもの、破けたもの、欠けたものが届くことは避けたいけれど、過剰に資材を使うことは、環境負荷が増えるし、コストも嵩んでいく
という葛藤をします。売上がたってコストをそこまで気にしなくて済む時でも、物品販売の環境負荷を考えて悩むことがよくあります。
なにをするにも、なにかのリスクや負担が生じるとは思うのですけれど。

ちょっとのことだと思う。けれど、何日も、何か月も、何年も続けていると、その分、この世界のどこかで、なにかを削っているのではないか…という気持ちになる。

顧客に満足してもらうラインと、持続可能であるライン。
これがクロスするポイントはどこか?

これは梱包資材や物品販売に関わらず、あらゆる事業においてある課題だと思います。

スピ―ド重視になっているのは、それを顧客が求めるから。
顧客が求めるものを企業が提案したから。
それは、従業員、顧客、社会システムで、人間あるいは機会によって、無理なく持続可能なことなのか?

今回の映画で描かれていた「配送」や「請負業者」の課題は、そのシステムに直接関係する人たちだけではなく、社会全体に関わることだと思いました。安いもの、便利なもの、お金を払っている自分も、その一部になっている。

一部の低評価レビューに対する意見

これは販売事業者として、仕事仲間ともたまに交わされる意見のため、添えておきます。

商品購入後のユーザーレビューで
『よく考えると高かった』
というコメントを時折みかけます。そして評価は1/5。

こういうレビューをする時は、高い理由を考えてみてほしい。

たとえば、なにかのお菓子のセット。

クッキーのファミリーパックを同一種類×12袋セットだったら安いかもしれない。
けれど、

クッキー/チョコ/おせんべい/チップス/飴/グミ/ガム…と、複数種類を12袋セットにしたら、値段が上がることが多いです。
それは、それをセット組するための「費用」がかかるからです。多くは人件費。

これを買い叩いてしまったら、人件費を例にいえば、その「セット組する作業をしてくれた人」に適正な報酬が支払われないことになります。

高いと感じて買うのをやめるのなら、それは個人の自由です。
高くてもそれがほしいと思ったのならば、なぜほしいのか?を明確にしておくと、後悔や文句の言葉が浮かんでくるストレスを少しでも減らせるのではないでしょうか。

かくいう私は、すべてのことに頭を使って「それは高いね」と一言もいわない…なんてことはないですが、もし購入したものに対して高いと感じてレビューするのであれば、自分が感じたこと/高いと感じた理由や根拠を仮説として添えます。(論文みたいだね)

頭を使わずにかえる利便性、その利便性はどのような仕組みで成り立っているのか。誰がその仕組みを支えているのか…と考えていったら、少し世界の一部になれる感覚や、モヤモヤをおさめる一助になるのではないでしょうか。

お金とはひとつのエネルギーの循環である

お金の流れの話でいえば、今回、配送委託業者の父・息子親子の姿が印象的に描かれていました。休憩60分をとる余裕もない。過去には休憩10分、一日200件届け過労死した人もいた。時間指定で配達するが、受け取り人が不在。今回のマンションには宅配ボックスがありましたが、システムや住居環境によっては、置き配などができないこともあります。そうすると、1件150円の報酬が受け取れなくなってしまう。

利便性や低コスト化のために、誰かが不当な苦労している。
それと同時に、自分の払ったお金は、誰かの役に立っている。
私の支払ったお金は、受け取る人のためにもなっているのか?

お金とは、エネルギーの循環であり、働くことで得られる報酬の一つですから、人によってはお金を命を交換したようなものだと感じる人もいるかもしれません。

貨幣の誕生やどのような発展を遂げたかは様々な説がありますが、一説として、物々交換、物品交換、そして貨幣交換へと発展してきました。

昔から、交換の原理がある。

けれど、そこには、人と人が関わるストーリーがあったのではないか。
もらった分を別の形で返したり、その人ではなく誰かに送ったり。

私は「価値」という言葉をどのように扱うのか迷うことがありますが、

お金を使う時は
『自分がそのサービスに価値を感じているか』
が重要だと思います。

一見、世間一般からみて高い買い物は
本人が高いと思いながらも納得して購入するかもしれないし
価値を感じているから高いと思わないかもしれないし
高いから買わない、というのも一つの選択でしょう。

本作では、羊急便とDAILY FASTの契約で
配送料をどんどん買い叩かれている
取引の6割がDAILY FASTだから断りにくい
そんな関係性が描かれていました。

「脅すというのは、立場が上の者から下の者へのものであって
これは正当な交渉です」

ニュアンスの再現

というのは、とても刺さった。

これはBtoBの話に限らないと思います。

企業に雇われている雇用主・被雇用者の間であっても、給与の交渉は行われることもあるのでしょう。

Who is made happy by that?

最後に、最初の例にふれて、収束させていきます。

「カフェ定員さんがごはんをつくってくれた」
「お花屋さんがドライフラワーをつくってくれた」

私にできないこと、あるいはできるけど誰かにお任せしたいこと
をあげました。

何かをしてほしい、対価としてお金を払うことで、お願いしますよ、という関わりが生まれる。あなたとお金、商品、お金を受け取る人のみでなく、生み出す人がいる。
この部分を、忘れてほしくない。

What do you want?
Who is it for?
And who is made happy by that?

"あなたがほしいものは、なんですか?
それは、誰のためですか?
そして、それによって誰を幸せにしていますか?"

見ず知らずの人とも繋がりを持てるのは、売買が始まり、ということもある。
気になるショップ、カフェ、お店屋さんで、目に留まったものを買ってみた。そこから会話が生まれた。その街が少し、好きになった。

お金を汚いもの、冷たいものという一面だけで見ないでほしい、という想いもある。

「書かねば!」と使命感に燃えていたのは

この世界は、たくさんの人が協力して成り立っているんだよ、ということ。

あなたは既に満ち足りていて、物質的に裕福なのになにかが満たされていないことは、物質ではなく繋がりによって満たされるのかもしれないよ、ということ。

いつもこういうことを私が考えているので、そういうことが、事例を通じて伝わればいいな、という想いでした。

雑多ですが、最後までお読みいただきありがとうございました。

ラストマイルの考察をみるのを我慢していたので、これからゴリゴリ探してみようと思います。

ぜひ感想を教えてください。
それでは。

いいなと思ったら応援しよう!