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哲学日記・メモ

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哲学・日記・メモ 「世界を終わらせる問い」

哲学・日記・メモ 「世界を終わらせる問い」

満たされて、満たされて尚問う「問い」があるとしたら、それはこの世界とこの私の終わり(と同時に始まり)についての問いなのだろう。終焉にまつわる問い(そもそもの始まりと終わりに関する問い)と言っても良い、それは、子や孫に、次世代に、そしてさらに言えば人類の永続性に委ねるべき問いではなくて、私一代で完結させねばならない、世界を完全に終わらせる問いなのだ。それは満たされて、満たされることで初めて知る絶望を

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哲学・日記・メモ ふるさと のこと

哲学・日記・メモ ふるさと のこと

「ふるさと」のこと

●私のにとっての「ふるさと」とは、どうも土地や地域に根差してはいないようです。                             ●私の「ふるさと」は、いつもあそんだでいた裏山の大きな岩であったり、家の庭にひょこひょこあそびに来ていたアヒル、友達であった犬のロン。神社の社の縁の下の蟻地獄。砂利道に寝そべっている青大将。ちんちん焼きそばのオジサン。そういった、モノや事々で

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哲学・日記・メモ 対話の目的は、しぐさの変容とその更新?

哲学・日記・メモ 対話の目的は、しぐさの変容とその更新?

対話の目的を次のように考えてみます。
●①見解の異なるもの相互が、理解し合える一致する部分を見出すための協働。                               ●②見解の異なるもの相互が、理解し合えない部分をより明確にし、理解し合えない事を互いに理解する為の、協同。
●②は嫌だなーという人は多いきがします。が、②も、①に劣らず大切な観点だと私は考えています。
●としたうえで、さらに重要

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哲学・日記・メモ believe と being の事

哲学・日記・メモ believe と being の事

believe と being の事                              ●「信」は「疑い」に裏打ちされている(※1)。
●この疑いが払拭されると認識になる。「認識」は何にも裏打ちされずに、ただ端的に認識されるだけである。
●しかしそんな事は本当に可能なのだろうか?と、問う事から私にとってのそもそもの問いが始まる。
●即ち、その「認識」とピッタリと合一するような「生」は果たし

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哲学・日記・メモ ワイエスの作品から「私・過去・描くという事」について

哲学・日記・メモ ワイエスの作品から「私・過去・描くという事」について

「私・過去・描くという事」について

過ぎ去って、はじめて出逢う、人、ものものもの。
失ったものは何もなく、別れた人も誰もいない。
嬉しくて嬉しくて、涙があふれてくるのは何故か。(岡村)

●『snowHill』はアンドリュー・ワイエスが晩年に描いた作品です。
過去、ワイエスの絵画に登場した人物達が手をつなぎ輪になって踊っています(※1)。
●ワイエスは晩年、どんな想いでこの作品を描いたのだろうか

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哲学・日記・メモ あそびとアジール

哲学・日記・メモ あそびとアジール

●アジールの定義を、
「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」
とするならば(WIKIによる)、そしてそれらに序列をつけるのならば、私にとっては次の用になります。
①「無縁所」
②「自由領域」
③「避難所」
④「聖域」
●何と!
私にとっては「聖域」が4番目!
●普通だったら聖性を最上位としてもいいのだろうけど・・・アジールという限定が付くとそうもいかないのです(「聖なるもの」に対する考え方とかス

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哲学・日記・メモ イデアと原型

哲学・日記・メモ イデアと原型

端的に言えば、だけど、
輪郭を重ねて地下から浮かびあがるのが原型(アーキタイプ)。
輪郭を削って本質を天上に抽象するのがイデア。
かな。
端的に言えばだけど。
双方結果は似ているけど過程が全く違います。
それから、
重ね合わせる原型は抽出だけど、削りだすイデアは抽象。
抽出はイメージと図式の領域であるのに対して、抽象は概念と観念の領域。
そういう違いとして考える事も出来そうです。

哲学・日記・メモ「問い」の進展について

哲学・日記・メモ「問い」の進展について

「問い」の進展について  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
①「!?」
世界そのものに対しての驚きと問いかけ。言葉ではない問いとしての「驚き」。言葉ではない「驚き」としての「問い」。あるいは「問いと驚きの未分化な全体」。先ずは世界があるという驚きから始まる。しかしこの世界そのものへの驚きと問いかけは、大人になる前に忘れてしまう(そしてたまに美しいものを見た時や、世界そのものと対

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哲学・日記・メモ 恐竜の多様性に思う事

哲学・日記・メモ 恐竜の多様性に思う事

●恐竜って何であんなにも多様化したのだろう?
●尾っぽに分銅を備えたり(アンキロサウルス)頭付きに特化したり(パキフェァロサウルス)、顎を強力な武器としたり(ティラノサウルス)、足が速かったり(イグアノドン)鎧をまとっていたり(ステゴザウルス)、と。
●私は恐竜の多様な形態をみていると、これを本当多様性とみて良いのだろうか?と考えてしまいます。多様化というよりも特殊化・先鋭化と言った方が妥当ではな

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多様性について

多様性について

●環境や社会的な概念としての「多様性」は明らかにプラグマテックなもの。その意味で組織論や組織のチームビルディングなどでよく使われており、親和性が強いのはよく理解できます。
●しかし、福祉とか宗教的な思想が「多様性」を語るときはかなり目指すものが異なる気がします。そして異なるにもかかわらず、何となく同じものとして使用してしまっているようにも感じています。
●むしろ福祉、宗教の語る多様性をプラグマティ

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主観と客観?

主観と客観?

●ジグムント・フロイト。鉛筆画。まだ途中です。本人は亡くなっているので、写真を描いているわけですが、写真の図像に可能な限り、忠実に「客観」的に描いてます。                        ●可能な限り「客観」を得るためには、私は絵を写実的に描くことをお勧めします。主観を排して廃して、灰に帰すまで退ける。そうして「客観」を得ることが出来るから。というのは、しかし実は嘘である。     

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メモ 「調和」と「破綻」。調和の裏の顔としての破綻への同等の評価

メモ 「調和」と「破綻」。調和の裏の顔としての破綻への同等の評価

●「調和」を思想として(生き様≒暮らし)として志向するのか、

または、

●「調和」をプラグマテックに志向するのか、

という選別はしていても、どちらを選ぶかはかなり悩みます。

それはさておき、別の悩みもある。

こっちの悩みはもっと愉しい、本当の悩みであって、たぶんライフワークなのです・・・これは。

●これは、「調和」を求める前提となった「破綻」についての哲学的考察(考察という実践)です(

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