見出し画像

哲学・日記・メモ 恐竜の多様性に思う事

●恐竜って何であんなにも多様化したのだろう?
●尾っぽに分銅を備えたり(アンキロサウルス)頭付きに特化したり(パキフェァロサウルス)、顎を強力な武器としたり(ティラノサウルス)、足が速かったり(イグアノドン)鎧をまとっていたり(ステゴザウルス)、と。
●私は恐竜の多様な形態をみていると、これを本当多様性とみて良いのだろうか?と考えてしまいます。多様化というよりも特殊化・先鋭化と言った方が妥当ではないかと思ってしまうからです。
●多様性って環境の変化に対応できるよう、類の存続をかけた種の多様化なのだとすれば、しかし、恐竜のようにあまりに先鋭化しすぎた多様性は、むしろ環境の変化に対応できないように思います(それこそ特殊に先鋭化された環境でしか適応できないから)。
●多様性は本来多様な進化によって類が一度に滅んでしまう事を避けるためのものであるはずなのに・・・。
●そんなことを考えていくと、もしかしたら恐竜が展開した「多様性」はもしかしたら類の存続のためのものではなかったのかもしれないと、夢想する事も出来る。
そして、この夢想を根拠とするならば「多様性」には2種類あると言えるのかもしれない。

●つまり①類としての適応と生き残りをかけた「多様性」と、②類から先鋭化を武器として逸脱を志向する「多様性」。この二つ。恐竜が選んだのは後者の多様性出あったのだとしたら?
●それは滅びに向かう多様な拡散を志向する逸脱である。        そして、だからという理由だけでこれは、ただ単に否定されるべき事であるのだろうか?とも思います。                     ●ここから始まる「哲学」があってもいいと思うからです。

いいなと思ったら応援しよう!