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哲学日記・メモ

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#雑文

雑考・日記・メモ「雑草と言う草はない のかもしれない のだけれども」

雑考・日記・メモ「雑草と言う草はない のかもしれない のだけれども」

雑草と言う草はない のかもしれない のだけれども

雑草と言う草はない、と牧野富太郎は言ったけれども、雑草と言う草はある。それは有用な野菜や観賞植物に対する、その他もろもろの雑草として在る。「野菜・観賞植物 対 雑草」と言うステージでは、雑草というカテゴリーは対立項として不可欠だからだ。
ではそう言う有用性のステージではない、共同のステージで雑草と言う草は無いのだろうか?そう、確かに無いのだと思う

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雑考・日記・メモ「『もののかたり』と『物語』の事」

雑考・日記・メモ「『もののかたり』と『物語』の事」

「もののかたり」と「物語」の事

「もののかたり」はそのつどの「もの」との対話である。
それは単なる「出来事」である。
そしてこの「出来事」の痕跡が収集されるとそれは「記録」となる。
さらにこの「記録」に意味が付与される事でそれは「歴史」となる。
しかしこの「歴史」には意味が付与されてはいるが、「目的」は付与されてはいない。
そうして、「歴史」に目的が付与される時、歴史は「物語」となるのだろう。

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雑考・日記・メモ「漫画アシュラの事」

雑考・日記・メモ「漫画アシュラの事」

昨年亡くなった白土三平(2021年10月8日)。白土三平の『カムイ伝』は好きです。でも、人の「在り方」に関してジョージ秋山の『アシュラ』程徹底していない気がします。

「生まれてこないほうがよかったギャア!」とアシュラは叫ぶ。何故俺は生まれてしまったのか!俺が望んだわけではないのに!

『アシュラ』に一貫している苦悩であり叫びであり、問いである。

この衝撃的なセリフ。

しかしこのセリフのインパ

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雑考・日記・メモ「いただきますの嘘」

雑考・日記・メモ「いただきますの嘘」

いただきますの嘘

私に食われた者たちは決して私を赦してくれないだろう。

それは私が何れ死に、数多生き物の糧となる、そういう命の循環を説いてさえ赦してはくれないだろう、だとすれば、私が生きるために命を食らう事への感謝の念とか、それを言葉にして食事の毎いに命を「いただきます」等言う事は、自己欺瞞に過ぎない。本当に命を食らう事に咎を感じるのならば食わなければいいのだから、そんな文句を百万回唱え海より

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雑考・日記・メモ 「『シークレット・カメラ』」

雑考・日記・メモ 「『シークレット・カメラ』」

『シークレット・カメラ』

『シークレット・カメラ』                      作: フランク・ダバ・スミス
訳: 落合恵子
写真: メンデル・グロスマン
出版社: BL出版  2001年

おそらく1939年頃に撮影された写真。                 写真の中でじっとこちらを眼差すこの少年は「今はもういない」。    1939年と言えば生きていたら100歳近いので当然な

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哲学・日記・メモ「死は平等。しかし死に方は不平等。だから私は」

哲学・日記・メモ「死は平等。しかし死に方は不平等。だから私は」

「死は平等。しかし死に方は不平等。だから私は」

死は平等だ。                            
しかし死に方は平等ではない。                       
楽な死に方もあれば苦しみ悲惨な死に方もある。              
死に方の不平等とは、死に方の、想像しうる限りでの多様性の事でもある。

ところで、社会における善悪は相対的で、善は悪にもなるし悪は

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雑考・日記・メモ 「支配の罪(または功)があるならば誘惑の罪(または功)だって対等に扱いたい。」

雑考・日記・メモ 「支配の罪(または功)があるならば誘惑の罪(または功)だって対等に扱いたい。」

「支配」の罪に関しては多く語られるのに「誘惑」の罪について語られることが少ないのは何故か。単なる時代に因るものなのかそれとも・・・。

「支配・権力・男性性の罪」と「抱擁・誘惑・女性性の罪」を等価とする事は、反転して言えば、男性性と女性性の功を等価に肯定する事と矛盾しない筈なのだ。と思うのです。

だから私は対極主義!

哲学・日記・メモ「目の前の貴方は私の可能性の顕現である、かもしれない?」

哲学・日記・メモ「目の前の貴方は私の可能性の顕現である、かもしれない?」

目の前の貴方は私の可能性の顕現である、かもしれない?

複雑で繊細な議論をしたいとは思いません。
だから大雑把なところでの所感を述べれば、大乗仏教における菩薩道とは、目の前の貴方を含めたあらゆる魂の現前は、私の可能性の顕現である、と考える事によってしか、私はこの菩薩道を納得することは出来ません。
すべての「者=もの」を救済することが、私の解脱の必要条件であるという菩薩の祈願。「現前するあらゆる『者

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雑考・日記・メモ「ハウスで栽培!」

雑考・日記・メモ「ハウスで栽培!」

ズッキーニの収穫がぽつぽつと始まりました。
まだまだ伸びていきます。
これから次第に寒くなるので、地温を保つためにキュウリの畝にはもみ殻を株もと全体に敷き詰めてみました。この後は病気防除のためにお酢を葉面散布する予定。
ハウスの中は整理整頓を心掛けて、私自身も含めてきちっと環境を整える事を心掛けています。
以下余談。
整理整頓!しかしこうしてみるとハウスの中は私の独裁。野菜の姿は北朝鮮の軍事パレー

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哲学・日記・メモ「こどもの哲学とろうじんの哲学」

哲学・日記・メモ「こどもの哲学とろうじんの哲学」

こどもの哲学とろうじんの哲学

「こども」は世界と出逢い、世界に驚き世界に問いかけ、「世界への問いかけ」を介して世界とあそぶ。
「ろうじん」もまた同じくあそぶ。
しかし「ろうじん」はもう一歩先まで足を延ばして「世界への問いかけ」自体を問う事で、単なる「こども」の問いには収まらない。
だから「問う事」を哲学の本質とするならば、だから「こどもの哲学」は「ろうじんの哲学」に敵わない。
世界と出逢い、その

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哲学・日記・メモ 「リアリズム絵画を描くという事・見るという事」

哲学・日記・メモ 「リアリズム絵画を描くという事・見るという事」

リアリズム絵画を描くという事・見るという事

●写真の様な「リンゴの絵」がある。そういう写実的な絵画制作を志向する画家の群もいるし、そういう絵画の鑑賞を愛好するコレクターも多い。では写実志向の画家と鑑賞者は、写実絵画に何を求めているのだろうか?
●リンゴがある。画家はリンゴをそっくりそのまま描きたいと思い筆をとる。そしてそっくりそのままを写し取る。しかしそれは何か違うと思う。表面的に写し取っただけ

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雑考・日記・メモ  「80年代・脱構築・差延・蕩尽」

雑考・日記・メモ 「80年代・脱構築・差延・蕩尽」

80年代の脱構築・差延・蕩尽の乗り越えなのだな。それは消費と結託しない脱構築・差延・蕩尽の仕組をよく考え、新しく創出するという事だろう。その方法論の確立ともいえるし方策の実践ともいえる。まず必要なのはそれだろう。安易なニューエイジに流れないためにも。だからと言って私はそういう霊性を否定しているわけではないのだけれども。

雑考・日記・メモ 「ダーマ&グレッグ」

雑考・日記・メモ 「ダーマ&グレッグ」

ドラマは昔から全く見ないのだけれども、唯一好きになって観ていたドラマが『ダーマ&グレッグ』。
当時居酒屋の仕事をしていて毎晩帰宅が0時過ぎ。その時たまたまTVを付けたら放映されていたのが切っ掛けでした。
ヒッピーのダーマと英米エリートのグレッグが、出会った(再会?)その日に結婚。その結婚生活が面白い。
全く異なる主義・文化を持つ2人だけれども、互いに強制せずに、むしろ互いの異なる文化を驚き楽しんで

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哲学・日記・メモ 「真善美と偽醜悪と・・・」

哲学・日記・メモ 「真善美と偽醜悪と・・・」

人は何故悪に魅入られるのであろう?                 ヒエロニムス・ボッス然り、曽我蕭白然り歌川国芳然り。        古今東西、芸術と言われる領域で「真善美」と同等もしくはそれ以上に、創造の才覚は「偽醜悪」にむけて喜々発揮されてきたという事実は刮目されて然るべきであると思います。                    「真善美」が増す程その影となる「偽醜悪」は色濃く強くその身をそ

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