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哲学日記・メモ

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2021年1月の記事一覧

哲学・日記・メモ 「世界と私が別たれたという、そもそもの始まりに対するスタンスの取り方の4運類について」

哲学・日記・メモ 「世界と私が別たれたという、そもそもの始まりに対するスタンスの取り方の4運類について」

世界と私が別たれたという、そもそもの始まりに対するスタンスの取り方の4運類について

分裂したものを見ていると、それに対してのスタンスの取り方が4通りがあるように思います。
①分裂したものを一つにまとめ上げる試み。還元的志向。
②分裂したものを、分裂したままに関係を取り持とうとする志向。三位一体。
③分裂したものをさらに細かく分裂させていこうとする志向。多様性。
④分裂してしまった、という事実に立

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哲学・日記・メモ 「岡本太郎を好きではない理由」

哲学・日記・メモ 「岡本太郎を好きではない理由」

岡本太郎を好きではない理由

岡本太郎。嫌いです。と言うと言いすぎなので好きではない。としておきます。                                ●私は岡本太郎の「対極主義」にはシンパシーを覚えるけれども、太郎が私的な制作における対極主義ではなく、社会性を志向した対極主義に向かった事が許せません。太郎の生きた時代性を差しいひいても、認められません(これも言い過ぎかも。時代の影響

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詩・散文 「鬼と翁童」

詩・散文 「鬼と翁童」

『鬼と翁童』
おにあーそぼ
川崎洋編『子供の詩』(文春新書)に収録されている一編の詩である。子供らしい直截な表現が魅力だが、これは子供の詩だからこそ魅力なのだと思う。大人の作であれば、ひねった感にいやらしさを覚えきっと私は冷めてしまうだろう。では90余歳のご老人の作であったらどうか?あかぬけた粋な表現として、それなりにしっくりしたものとして納得するのではないだろうか?子供と老人にはぴったりなのだ。

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哲学・日記・メモ 「世界を終わらせる問い」

哲学・日記・メモ 「世界を終わらせる問い」

満たされて、満たされて尚問う「問い」があるとしたら、それはこの世界とこの私の終わり(と同時に始まり)についての問いなのだろう。終焉にまつわる問い(そもそもの始まりと終わりに関する問い)と言っても良い、それは、子や孫に、次世代に、そしてさらに言えば人類の永続性に委ねるべき問いではなくて、私一代で完結させねばならない、世界を完全に終わらせる問いなのだ。それは満たされて、満たされることで初めて知る絶望を

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詩・散文 「人生の完結に向けたケアについて覚書」

詩・散文 「人生の完結に向けたケアについて覚書」

人生の完結に向けたケアについて覚書

その人の最後の段階で、その人生をどう締めくくるかは、どのような環境でどのような人と関係を築くか、が鍵となる。「どのような人」、このもっともな担い手はケアする者であろう。終わりよければすべて良し・・・とは言い過ぎかもしれない。しかし、その人の人生をよいものとして色づけるか、惨めな挫折として印象付けるかは、ケア如何にかかっている。ケアは人の一生をそのように左右する

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詩・散文 「粉雪の舞う夜に」

詩・散文 「粉雪の舞う夜に」

粉雪の舞う夜に

幾千万の粉雪がひらひらと舞い降りていく。舞い降りて地に重なって消えていく。 そんな光景を見ていると、かつて幾千万もの人々が生れ落ち、総て異なる生を歩み、 例外なくこの世から去っていったと言う事に、静かな衝撃を受けざるを得ない。  
                       
誰一人としてこの世界で生き残ったものはいないのだ。そしてこれからもいないのだ。 そんな当たり前の想念が

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哲学・日記・メモ ふるさと のこと

哲学・日記・メモ ふるさと のこと

「ふるさと」のこと

●私のにとっての「ふるさと」とは、どうも土地や地域に根差してはいないようです。                             ●私の「ふるさと」は、いつもあそんだでいた裏山の大きな岩であったり、家の庭にひょこひょこあそびに来ていたアヒル、友達であった犬のロン。神社の社の縁の下の蟻地獄。砂利道に寝そべっている青大将。ちんちん焼きそばのオジサン。そういった、モノや事々で

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哲学・日記・メモ 対話の目的は、しぐさの変容とその更新?

哲学・日記・メモ 対話の目的は、しぐさの変容とその更新?

対話の目的を次のように考えてみます。
●①見解の異なるもの相互が、理解し合える一致する部分を見出すための協働。                               ●②見解の異なるもの相互が、理解し合えない部分をより明確にし、理解し合えない事を互いに理解する為の、協同。
●②は嫌だなーという人は多いきがします。が、②も、①に劣らず大切な観点だと私は考えています。
●としたうえで、さらに重要

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哲学・日記・メモ believe と being の事

哲学・日記・メモ believe と being の事

believe と being の事                              ●「信」は「疑い」に裏打ちされている(※1)。
●この疑いが払拭されると認識になる。「認識」は何にも裏打ちされずに、ただ端的に認識されるだけである。
●しかしそんな事は本当に可能なのだろうか?と、問う事から私にとってのそもそもの問いが始まる。
●即ち、その「認識」とピッタリと合一するような「生」は果たし

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哲学・日記・メモ ワイエスの作品から「私・過去・描くという事」について

哲学・日記・メモ ワイエスの作品から「私・過去・描くという事」について

「私・過去・描くという事」について

過ぎ去って、はじめて出逢う、人、ものものもの。
失ったものは何もなく、別れた人も誰もいない。
嬉しくて嬉しくて、涙があふれてくるのは何故か。(岡村)

●『snowHill』はアンドリュー・ワイエスが晩年に描いた作品です。
過去、ワイエスの絵画に登場した人物達が手をつなぎ輪になって踊っています(※1)。
●ワイエスは晩年、どんな想いでこの作品を描いたのだろうか

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哲学・日記・メモ あそびとアジール

哲学・日記・メモ あそびとアジール

●アジールの定義を、
「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」
とするならば(WIKIによる)、そしてそれらに序列をつけるのならば、私にとっては次の用になります。
①「無縁所」
②「自由領域」
③「避難所」
④「聖域」
●何と!
私にとっては「聖域」が4番目!
●普通だったら聖性を最上位としてもいいのだろうけど・・・アジールという限定が付くとそうもいかないのです(「聖なるもの」に対する考え方とかス

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