コオロギは「つづれさせ」と鳴くのか〈中編〉ー中国の俗言ー
【スキ御礼】コオロギは「つづれさせ」と鳴くのか〈前編〉ー日本の俗言ー
この「俗言」によく似ている「俗言」が中国にあった。
それは、古代中国の詩集『詩経』に詠まれた動植物について解説した書物である『毛詩草木鳥獣虫魚疏』。
この中に「蟋蟀」について書かれたものがある。
「蟋蟀」とは、コオロギのこととみられる。
怠け者のご婦人でもコオロギの声を聞けば驚いて機織りの仕事を始める、というのである。
この中国の俗言も、日本の俗言も、コオロギの声が寒い冬の到来を警告しているという意味では共通している。これは偶然なのだろうか。
違っているのは、中国の俗言が「機を織る(衣の新調)」であるのにに対して、日本の俗言は「綴れ刺せ(衣の修繕)」という点である。
『毛詩草木鳥獣虫魚疏』は三国時代(3世紀の前期)呉の陸璣によるもの。
同書は日本にも平安時代に伝わっている。日本最古の 漢籍 の分類目録で、宇多天皇の命で藤原佐世(847~898)が作成した『日本国見在書目録』(891年作成)にも同書が載っている。すなわち宮中の書庫に同書があるのである。
引用の和歌に戻ってみよう。
秋風にほころびぬらし藤袴つづりさせてふきりぎりす鳴く
作者の在原棟梁(850~898年)は、平安時代の貴族・歌人で在原業平の長男。『日本国見在書目録』が著された891年は41歳ごろにあたり、左衛門佐という官位に就いているときにあたる。
『日本国見在書目録』の成作者である藤原佐世は、在原棟梁の3歳年下の38歳で、この時は左近衛少将の地位にあった。
『日本国見在書目録』は、宮廷にある中国の文献を内容ごとに四十種類の綱目に分類したもの。
『毛詩草木鳥獣虫魚疏』は、その中の「三、詩家 百六十六卷」の綱目に分類されている。
引用の歌の前書きに「寛平御時后宮の歌合の歌」とある。
これは、宇多天皇の後援により母の班子女王が催した歌合せで、紀貫之・壬生忠岑らが、四季・恋の五題で100番200首(現存192首)の歌を合わせたもの。889~893年に開催されているという。
すなわち『日本国見在書目録』が作成されたほぼ同時期にこの歌が詠まれているのである。
歌の作者在原棟梁は、コオロギの俗言が書かれた『毛詩草木鳥獣虫魚疏』を手に取って読む機会が十分にあったのである。
〈後編に続きます。近日投稿予定。〉
(岡田 耕)