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鑑賞*笛吹川の風美しき九月かな
佐野 聰
川の流れを眺めながらも対象物との間に時間の流れを置いて笛吹川を透かし見ている。
笛吹川、なんとも美しく一度聞いたら忘れられない名前である。
その名前の由来は悲しく、六百年ほど前、父を追って住みついた笛の名手の権太郎と母が秋の長雨による洪水で流されて…という悲話が言い伝えられている。
悲しい気持ちのときほど空や風の美しさが身にしみる。
(岡田 耕)
(俳句雑誌「風友」平成二十四年一月号 「風友」五周年記念大会吟行記「笛吹川の風美しく」)
☆笛吹川は、甲府盆地の南西部をながれて富士川に合流する。その名の由来の悲話は、権三郎を葬ったとされる長慶寺に案内板があったので、引用します。
笛吹権三郎と笛吹川の由来
甲武信岳、国師岳に源を発して流れる子酉川(後の名前を笛吹川と呼んでいる)の急流に沿った山奥の上釜口村(現在の三富村上釜口)に落人の親子が住んでいた。子の名は権三郎と言い祖先は後醍醐天皇の忠臣であったが、戦に敗れて上釜口村に逃れて来たと言う。権三郎は母に孝養をつくし、名手と言われる横笛を吹いて母を慰め村人も笛の妙音に聞きほれており平和な楽しい日々を過していた。
然「好事魔多し」の例、天正五年(一五七七年)七月の豪雨により家もろとも急流にのまれ権三郎は辛うじて助ったが母は行方不明となってしまった。それ以来、権三郎は昼夜の別なく浅瀬は石伝いに、淀みは小舟を用いて笛を吹きながら母の霊が何か知らせてくれる望みをいだき探し尋ねたが遂に発見することができなかった。権三郎も長い間の疲れから深みにはまり流されてしまいました。村人も捜したが発見することができず数日後小松村・笛吹川の淵に流れている遺体を懇ろにあげて長慶寺の開山・円誉長慶上人により手厚く葬られた。これが今に伝わる権三郎であり、以来この川は笛吹川と呼ばれるようになった。
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黄色:権三郎と母が住んでいたとされる上釜口地区
赤色:権三郎が葬られている長慶寺
「笛吹川 - Wikipedia」に加筆
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写真/長慶寺(岡田 耕)