杜牧が春を惜しむ訳
【御礼】#日本史がすき 応募作品の中で、「鑑賞*惜春や焦げ跡著き弥生壺」が先週特にスキを集めました!とのことでした。
晩唐の詩人 杜牧の五言律詩に『惜春』があります。
惜春 杜牧
春半年已除
其餘強為有
即此醉残花
便同嘗臘酒
悵望送春盃
殷勤掃花箒
誰為駐東流
年年長在手
この詩の中で、首聯の「除」という字の解釈には、二つあります。
一つは、「去る」と言う意味。もう一つは、「陰暦四月」。
解説書も二通りに解釈が分かれています。
前者の例です。
齋藤著の解説では、春の半ばですでに一年が終わったも同然と詠っているのは、大袈裟なようだが、そこに常套を破る杜牧の斬新な発想が表れている、と説明されています。
後者の例です。
二十四節気では立春から立夏までが春の季節ですが、暦(陰暦)の上では、正月から三月までが春。
年によっては、季節の半ばで暦はもう夏の四月になることがあります。
首聯はその食い違いを言っていて、暦(陰暦)の上では夏でも、まだ(二十四節気では)春が残っているのだと強調しているのだ、といいます。
真のところは、作者の杜牧に聞かないとわかりませんが、私は鑑賞する者として後者を好みます。
頸聯では、「悵望送春盃」と、春を見送る悲しい盃を挙げると言っています。
もし、四月になる前に一年が終わってしまうのなら、悲しみの酒を、残り九か月以上も飲み続けなければならないのですから。
(岡田 耕)