丁稚一号 / 小嶋あきら
落語の台本です。徐々に追加したりしなかったりします。万一御奇特にも口演されるという際には作者名をクレジットしてください。また、その旨お知らせ頂けますと幸いです。もしかしたら観に行きます。
常々ぼくは「普通の国から普通の宣伝にやって来たようなごくごく普通のひとです」と自己紹介します。自分自身をできるだけ客観的に見て、つくづく自分は普通の範囲を超えられてないなあと自覚しているからです。 世の中には普通じゃない人が居ます。それは単に非常識な困ったひと、というのも含めてですが、普通のひとを超えた素晴らしい人というのもたまに居ると思うんです。 普通の程度を超えてる様を「あほ」という言葉で表すことがよくあります。「あほほど足が速い」とか「あほほど面白い」とか「あほほ
男女ともにあんまり結婚せえへん世の中になってきた、なんてよお言われます。やっぱり不景気なんですかね、どうも結婚して子供作ってゆうのんが難しい世の中やー、なんていいますが。しかしまあ、やっぱり若い人の中には異性というものが気になることも多いようで。
最近よお事故物件なんていいますな。なんやこの部屋妙に気色悪いな、なんて思たら誰ぞが亡くなってた、なんてよお聞きますが。
アウトドアブーム言うんですかね、最近なんや「ぼっちキャンプ」とかゆうて、流行ってますやん。一人で山の中でキャンプするやつね。ぼくの友達でも一人、してる人居てますねん。そいつがまた怖がりゆうか、お化けが怖いゆう奴なんです。怖いのに一人で山の中に泊まるて、どうもその心理がよおわからんのですが。だいたいそんな山の中、お化けが出るより普通のサラリーマンが出た方がよっぽど怖いと思うんですが。ほんで怖いもんやさかい、キャンプ中にLINEしてきよるんですわそいつが。「いえーい、キャンプな
発明家と言いますとなんやエジソンさんとか、むかし本で読んだ偉人みたいなんを思いがちですが、そんなんよりもぐっと身近ないわゆる町の発明家ですな。気むずかしそうで、そのわりに話を始めると長ぁーなりそうな、ちょっと変わった人が多いような気がしますが。
鯨の肉というと昔は牛や豚よりも安いもんでした。給食にも「鯨のノルウェー風」とかありましたね。どこら辺がノルウェーやったんか、またそもそもノルウェーてどんなとこやったんか、まだまだあほな小学生やったもんでよおわかりませんでしたが。
M8はライカのレンジファインダーでは初のデジタルカメラでした。最初のモデルなのでいろいろ試行錯誤中なところが残ってたのか、「赤外線フィルターが弱くて黒いものが赤っぽく写る」という不具合、いや「味」がありました。 これを利用して、可視光をカットするフィルターを使って赤外線写真を撮ることができます。 一眼レフでもボディ内の赤外カットフィルタを外せば(どうやって外すのかは知りません)赤外線写真は撮れるらしいのですが、レンズに付けるのがなんせ可視光をカットしてしまうフィルターなの
1970年代の中頃、我が家に不思議なぬいぐるみがいました。3本の足、3つの目を持った、三角形の白いやつです。 誰かが買って来てくれたものだとは思いますが出所不明で、しかし名前は「トンガちゃん」らしいということはなぜかみんな知ってました。 トンガというと南太平洋の国です。多分そこにはこんな感じの神様が居てはるんやろう、というのが家族の共通認識でした。 その後何度かの引越しを経て、南洋の神様はどこかに旅立たれてしまったのか今はもう家にいらっしゃらず、また家族の記憶からも遠
4月のある良く晴れた日、午後深めの時間に道を歩いておりました。 たぶん学校帰りのJCが3人、楽しそうに喋りながら通りかかりました。 爽やかな春の空気の中、屈託のない笑顔で笑い合いながら。 3人それぞれ、笑顔に負けない屈託のない春色の声で、爽やかに、 「おめこー!」「おめこー!」「おめこー!」 と、楽しそうに声を掛け合いながら、去って行きました。 春って、シュールだなぁ……。
プロの貧乏人ですが、まだ「貧乏で食べていく」という境地には至っていないので、いちおうゆるゆると仕事もしています。 もともと頑丈な方では無かったので、「ちから」がありません。力仕事は無理です。さらにかしこではないので頭脳労働も無理です。なので、文章を書く仕事をしています。売文業、ナウな言い方で「ライター」というやつですね。 普段使ってる言葉で普通に文章を書いて、それでお金がもらえる。いや、よくぞ世の中にこういう仕事があってくれたものです。 ただ、ライターの仕事は不安定
11年前の夏。前職を辞めたぼくは、その年に定年退職された先輩のNさんのヨットに、フィジーからニューカレドニアまで乗せていただきました。1週間あまりの南太平洋クルーズ。コーラを積んでいこうと思っていたのに、出発前に買いそびれてしまいました。 フィジーを出航、リーフを越えて数時間もすると、もう360度どこにも陸地は見えません。 9月の南太平洋は暑さはさほどでもありませんが、日差しはとても強いです。喉が渇きますが、積んでいるのは水とビールばかり。ぼくはビールは一缶も飲むともう酔っ払
翌朝一番に、坂本竜馬記念館に行った。海の見える丘の上の、なかなかモダンな明るい建物だった。正直にいうと、僕自身は今まであんまり坂本竜馬という人のことにそれほど興味が無かったのだけど、やっぱりこうして資料を見るとつくづく面白い人やったんやなあと思った。幕末の日本を走り回って、明治維新の形を作った人、というふうに、大雑把な知識としてしか知らなかったけど、実は日本で初めて新婚旅行に行った人だった、なんて書いてあるのを見ると、ふーん、ほなそれまで、日本の人は結婚しても特にどっか遊び
「久しぶりー、俺、いま奈良に居るんだー」 「あれ、ゴンちゃん? 」 平成十四年九月の中旬、ツーリングに行きたくなる時候の頃。ロサンゼルスに居るはずの奴から、突然電話がかかってきた。お婆さんが亡くなって青森の実家へ帰ってきたのだけど、葬式終わって四十九日まで暇なので、親父さんのバイクを借りて南下してきたらしい。で、今は奈良に居るのだという。 「でさ、明日、竜馬に会いに行かない?」 「竜馬って・・・。四国の桂浜やんなあ」 「そうそう、バイクで桂浜まで行って、
カキオコ。怒り狂った牡蠣のことではなくて、牡蠣の入ったお好み焼き。てゆうか、お好みの入った牡蠣焼き、というくらいにゴロゴロと大きな牡蠣が惜しげもなく入っていて、その日ぼくらはシアワセだった。 帰りにお土産を買いに寄って、こいつと出会ってしまった。カキフライソフト……。 とても美味しい牡蠣フライと、結構本格的にいい味のソフトクリーム。努々それらを分離して味わうことがないように、とのメッセージが込められたようなソースがべったり。 もしもそれぞれ違う場所で巡り会っていれば、わ
二十五年勤めた役所を辞めたのは、平成二十二年の春でした。 たぶんもともとあの仕事は自分には合ってなかったんです。いや、そういう言い方は不遜ですね。ぼくが合ってなかったんです。 就職してしばらく、昭和の終わり頃まで職場の雰囲気は結構緩くていい感じでした。ちょうどバブルに向かって盛り上がっていた時代。がんがん働いてガポガポ稼ぎたい人達は皆さん頑張っていて、ぼくらはそこそこしか稼がない代わりにのんびり人生を楽しんでいて、なんとなく世の中いい感じだったんじゃないかと思います
いわゆる旅好きの人から「あんなものは旅じゃない」と見下され、若手社員からは「なんで休みの日に行かなきゃなんないんすか」と不評を買ったりしていた「慰安旅行」。 「旅」として考えると確かにいろいろ違和感はありますけど、でも「観光バスに乗って楽々移動」「バスの中でいきなり酔っ払い」「目的地に着くやいなや温泉と大宴会」「翌日は酔っ払い組と爆睡組にはっきり分かれたバスの中」というようなのって、見方によってはそれはそれで楽しげじゃないですか。 それにたまにツーリングの途中とかに高速の