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慰安旅行と昭和の巨大温泉・伊東に行くならハトヤ

いわゆる旅好きの人から「あんなものは旅じゃない」と見下され、若手社員からは「なんで休みの日に行かなきゃなんないんすか」と不評を買ったりしていた「慰安旅行」。

「旅」として考えると確かにいろいろ違和感はありますけど、でも「観光バスに乗って楽々移動」「バスの中でいきなり酔っ払い」「目的地に着くやいなや温泉と大宴会」「翌日は酔っ払い組と爆睡組にはっきり分かれたバスの中」というようなのって、見方によってはそれはそれで楽しげじゃないですか。

それにたまにツーリングの途中とかに高速のサービスエリアなんかでこういう一行に出くわすと、なんとなくみんな幸せそうに見えるんですよね。

つまり「旅」という括りで考えるからおかしいのであって、あれはもう「慰安旅行」という別のもの、一つの確立したジャンルだと思えばいいんじゃないでしょうかね。

まあ、最近はあまり慰安旅行に行く職場も少ないようですが。昭和の頃には、それはもう大変に盛り上がっていたんですよね。ある程度の規模の職場だと、旅行代理店の営業さんがせっせと訪ねてきて「来年の慰安旅行、もうお決まりですか? えっ、まだ? 実はものすごくお得なプランがありまして……」なんてセールスを繰り広げたりしてたものです。そして職場にはたいてい忘年会や慰安旅行、場合によっては暑気払いなどのイベントを司る「幹事さん」というポジションの人が居て、仕事中にもかかわらず「うーん、やっぱり白浜かなあ」なんてパンフレットの宴会メニューなどを眺めながら、営業さんと料金の交渉などをしていたんですね。

その頃というとまだ土曜日が半日出勤のところが多くて、世の中全体に週休二日制が完全に浸透していなかった時代ですので、週末に行く旅行先は「土曜日の午後に出て宴会の時間までにたどり着くことができる場所」というのが第一条件でした。

たとえば大阪の会社だと「有馬」「城崎」「和歌浦」、ちょっと足を伸ばして「白浜」「勝浦」「三朝温泉」、強者揃いの職場だと「萩」「道後」「別府温泉」というようなところが人気でした。関西人のぼくはちょっとその辺疎いのですが、これが東京の会社だったら「箱根」「熱海」「日光」といった辺りなんでしょうか。

慰安旅行の目的は、まず第一に「宴会」です。そして第二は「温泉」。実は「観光」はあまり重要ではありません。そう、「慰安旅行」といいながら、実態は「ちょっと場所を変えて飲んで騒ぎましょう」というのが趣旨であって、加えて「帰りの電車を気にしないでとことん飲みましょう」や「旅行という名目があるから、土産さえ買って帰れば家族に気を使わなくていいもんね」といった要素が絡んで成り立っていたイベントなんですね。

つまり反対からいうとこれは「行き先は別にどこでもいい」ということでもあります。

会社がたくさん集まっている場所というと、なんといっても東京、そして大阪ですよね。なので、先に挙げた行き先の候補地はどれも「距離が適当」で「温泉がある」というところに当てはまっていて、当たり前のようにとても賑わっていました。

そういう観光地では、大勢のお客さんを受け入れるために巨大な温泉旅館がたくさんできました。元祖というかルーツというか、超有名なところでは伊東のハトヤでしょうか。温泉大浴場のある巨大旅館で、プールがあって大宴会場があってテレビCMもバンバン打って、っていうああいうやつですね。最上階に回転展望大浴場があったり、本館と別館がロープウェーで繋がっていたり、さらにそのゴンドラも浴槽になっていたり、島が丸々一つの旅館になっていて洞窟温泉があったり。そしてその外観や内装のデザインも当時流行ったスペースエイジというか、時代の先端から突き抜けたような、どことなく大阪万博テイストを感じるものでした。

時代が平成に入ってしばらくすると、週休二日制が浸透し始めました。

「これからは土日をフルに使えるので旅行先の自由度が増えるぞ」「いままでよりも遠くへ行けるし絶対盛り上がりますよね」と、慰安旅行周辺の人々は大いに期待していました。しかしいざそうなってみると、時代の流れといいますか「土日二日もつぶれるのもったいなくね?」という空気が出てきたんですね。元々土曜日の午前中は嫌でも出勤していたわけで、職場からみんなで出かけるからまだ抵抗が少なかったんですね。それが休みの日に朝からわざわざ出てきて職場に集合して、ってなると面倒くさいし、丸々二日つぶして職場の人と宴会するのはいかがなものか、と考える人が多かったということです。

そんなこんなで慰安旅行が廃れていって、都市近郊の温泉地にあった巨大温泉旅館はどんどんつぶれて廃墟になっていきました。温泉地が廃れると、かつては全国各地で隆盛を誇っていたストリップ小屋や秘宝館というようなおもしろいかがわしいパラダイスもどんどん姿を消していきました。

もう五年ほど前になりますが、東京へ行った帰りに熱海に寄りました。とうとう全国で最後の一軒になってしまった「熱海秘宝館」を訪ね、由緒正しい昭和の巨大温泉旅館・伊東のハトヤに泊まるためです。しかし、かつて新婚旅行というと熱海といわれた一大観光地の夜は、ごく鄙びた地方都市という風情になっていました。そして街のそこここにこびりついた昭和の香りに、ノスタルジーで胸がいっぱいになりました。いま行っておいてよかった。心底そう感じた秋の初め頃です。

慰安旅行と巨大温泉旅館。この先おそらくもう二度と光を浴びることのないカルチャーでしょう。そしてその残滓というか後ろ姿を見ることができるのも、たぶんもうしばらくでしょう。あまり長い時間は残されていないと思います。

緊急事態宣言が解除されて、初夏の風が戻ってきたら、昭和探しに出かけてみませんか?


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