【目印を見つけるノート】582. 時はとどまらずリズムを打つ
小春日和ですね。
土日はいつものお散歩もお休みなのですが、今日は天気もいいし、近隣のお寺に出かけてみました。
七五三の親子連れでいっぱいでした。
お寺の本堂でも中にある寺院でも、お題目を唱える声がいっぱいで、ああ、ここはやはり聖域(清浄な場)なのだなと実感しました。
お寺というとどちらかといえば人生最後の場のように受け取られているようですが、違うのです。
私は特定の宗教に依っていないのですが、清浄な空気の中にいると心地よいと感じます。そんな風に長く通っているうちに、このお寺の歴史ガイドができるのではないかぐらい詳しくなったような気がします。800年を超える古刹ですから、潜りがいがありますよ。
歴史以外はサッパリです。お経をフルで諳じられるぐらいでないと、まだまだですね。
今日は妙見堂に行ってみました。
ここは妙見菩薩像が祀られているお堂で、加藤清正の娘、瑶林院ゆかりの場所です。瑶林院には肩書きがまだ付きます。紀州徳川の祖である頼宣の正室で、そちらの方がメインでしょう。『暴れん坊将軍』で有名な八代将軍・吉宗は頼宣の孫にあたりますが、瑶林院とは血が繋がっていません。
また、彼女の母は清浄院といい、水野忠重の娘です。初代福山藩主、水野勝成の妹ですね。簡単に私の視点を述べますと瑶林院は水野勝成の姪なのです。
私は水野勝成の小説を書いていますが、ゆかりの場所は岡山・広島・愛知に多くあります。そうそう行けないのです。ですので、この妙見堂、少し離れた紀州徳川家墓所(瑶林院のお墓があります)は唯一、東京で水野勝成の縁者の跡を思える場所なのです。
その割にはあまり通っていなくてスイマセン。
久々にお参りしましたが、静かでよいところだなと改めて思いました。手を合わせているときに、ふっと、「そういえば、瑶林院のことを書いていないなあ」と思いました。その他の人については結構書いたのですが、「ああ、書いた方がいいかもしれない」と思いました。
「私の話を書いてくれてもいいと思う」と言われたような気がして、お堂を後にしたのでした。
歴史はひとりの人によって作られるわけではありません。血とか一族とか同時代の人びとなどがもろもろ絡んでずっと続いていくものなのです。ガルシア・マルケスの有名な小説『百年の孤独』は視点が独特でたいへん複雑なのですが、あのお話を書こうと思った原点は何となく飲み込めるように思います。整理を拒む混沌とすべてに通底する元型の感覚、でしょうか。濃厚なエピソードの群れを『孤独』とくくったのはやはり強烈です。
あ、でも学生の頃にざっくり読んだきりなのです。あの頃まで南米に独裁政権の国がいくつもあって、ニュースと併せて読んでいたのでその色も濃い印象です。あしからず。今読んだらまた違うかもしれませんね。
ということで、今は来年書くもののことをひたすら思案しています。
土曜日の濃密な夜に似合う曲を。
UA『リズム』
この曲、好きなのです🤭
では、みなさま、よい週末を。
お読みくださって、ありがとうございます。
おやすみなさい。
尾方佐羽