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【目印を見つけるノート】202. 糸巻きと『妹背山』とThe Smithに思うこと

朝からお弁当を作って、社会科見学に行く子どもを送り出しました👍
今は洗濯機をぐるぐる。

⚫糸巻きの話

ハンドメイド用の紐系の材料を整理しました。紐系というと、真田紐、サテンリボン、チロリアンテープ、ブレード、レースリボン、刺繍のテープetcです。
「適当な糸巻きはないかなあ」と思いながらぐるぐる巻いています。すると、なぜか……

「迷いはぐれし、かた鶉、草の靡くをしるべにて、いきせきお三輪は走り入り」

というセリフが頭の中にポンと浮かんできます。歌舞伎や人形浄瑠璃の演目、『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の第4段です。
ここで恋を貫くための大切な道具が「糸巻」なのです。
糸をたぐって、恋しい人のもとにたどりつくという筋立てが最高に素敵で、悲しい。
通してのあらすじはたいへん長いので、

概要はこちらを
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modules/kabuki_dic/entry.php?entryid=1023

あらすじはこちらを
http://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/1176

ちなみに、歌舞伎や文楽の筋立ては非常に緻密です。歴史に題材を取っていても、そこから飛躍して独創的になっているし、文字通りドラマティックです。今だったらノーベル文学賞ものの演目がいくつもあると思っています。

『妹背山』のストーリーを分解してみたら……あ、それは大島真寿美さんが『渦』でもうやっていらっしゃいますね。素晴らしい。

かたやそれより古い、能楽も歴史に題材を取っていますが、あの世とこの世を超えたものも多く、たいへん幻想的かつ詩的です。たまに自分の小説で引用することがありますが、いつも情景表現の上手さに舌を巻いています。

たとえば、引用したことのあるこちら。

「ほととぎす、名をも雲居に揚ぐるかなと」
「仰せられければ」
「頼政右の膝をついて、左の袖を広げ、月を少し目にかけて、
 弓張月の、いるにまかせてと、仕り御剣を賜り、
 御前をまかり帰れば、頼政は名を揚げて、
 我は名を流すうつほ舟に、押し入られて淀川の、淀みつ流れ行く末の、
 鵜殿も同じ芦の屋の、浦曲の浮洲に流れ留まって、
 朽ちながらうつほ舟の、
 月日も見えず冥きより、冥き道にぞ入りにける、
 遙かに照らせ山の端の、遙かに照らせ、山の端の、
 遙かに照らせ、山の端の月と共に、
 海月も入りにけり、海月と共に入りにけり」
(『鵺』より 『謡曲百番』岩波書店)

言葉が古いということで、劇や謡曲のいわゆる脚本のためのものだということで、あまり文学として踏み込まれないのは本当に残念なことです。

私の場合は現代の小説よりそちらに惹かれる方が多いかもしれません。
目指しているといってもいいでしょう。


もとい、糸巻きの出てくる話だと、『アリアドネの糸』の話も思い浮かびます。ギリシア神話ですね。ミノタウルスという怪物の棲む迷宮で迷わないために、糸巻きと糸が活躍するのです。
あるいは、『眠りの森の美女』でしょうか。オーロラ姫ですね。彼女は針に刺されて眠りについてしまいますが、その側にも糸巻きがありました。

西洋ではどうも、怪物とか魔性のものについてくるくる回るもののようです。

そういえば、The Smithsの『Reel Around The Fountain』もくるくると回るような、この上なく美しいメロディの曲ですが、歌詞はコワイ。
((( ;゚Д゚)))
「なぜ、こんなにきれいなメロディに、こんなに恐ろしいメタファーの歌詞を乗せてくれるんだ」とMorrisseyの才能の底なしぶりに戦慄しました。訳も解説も付けられません。
それがMorrisseyですね。

巻く話に終始しましたが、そもそも紐系を始めたのは鞆の肥後屋さんからお取り寄せした鯛味噌の包装を結んでいた紐からでした。

今は鞆と肥後が出てくるお話を書いていますので、とても不思議な気分です。
肥後屋さんの、私の好きなnoteを引用させていただきます。

石畳のある風景|鞆 肥後屋 #note

原稿、昨日は連載のものを書いていたのであまり進みませんでしたが、17,000字は超えました。佳境ですね😉


⚫お籠りクラフトとばら

きょうはレースのチョーカーです。あとはインドのテープで作ったリボン、大きすぎたので直しました。

チョーカーのアップはこのような感じです。

ウェディング仕様かな。キャー😆

ばらは3つめのつぼみが開きそうです。

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

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