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古新聞の中で、1994年のMr.Childrenに出会った


 ロックバンド:Mr.Children(以下ミスチル)を愛してやまない俺は、決して古参ファンではない。
 渋谷La.mamaで演奏していたことも。
 ラジオで「抱きしめたい」が大流行したことも。
 アルバム「Atomic Heart」で“ミスチル現象”が起こったことも。
 絶頂期の最中に問題作「深海」をリリースし、バンド自らブームを挑発したことも。
 活動休止中、メンバーの半数がthe pillowの山中さわお氏とバンドを組んでいたことも。
 ヴォーカルの桜井和寿氏が脳梗塞で倒れ、生死の境を彷徨っていたことも。
 2006年頃にファンとなった俺にとっては、全てが後付けの知識で、過去形でしかない出来事だった。


 ファンになる以前のバンドの姿を知りたくなった俺は、彼らのインタビューが掲載された『ROCKIN’ON JAPAN』『別冊カドカワ』『BREaTH』などの古雑誌を収集するようになった。


 ある時、買った古雑誌の中に新聞記事の切り抜きが挟まれているのを発見した。
 その記事は京都新聞などで連載されていた、反畑誠一氏の「ヒットの周辺」。
 内容は「innocent world」(1994年)が発売された時期のミスチルに関する論説だった。
 以下に一部、その内容を引用する。


「渋谷を拠点にライブ活動を積み重ね、JUN SKY WALKER(S)や筋肉少女帯らと交流を測りながらメジャーデビューの機会を模索していた実力派のバンド」

「新曲に活力があり、完成度が高まったのはチームワーク(のざらし注:今作からプロデューサーの小林武史氏が編曲に関わった件)によるところが大きい」

「二曲続けてのヒットで、彼らの音楽性も人気も定着するであろう。現在秋に発売予定のアルバム製作中だが、期待していいと思う」

大槻ケンヂ氏が著した『リンダリンダラバーソール』に、筋肉少女帯の目から見たデビュー直後のミスチルのエピソードが記されていた。




 さて、今日の視点でこの記事を読んでみると、興味深い事実が見えてくる。
 まず2015年に発売されたアルバム「REFLECTION」の制作途中まで、小林武史氏(コバタケ)はミスチルの編曲に深く関わり続け、「五人目のメンバー」のような立ち位置にあった。今でこそミスチル=コバタケの印象は強いが、1994年当時はまだそのイメージが確立していなかったようだ。


 また「二曲続けてのヒットで〜人気も定着するであろう」ということは、まだ前作シングル「CROSS ROAD」のみの“一発屋”となりうる可能性も高い、と見られていたことになる。今となっては信じられない。


 そして実際のところ、論説の通りに「秋に発売予定のアルバム」=「Atomic Heart」は大ヒットし、ミスチル史上最高の売上枚数(約340万枚)を記録した。そして彼らの音楽性も人気も、以後確実に定着している。この資料の内容はまさに慧眼といってもよいだろう。


 …それにしても、記事を切り抜くほどのファンなのに、どうして雑誌と記事を手放してしまったのだろう?
 幾度かあった音楽性の変化に耐えられずファンを引退したのか。
 断捨離の最中に誤って処分してしまったのか。
 もしや持ち主に何か不幸があったのか。


 どのような理由であれ、運命の巡り合わせによって、この記事は俺の手元に渡った。
 以前の持ち主が強く抱いていたであろうミスチルへの情熱を、俺は勝手に受け継いだつもりでいる。


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著作権保護の為ぼかしを入れてあります。
時代を感じるファッションに身を包んだ、若々しい四人の姿が写っていました。

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