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ソ•ユミ著 『誰もが別れる一日』(모두가 헤어지는 하루)

 いつの頃からかネットにアクセスすると「こうしたら儲かる」、「これをしたら痩せた」、「これを続ければ人生が変わる」と謳った情報が次々と流れてくるようになった。成功者のアドバイス、活躍している人たちのヒストリー、目標を達成した人たちの誇らしい笑顔や生活が、スマホの画面に現れては消えていく。

 それを見て純粋に「すごい!素晴らしい!」と拍手する人もいれば、「私だってこんな風になりたい」と嫉妬の炎をメラメラと燃やす人もいる。中には前者の顔をして相手に近づき、無償で何らかの情報を引き出してやろうとする後者の人たちもいる。そんな人たちはきっと、こう言うんじゃなかろうか。「うまくいっていない人の話は聞きたくないんだよね」と。

 ソ・ユミ著の短編小説集『誰もが別れる一日』を読んだ時、学生時代に私からの連絡を1年ほど無視していた友人のことを思い出した。彼女はのちに「ごめん」と謝りながら「あの時は就職試験に落ちてばかりで、うまくいっている人の話しか聞きたくなかったから」と言った。自分が「うまくいっていない人」に分類されていたのだと知り少し悲しくもあったけれど、事実私の大学生活はうまくいかないことの連続だったので、怒ることもなく彼女の謝罪をすんなりと受け入れ、また連絡を取り合うようになった。

 この短編集に出てくる人たちは、総じてみんなうまくいっていない。就職につまづき、家庭環境に恵まれず、夫婦関係のひびは深まり、常に住居問題が肩にのしかかる。子が巣立ち夫と別れ自分の人生を取り戻したと思ったら、親の老いに直面する。そうやって何かしら困難を抱えながら、今日一日を普段通り、またはいつもより少しマシに生きようとしてみるものの、やっぱりどこかうまくいかない。そんな誰かの人生に過去の自分や今の自分が見えた時、私は声をあげて泣きたくなったと同時に、少しだけ励まされた気もした。

    どこの誰だか知らない人たちのうまくいっているように見える人生。それが次々と目に飛び込んでくる今の世は、時につらい。だけどこの小説には、成功談だとかコスパ良く生きるコツとは真逆の、「うまくいかない現実」が当たり前のようにそこにあり、それぞれが自分の置かれた場所で、ただただ今日を生きている。みんな自分のことで精一杯。そんな当たり前の事実を小説を通して知れたことが、今の私には大きな慰めになった。

   ソ•ユミさんはこの本の中で、目の前の生活に悩む10代、20代の若者から、孫や子ども、親の心配を抱える60代くらいの女性まで、年齢も性別も暮らしぶりも何もかも違う人たちの一日を書きわけながら、誰かがどこかで感じたことのある感情や、これから見ることになるかもしれない景色を描いている。全部フィクションのはずなのに、まるでドキュメンタリーを観ているような気持ちになったのは、物語の中にリアルな生の瞬間がちりばめられていたからだろう。

    この短編集を読んで、ソ•ユミさんの小説をもっと読んでみたくなった。訳者の金みんじょんさんによると、ソ•ユミさんは今子育て中で「短編しか書けない」と話しているそうだが、同じく子育て中で夜のわずかな時間にしか本が読めない私には、短編小説が心の癒しだ。

    おねしょした子どもに2日連続朝からたたき起こされ、洗濯を2回3回と繰り返し、不定期にやってくる「ご飯を作りたくないな」とか「やっぱり母親にはむいてないな」という思いをなだめすかした直後に、寝る準備を嫌がる子どもに声を荒げてしまう。そんな自分に深く傷ついた夜、ソ•ユミさんの小説は励ますでもなく慰めるのでもなく、ただそこに居てくれて、ささやかだけど自分なりに精一杯生きた一日に小さな光を当ててくれるのだった。

ささやかな人生の危機と解放――斎藤真理子さん評『誰もが別れる一日』(じんぶん堂)

   
2024年K-BOOKフェスティバル『誰もが別れる一日』刊行記念トークイベント
「危機」と「不安」を描く韓国リアリズム文学にせまる 斎藤真理子×金みんじょん

 ↑韓日翻訳家の斎藤真理子さんと、この本の訳者である金みんじょんさんのトーク、とてもおもしろく聞かせていただきました。子育てしながら翻訳家•作家として活動し、みんなが嫌がるというPTAの会長を2年連続引き受けてらっしゃる金みんじょんさん。いつかみんじょんさん目線で見えた日本についてのエッセイ、読んでみたいです。

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